群馬県の名字の特徴
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★ 群馬県の県名の由来 ・ 群馬県の難読地名・珍地名 ・ 群馬県の地名集

★ 群馬県の名字の特徴

# 群馬県の名字ナンバーワンの「高橋」は全国でも三番目に多い名字だが、県別で一位になっているのは群馬県と愛媛県だけ。

# 4位の「新井」も群馬県(埼玉県北部から)特有。

# 群馬県を代表とする名字に「茂木」があり、読み方は「もてぎ」「もぎ」が半々らしい。県の東部や南部では「もてぎ」読みが多く、県の北部では「もぎ」読みが多い。

# 高崎市独特の名字: 植原は高崎市独特の名字で、旧高崎市だけで、県内の8割が集中している。吉井(よしい)、長井、梅山も高崎市に集中している名字。その他、湯浅、天田反町も多い。【出典

【群馬県らしい名字】

# 清和源氏の流れをくむ「新田」姓は群馬県を代表する名字。一族には「里見」「山名」「大館」「鳥山」「堀口」といった名字もある。

# 妻恋村には「黒岩」という姓が非常に多い。

# 木暮塚越田部井都丸、生方、真下羽鳥などは群馬県らしい名字。

【群馬県らしい名字2】

・ 黒岩(くろいわ)善知鳥(うとう)女屋(おなや)書上(かきあげ)小鮒(こぶな)城聞(じょうぎく)都木(たかぎ)二十里(にじゅうり)毒島(ぶすじま)。【あなたの起源を読み解く 名字の世界 インデックス編集部 イースト新書Q】

【群馬県における名字の読みの特徴】

# 河野: 全国では「こうの」が53%で、「かわの」が47%。群馬県内でもほぼ半々だが、「かわの」読みが51%と若干多い。【出典

# : 近畿地方より東では「あずま」読みが多く、中国地方より西では「ひがし」読みが多い。群馬県内でも80%以上は「あずま」読み。【出典

# 茂木: 前橋市や高崎市では「もぎ」読みが多く、富岡市や安中市では「もてぎ」読みが多く、その他の地域では読みが分かれる。全国的には「もぎ」読みがやや多い。【出典】 

# 木暮: 一般には「こぐれ」読みだが、伊勢崎市周辺では「きぐれ」とも読む。【出典

# 渡部: 全国的には80%以上が「わたなべ」読みだが、群馬県では57%が「わたべ」読み。また、新潟県や長野県でも「わたべ」読みが多い。【出典

# 菅野: 全国的には70%近くが「かんの」読みだが、群馬県内では「かんの」「すがの」読みが拮抗。【出典

# 上村: 全国的には「うえむら」読みと「かみむら」読みがある。関東地方では「かみむら」読みが多く、特に群馬県では90%以上が「かみむら」読み。【出典

# 角田: 全国的には「つのだ」読みがやや優勢だが、群馬県では98%以上が「つのだ」読み。【出典

■ 群馬県内の地名由来の珍名

・ 蟻川(ありかわ)植栗(うえくり)香林(こうばやし)後閑(ごかん)西窪(さいくぼ)尻高(しったか)膳(ぜん)対比地・築比地(ついひじ)備前島(びぜんじま)。【出典

■ 群馬県特有の名字集

■ 群馬県の特徴的名字: 今井萩原飯塚木暮、千木良(ちぎら)、反町赤堀都丸(とまる)星野田部井出典】  

■ 群馬県の名字【出典

・ 正田: 平安時代後期に源義国に従って上野国新田荘尾島に来た生田(しょうだ)隼人佐を祖とする。戦国時代後期に、徳川家康の関東入国に従って、武将の生田義豊が仕えた際に「生田」から「正田」に改めた。

・ 雨木(あまき): 群馬県上野村にみられる。主君が賊に襲撃されたとき、雨の中、大木の下で文書を守ったことから、「雨木」の名字を与えられた。

■ 群馬県の名字の特徴【出典

・ 片貝(かたがい): 全国の半数以上が群馬県にみられ、「かたがい」とは、川の片側が山で、もう片方が平地になっている場所を意味する。中世に、吾妻郡の地侍に片貝氏がいた。現在は群馬県東吾妻郡や前橋市に多く見られる。

