阿衡の紛議 | |
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■ 阿衡の紛議(あこうのふんぎ): 阿衡事件(あこうじけん)は、平安時代前期に藤原基経と宇多天皇の間で起こった政治紛争である。阿衡の紛議とも呼ばれる。関白に任じる詔勅を基経が形式的に辞退した後、天皇は改めて基経を「阿衡」に任じたが、それについて基経は、中国の古典では「阿衡」は名ばかりで実権のない職を指すと抗議し、一切の公務の遂行を放棄した。最終的に天皇は二度目の詔勅を撤回して、その起草者の橘広相を罷免した。広相は言いがかりであるとして抗弁したが、「阿衡」の解釈について学者らは基経に迎合した。ただし菅原道真は広相を弁護した。【Wikipediaより】