「佐田」の名字の由来
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■ 佐田(さた、さだ)

【2022/12/06:改編】

# もとは「狭田」で、狭い田のこと。【出典】  

# 旗本の佐田家は伊勢国発祥で、藤原氏の出か。1659年に宗重が徳川家綱に仕えて旗本となった。【出典

# 土佐国の佐田氏は幡多郡佐田(高知県中村市佐田・現四万十市)をルーツとする。戦国時代には一条氏の家臣に佐田家があった。【出典

# 豊前国宇佐郡佐田荘(大分県宇佐郡安心院町佐田)をルーツとし、豊前宇都宮氏の一族。佐田荘の地頭江戸時代には熊本藩士。【出典

# 佐田(さだ): 豊前国宇佐郡の国人。豊前国の宇都宮氏の一族。1290年に宇都宮通房が佐田荘(大分県宇佐市安心院町佐田)の地頭職を得て、1333年頃に頼房の四男の公景が、嫡男の守綱から佐田荘を譲られて、以後公景の子相伝したのが祖。1399年に親景のときに荘内の青山に築城して拠り、以後佐田氏を称した。1441年に盛景のときに少弐嘉頼に攻められた大内教弘を救援したことで大内氏に通じ、大内氏が豊前国を支配すると、守護代の杉氏のもとで宇佐郡代をつとめた。1557年に隆居のときに宇佐衆を率いて大友氏に従い、子の鎮綱は大友宗麟のもとで各地を転戦。1587年に黒田孝高が豊前六郡の領主になると、統景は大友氏を頼って豊後国に転じた。統綱のときに大友氏が滅亡、1615年に細川家に仕え、江戸時代には熊本藩士。【出典

# 「佐」のつく名字

# 「田」のつく名字

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