・ 北爪(きたづめ): 全国の約7割弱が群馬県に見られる。御所の北門に詰めたことから「北詰」となり、後に「北爪」と変化した。戦国時代には女淵五郎(群馬県前橋市)の国衆で、足利長尾氏や北条氏に属した。江戸時代に、嫡流は酒井家に仕え、後には庄内藩士。

・ 桑子(くわこ): 桑のことを古語で「くわこ」といい、これに「桑子」の漢字をあてた。養蚕の盛んだった桐生市や太田市付近に多く見られる。

・ 田部井(たべい): 全国の半数弱が群馬県に見られる。上野国佐波郡田部井(群馬県伊勢崎市田部井)をルーツとする。同地は古くは「田部賀井」と書かれ、「ためがい」ともいう。清和源氏新田氏の庶流。新田義重の子孫の経氏が田部井を開発して田部井氏を称した。戦国時代には上杉氏に属した。

・ 生須(なます): 群馬県中之条町にまとまって見られる。平家の落人の末裔といい、中之条町六合の生須に住んで生須氏を称した。後に、追っ手を逃れ、中之条町名沢に転じて帰農した。また、中之条町には「生巣」の名字もある。

・ 湯本(ゆもと): 群馬県の湯本家: 上野国吾妻郡草津(群馬県草津町)の旧家。海野氏の一族で、建久年間源頼朝が草津温泉に入った際に、案内役を務めた細野御殿介が「湯本」の名字を与えられ、湯本幸久と名乗ったのが祖という。戦国時代には上野原城に拠り、武田氏に属した。江戸時代には代々平兵衛を称し、名主を務めた。現在も群馬県吾妻郡を中心に西毛地方に多い。

・ 小此木(おこのぎ): 全国の三分の二が群馬県に見られる。上野国佐位郡小此木村(群馬県伊勢崎市境)をルーツとする。由良氏に属した。地名の小此木は「小柴」の「柴」の字を分解したもので、名前も小柴から転じたという。

・ 後閑(ごかん): 全国の7割以上が群馬県に見られる。中世、碓氷郡の国衆に後閑氏がいた。清和源氏の岩松氏末裔といい、1560年に丹生城(群馬県富岡市)城主の新田景純の子の信純が武田信玄から後閑城(群馬県安中市)を与えられて後閑氏を称した。武田氏の滅亡後、長男の刑部少輔・二男宮内大輔の兄弟は北条氏に仕えた。小田原城の落城時に滅亡した。

・ 雨木(あまき): 群馬県上野村に見られる。主君が賊に襲われた際に、雨の中、大木の下で文書を守ったことから「雨木」の名字を与えられた。

・ 遠橋(とおはし): 群馬県の遠橋(とおはし)家: 群馬県甘楽町の旧家。橋爪家の遺児を遠田家が育てたことから、子孫が両家の名字から一字とって「遠橋」を称した。

・ 崚隋覆未任靴沺: 群馬県の崚隋覆未任靴沺鵬函А々盧蟷垉醗翊の旧家。上野国群馬郡崚膓拭雰嫁聾前橋市)をルーツとする。新田義貞に従っていたが、義貞の討ち死後には吉井に住んだ。江戸時代には代々、名主を務めた。


【順位は群馬県内の順位】

■ 1位: 高橋(たかはし): 群馬県の高橋家
# 県内では、ほぼまんべんなく分布する。人口比率約2%。

■ 2位: 小林(こばやし、おばやし): 群馬県の小林家
# 長野県、群馬県、山梨県、新潟県に多く見られる。
# 群馬県内では北毛に多く見られ、南西部では少ない。

■ 3位: 佐藤(さとう): 群馬県の佐藤家
・ 群馬県内にはまんべんなく分布し、特に西毛地区に多く見られる。

■ 4位: 新井(あらい): 群馬県の新井家
# 群馬県を中心に北関東と長野県にまとまってみられる。群馬県内では西毛南部と東毛に多く見られ、神流町では人口の15%以上。【出典

