「秋田」の名字の由来
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「田」のつく名字  
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■ 秋田(あきた)

【2022/10/19:改編】

# 全国に約40600人

# 「秋田」の名字の軒数

# 代表家紋

# 出羽国秋田郷(秋田県)に由来し安倍貞任の子の高星が津軽に逃れ安東氏を祖とし、戦国時代安東愛季が出羽国男鹿脇本城(秋田県男鹿市脇本)を本拠とし、後に秋田氏を称した。江戸時代陸奥国三春(福島県三春)藩主。

# 秋田氏の先祖は、7世紀に阿倍比羅夫に下った蝦夷の恩荷(おんが)、前九年の役源頼義に滅ぼされた安倍貞任、鎌倉時代に蝦夷を征した安東氏と言われる。

# 現在は愛知県の尾張地方に多くみられ、また青森県にも多い。

# 福島県の秋田家

# 秋田氏の本姓は安倍で、先祖の安日に由来するという。安日は長髄彦の兄の安日(あび)で神武東征の前の大和国の領主といわれる。【本州における蝦夷の末路 喜田貞吉 青空文庫】

# 出羽国秋田郡(秋田県)をルーツとする。1051年に前九年の役で敗れた安倍貞任の子の高星が津軽に逃れて安東氏を称したのが祖という。鎌倉時代に、貞季の子の代に下国家と上国家に分裂した。【出典

# 下国安東家: 陸奥国津軽郡十三湊(青森県北津軽郡市浦村)の福島城に拠ったが、南部氏によって松前に追われ、政季の時に檜山安東氏と称した。【出典

# 上国安東家: 陸奥国津軽郡藤崎(青森県南津軽郡藤崎町)に住んだ上国家は室町時代になって出羽国秋田郡に移り、湊城に拠って湊安東氏を称した。遠国時代に下国家から養子になった安東愛季が両家を統合、男鹿脇本城(秋田県男鹿市脇本)に本拠を移し、戦国大名となった。1590年に実季が豊臣秀吉に従い、1598年に土崎湊城(秋田市)を築き、秋田氏と改姓した。【出典

# 陸奥三春藩主の秋田氏: 関ヶ原の合戦後、実季は常陸国宍戸(茨城県西茨城郡友部町)5万石に移り、さらに1645年に陸奥三春(福島県田村郡三春町)に転封となった。明治時代には子爵。【出典

# 現在は、全国に分布するが、特に愛知県の尾張地方に多く見られる。【出典

# 三春藩

# 秋田家

# 「秋田」の地名の由来

# 「田」の漢字の持つ意味

# 「春・夏・秋・冬」のつく名字

# 「田」のつく名字

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