黒田孝高 | |
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■ 黒田孝高(くろだよしたか)【出典】: 「黒田」の名字の由来
・ 1546−1604年。享年59歳(病死)。
・ 出身地: 播磨国。
・ 肩書き: 武将。
・ 家族: 子:黒田長政。
・ 家紋: 黒田巴藤紋。
・ 黒田官兵衛ともいう。播磨国の大名の小寺氏に仕えていたが、長篠合戦では、織田信長が武田勝頼を破ったことを知って、信長の将来性を期待して、小寺氏共々信長の配下になった。荒木村重が信長に叛旗を翻したときには、有岡城(兵庫県)に翻意のために赴いたが、逆に捕らえられて入牢させられた。1年後に救出されたが、その間の牢獄生活で左足を傷めて、以後の合戦の指揮は輿に乗っておこなった。孝高は信長から山崎1万石を賜って、秀吉の参謀になるように指示された。1581年の鳥取城の兵糧攻めを提案したり、翌年の毛利氏との備中高松城の水攻めを成功に導くといった功がある。本能寺の変の後に、毛利氏との和睦を秀吉に進言したともいう。秀吉の死後は徳川家康に近づき、関ヶ原の合戦では東軍に属した。その後は、筑前国で52万石を領した。
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