■ 5位: 斎藤(さいとう): 群馬県の斎藤家
# 群馬県内にも広く分布し、神流町や甘楽町に多い。

■ 6位: 清水(しみず): 群馬県の清水家
・ 山梨県、長野県、群馬県に特に多く見られ、北陸地方や関東地方にも多い。一方、東北地方や九州地方にはあまり多くない。
・ 長野県の東部から群馬県の南西部や山梨県境にまとまってみられる。

■ 7位: 鈴木(すずき): 群馬県の鈴木家

■ 8位: 吉田(よしだ): 群馬県の吉田家
# 群馬県内では西毛から東毛にかけて分布する。

■ 9位: 星野(ほしの): 群馬県の星野家
# 群馬県を中心に関東地方から新潟県にかけてみられる。
# 群馬県内では東部にまとまってみられる。
# 歴史上有名な星野氏は筑後国生葉郡星野村(福岡県八女市)をルーツとし、南北朝時代には南朝に属し、戦国時代には大友氏島津氏に従った。

■ 10位: 中島(なかじま): 群馬県の中島家
# 群馬県内にも広く分布し、安中市、桐生市、吉岡町、みなかみ町に多い。  

■ 11位: 田村(たむら): 群馬県の田村家
# 沖縄県を除き全国にみられ、群馬県をはじめ、高知県、山口県、新潟県、岩手県などに多い。
# 群馬県内では西毛と北毛に多く見られる。

■ 12位: 田中(たなか): 群馬県の田中家

■ 13位: 木村(きむら): 群馬県の木村家
# 群馬県内では、東毛と北毛にまとまってみられる。
# 下野の木村氏は下野国都賀郡木村(栃木県栃木市)をルーツとし、藤原北家秀郷流で足利有綱(足利将軍家とは別流)の五男の信綱が木村氏を称した。【出典

■ 14位: 山田(やまだ): 群馬県の山田家

■ 15位: 金子(かねこ)
# 埼玉県入間市の地名由来の地名姓。
# 群馬県内では県の東部に多く見られる。沼田市の旧利根村大揚の集落は、かつては全戸が金子家で、源義経に従った金子十郎家忠の末裔という。【出典

■ 16位: 関口(せきぐち): 群馬県の関口家
# 群馬県南部と埼玉県北部を中心に、関東・信越地方にまとまってみられる。
# 関口孝五郎: 戦前の柔道界で活躍し、渋川市の旧子持村の出。明治33年に前橋市に弘道館を開設。長男の林五郎は県の医師会長や公安委員長を務めた。次男の恒五郎は渋川市で医院を開業し、柔道のチームドクターも務めた。三男の義五郎は高崎市で開業。【出典

■ 17位: 渡辺(わたなべ): 群馬県の渡辺家
# 群馬県内でもまんべんなく見られるが、比較的東毛に多く、特に館林市や桐生市などに多い。

■ 18位: 中村(なかむら): 群馬県の中村家
# 群馬県内では北毛と東毛に多く見られる。【出典

■ 19位: 松本(まつもと): 群馬県の松本家
# 群馬県内では、県の西部にまとまってみられ、特に妻恋村に多い。

■ 20位: 金井(かない): 群馬県の金井家
# 群馬県内では、前橋市や高崎市を中心に、県の中央部に多く見られる。
# 上野国新田郡金井(群馬県太田市新田町金井)をルーツとし、清和源氏の新田氏の庶流岩松氏の一族。 

■ 21位: 青木(あおき): 群馬県の青木家
# 群馬県内では南牧村と甘楽町に多い。

■ 22位: 加藤(かとう): 群馬県内の加藤家
# 群馬県内では昭和村にまとまってみられる。

■ 23位: 萩原(はぎわら): 群馬県の萩原家
# 群馬県内では、ほとんどが「はぎわら」読み。【出典

■ 24位: 飯塚(いいづか): 群馬県の飯塚家
# 群馬県内では渋川市付近や藤岡市付近にまとまってみられる。

■ 25位: 山口(やまぐち): 群馬県の山口家

■ 26位: 石井(いしい): 群馬県の石井家
# 群馬県内では富岡市付近と昭和村にまとまってみられる。

■ 27位: 岡田(おかだ)
# 群馬県の岡田家: 太田市の旧家。小野篁の末裔で、前九年の役の功で太田市吉沢の地を与えられた。江戸時代には名主を務めた。【出典

■ 28位: 須藤(すどう): 群馬県の須藤家
# 群馬県内では、安中市と片品村にまとまってみられる。

■ 29位: 今井(いまい)
# 群馬県内では南西部にまとまってみられる。

■ 30位: 桜井(さくらい) : 群馬県の桜井家

■ 31位: 阿部(あべ): 群馬県の阿部家
# 群馬県内では北毛にまとまってみられ、みなかみ町、沼田市、高山村に多く見られ、旧水上町では最多姓。【出典

■ 32位: 林(はやし): 群馬県の林家
# 群馬県内では北毛にまとまってみられ、昭和村では最多姓。みなかみ町の旧新治村でも最多姓。【出典
# 藤原北家秀郷流の淵名兼行の子の行房は勢多郡赤城村(現渋川市赤城町)・北橘村付近を開発して拝志荘とし、林六郎を称した。【出典

■ 33位: 栗原(くりはら): 群馬県の栗原家
# 関東地方の名字で、埼玉県から群馬県東部にかけて多く見られる。【出典
# 群馬県内では東毛にまとまってみられ、伊勢崎市では4位、千代田町では5位で、千代田町では2%を超える。また、太田市の旧新田まちでは2位だった。【出典

■ 34位: 井上(いのうえ): 群馬県の井上家
# 群馬県内では広く分布するが、比較的北毛に多く見られ、沼田市や片品村にまとまってみられる。【出典

■ 35位: 伊藤(いとう): 群馬県の伊藤家
# 群馬県内では全域に分布し、まとまって見られる地域は無い。【出典

■ 36位: 大沢(おおさわ): 群馬県の大沢家
# 群馬県が全国最高順位。群馬県内では東毛にまとまってみられ、みどり市と桐生市に多く見られる。みどり市の旧笠懸町では5位。【出典

■ 37位: 福田(ふくだ): 群馬県の福田家
# 群馬県内では、下仁田町、中之条町、吉岡町に多く見られる。【出典

■ 38位: 根岸(ねぎし): 群馬県の根岸家

■ 39位: 橋本(はしもと): 群馬県の橋本家
# 群馬県内では東毛にまとまってみられ、邑楽町では5位、千代田町で7位。また館林市にも多い。【出典

■ 40位:茂木(もてぎ)、41位:茂木(もぎ): 両方合わせると13位あたり。
# 群馬県内では、太田市や桐生市を中心とする栃木県に近い東毛地区では「もてぎ」読みが多いが、沼田市を中心とする奥利根地区では、圧倒的に「もぎ」読みが多く、県全体では半々。群馬県邑楽郡邑楽町鶉に茂木氏の居城と伝える鶉城跡があり、この周辺に「茂木」姓が広がった由縁の一つと思われる。
# 群馬県内では高崎市、前橋市、伊勢崎市、沼田市では「もぎ」読みが多い一方、太田市、富岡市、安中市では「もてぎ」読みが多く、桐生市や館林市ではほぼ半々。【出典

■ 42位: 大塚(おおつか): 群馬県の大塚家
# 群馬県では北毛以外に広くみられ、富岡市を中心に西毛に多い。富岡市では9位で、とくに旧妙義町では5位。邑楽町では7位。【出典

■ 43位: 山本(やまもと): 群馬県の山本家
# 山本は西日本を代表する名字で全国順位でも7位だが、群馬県では43位と低い。【出典
# 群馬県内では北毛にまとまってみられ、中之条町の旧六合村では最多姓。また、草津町で2位、中之条町で3位。北毛以外では館林市に多く見られる。【出典

■ 44位: 角田(つのだ): 群馬県内の角田家
# 群馬県内では前橋市から利根郡にかけてまとまってみられ、川場村では2位。他に、沼田市(特に旧白沢村に多い)で6位、渋川市(特に旧伊香保町に多い)」で8位。【出典

■ 45位: 町田(まちだ): 群馬県の町田家
# 群馬県内では前橋市付近から吾妻郡にかけて多く見られる。【出典

■ 46位: 長谷川(はせがわ): 群馬県の長谷川家
# 群馬県内では中毛から東毛にかけて多く見られる。【出典

■ 47位: 田島(たじま)

■ 48位: 石川(いしかわ): 群馬県の石川家
# 群馬県内では東毛から中毛にかけて多く見られ、板倉町では8位。その他に館林市や明和町にも多く見られる。【出典

■ 49位: 久保田(くぼた): 群馬県の久保田家
# 群馬県内では東毛地区にまとまってみられ、大泉町では3位。太田市と伊勢崎市にも多く見られ、合併前の旧太田市では6位、伊勢崎市の旧赤堀町では8位。【出典

■ 50位: 中沢(なかざわ): 群馬県の中沢家
# 群馬県内では、東毛以外に広く見られ、最も多いのは吾妻郡で、草津町では4位。他に中之条町にも多い他、西毛の上野村でも6位。【出典

■ 51位: 小池(こいけ)
# 長野県を中心に東海地方と関東甲信越地方に多く見られる。【出典
# 戦国時代、上野国佐貫荘(群馬県館林市付近)の武士に小池氏がいた。【出典
# 群馬県内では前橋市から東吾妻郡にかけて多く見られ、特に東吾妻郡では2位。【出典

■ 52位: 須田(すだ)
# 関東地方から東北地方に多く見られる。群馬県内では渋川市に多い。【出典
# 歴史的には、信濃国高井郡須田(長野県須坂市)をルーツとする。清和源氏井上氏の庶流の須田氏が有名。【出典
# 群馬県内では赤城山西麓に国衆の須田氏がいた。信濃の須田氏の一族か。【出典

■ 53位: 山崎(やまざき)
# 地形姓で、沖縄を除いて全国に広く分布する。「山崎」とは山の稜線の先端を意味し、各地から生まれた。【出典
# 群馬県内では高崎市から吾妻郡にかけて多く見られ、嬬恋村では5位。【出典

■ 54位: 狩野(かのう)
# 群馬県内では北毛に多く見られ、渋川市では最多姓。ルーツは、上野国拝志荘狩野々(群馬県渋川市赤城町)で、伊豆狩野氏の一族とも言う。【出典

■ 55位: 小島(こじま)
# 群馬県内では東毛に多く見られ、特に板倉町や邑楽町にまとまってみられる。【出典

■ 56位: 石原(いしはら)
# 群馬県内では中毛と東毛にまとまってみられ、とくにみどり市・桐生市・伊勢崎市に多く見られる。【出典

■ 57位: 松井(まつい): 群馬県の松井家
# 群馬県内では高山村、川場村、甘楽町にまとまってみられ、高山村では5位。【出典
# 戦国時代に、北毛に松井氏があり、沼田衆に属した。【出典

■ 58位: 関(せき): 群馬県の関家
# 群馬県内では北毛にまとまってみられ、中之条町では最多姓。川場村では4位。【出典

■ 59位: 黒沢(くろさわ): 群馬県の黒沢家
# 群馬県内では西毛にまとまってみられ、上野村では最多姓。神流町では2位。【出典

■ 60位: 内田(うちだ)
# 群馬県内では東毛と西毛に多く見られ、特に安中市と大泉町にまとまってみられる。【出典

■ 61位: 石田(いしだ)
# 群馬県内ではまんべんなく分布しているが、特に渋川市と沼田市に多く見られる。【出典

■ 62位: 岩崎(いわさき)
# 群馬県内では東毛と西毛に多く見られ、とくにみどり市と神流町にまとまってみられる。特にみどり市の旧笠懸町では最多姓。【出典
# 笠懸の岩崎氏は藤原北家秀郷流で、下野国岩崎の出。【出典

■ 63位: 福島(ふくしま): 群馬県の福島家
# 群馬県内では、利根郡と甘楽郡・多野郡以外に広く分布する。特に渋川市に多く見られ、合併前の旧渋川市では6位。【出典

■ 64位: 坂本(さかもと)
# 群馬県内では東毛と西毛に多く見られる。千代田町では2位。その他に、隣の大泉町でも5位。その他に太田市や桐生市にも多い。西毛では、安中市や富岡市に多い。【出典

■ 65位: 森田(もりた)
# 関東地方以西に広く分布する。【出典
# 群馬県内では渋川市から館林市にかけて広く分布する。とくに、吉岡町では3位。その他に、榛東村や館林市にもまとまってみられる。この地域の杜田氏は大伴金村の末裔と伝える。【出典
# 戦国時代には、上野国吾妻郡の国衆に森田氏がいた。【出典

■ 66位: 上原(うえはら)
# 群馬県内では西毛にまとまってみられ、安中市の旧松井田町では2位。富岡市にも多く見られる。【出典
# 安中市松井田の上原家は信濃国諏訪郡上原の出と言う。【出典

■ 67位: 五十嵐(いがらし)
# 現在も、新潟県を中心に北陸・関東・東北南部にまとまって見られる。群馬県内ではまんべんなく分布して、とくに伊勢崎市や高崎市に多く見られる。【出典

■ 68位: 桑原(くわばら): 群馬県の桑原家
# 群馬県内では北毛に多く、川場村と片品村にまとまってみられる。【出典

■ 69位: 丸山(まるやま): 群馬県の丸山家
# 群馬県内ではまんべんなく見られ、特にまとまって見られる地域は無いが、嬬恋村、長野原町、高崎市などに多い。【出典

■ 70位: 川島(かわしま)
# 関東地方から静岡県にかけて多く見られる。【出典
# 群馬県内では東毛に非常に多く見られ、館林市と大泉町では最多姓。千代田町でも7位、邑楽町では9位。【出典

■ 71位: 竹内(たけうち)
# 地形姓。「竹に囲まれた場所」という意味。また、中世の武家屋敷には竹を巡らせていたことから、「竹」は武家屋敷を意味するとも言う。【出典
# 群馬県内ではまんべんなくみられ、比較的高崎市に多く見られる。【出典

■ 72位: 永井(ながい): 群馬県の永井家
# 東海地方から関東地方にかけて多く見られ、特に群馬県・新潟県・愛知県では上位100位以内。西日本では愛媛県に多く見られる。【出典
# 群馬県内では西毛から中毛にかけて多く見られ、下仁田町では4位。その他、富岡市や高崎市に多く見られる。【出典

■ 73位: 関根(せきね): 群馬県の関根家
# 川から用水路の水を引く際の取水口である堰に由来する。【出典
# 関東地方北部から東北地方南部にかけて多く見られ、群馬県内では東毛から中毛にかけてまとまってみられる。特に千代田町や明和町に多く見られる。【出典

■ 74位: 武井(たけい): 群馬県の武井家
# 群馬県内では高崎市・安中市・沼田市に多く見られ、勢多郡武井(桐生市新里町)をルーツとし、横瀬氏の庶流の武井氏が有名。【出典

■ 75位: 小川(おがわ): 群馬県の小川家
# 群馬県内では東毛から中毛にかけて多く見られる。とくに、太田市や邑楽町にまとまってみられる。【済み

■ 76位: 島田(しまだ)
# 群馬県内では、東毛と西毛に多く、明和町・館林市・伊勢崎市・安中市などにまとまってみられる。【済み

■ 77位: 斉藤(さいとう)
# 群馬県内では利根郡を除いて広くみられる。【出典

■ 78位: 後藤(ごとう): 群馬県の後藤家
# 群馬県内では渋川市付近にまとまってみられ、高山村は5%で最多姓。また、渋川市や昭和村・吉岡町にも多い。【出典

■ 79位: 市川(いちかわ): 群馬県の市川家
# 群馬県内では西毛にまとまってみられ、南牧村では11%で最多姓。この地の市川氏は甲斐国市川郷の出で、戦国時代に一族を率いて移り住んだという。【出典

■ 80位: 富沢(とみざわ): 群馬県の富沢家
# 関東地方の名字で、特に群馬県に多く見られる。【出典
# 群馬県内では、旧榛名町(現高崎市)、吾妻郡の旧六合村(現中之条町)、旧吾妻町(現東吾妻町)にまとまってみられる。【出典
# 戦国時代、東毛に富沢氏がいた。清和源氏新田氏の岩松氏の一族で、新田荘富沢(群馬県太田市)をルーツとする。【出典

■ 81位: 池田(いけだ): 群馬県の池田家
# 群馬県内ではまんべんなくみられ、とくにまとまって見られる地域はないが、比較的渋川市やみなかみ町に多く見られる。【出典

■ 82位: 藤井(ふじい): 群馬県の藤井家
# 群馬県内では、前橋市から沼田市にかけてまとまってみられ、昭和村では5位。【出典

■ 83位: 野村(のむら): 群馬県の野村家
# 群馬県内では西毛を除いて広く見られ、特に館林市、千代田町、渋川市、吉岡町に多く見られる。【出典

■ 84位: 宮崎(みやざき)
# 群馬県内では吾妻郡一帯にまとまってみられ、嬬恋村では2位、中之条町では4位、草津町では7位。【出典

■ 85位: 吉沢(よしざわ): 群馬県の吉沢家
# 群馬県内では東毛を除いて広く見られ、特に前橋市や吉岡町に多く見られる。【出典

■ 86位: 野口(のぐち): 群馬県の野口家
# 地形姓。水田化された平野である「野」の入り口に住んだ事に由来する。したがって、中世に水田が少なかった東北地方には少ない。【出典
# 群馬県内では、西毛から吾妻郡にかけて多く見られ、とくに富岡市にまとまってみられる。【出典

■ 87位: 塚越(つかこし): 群馬県の塚越家
# 群馬県を代表する名字の一つ。群馬県と埼玉県に全国の半数以上がみられ、関東地方だけで9割を占める。【出典
# 群馬県内では高崎市と太田市にまとまってみられ、高崎市の旧倉渕村では2位。【出典

■ 88位: 松島(まつしま)
# 中世、上野国勢多郡の渡良瀬川流域に勢力をもっていた黒川衆に松島氏があった。戦国時代には、神梅城(桐生市)に拠った。【出典
# 群馬県内では、東毛から伊勢崎市にかけてまとまってみられ、とくにみどり市に多く見られる。みどり市の旧東村では星野に次いで2位。【出典

■ 89位: 須永(すなが): 群馬県の須永家
# 群馬県内では東毛にまとまってみられ、とくにみどり市、館林市、邑楽町に多く見られる。【出典

■ 90位: 堀越(ほりこし): 群馬県の堀越家
# 関東地方から宮城県にかけての地域にまとまってみられる。【出典
# 群馬県内では西毛と東毛に多く見られ、特に富岡市、高崎市、館林市にまとまってみられる。【出典

■ 91位: 土屋(つちや)
# 現在は、東海地方から関東地方南部にかけて多く見られる。【出典
# 群馬県内では西毛一帯と嬬恋村にまとまってみられ、嬬恋村では4位。群馬県内の土屋家は武田信玄の家臣の末裔というものが多い。【出典

■ 92位: 小野(おの)
# 群馬県内では甘楽郡小野郷(群馬県富岡市)の地名があり、ここを故地とする在地武士の小野氏がいた。鎌倉時代には御家人となった。【出典
# 渋川市小野子の小野氏は桓武平氏の出で、分家に平形氏がある。【出典
# 群馬県内では、広く分布しているが、比較的北毛に多く見られる。とくに、沼田市とみなかみ町にまとまってみられる。【出典

■ 93位: 近藤(こんどう)
# 群馬県内ではまんべんなくみられ、特にまとまって見られる地域は無いが、神流町、みどり市、榛東村などに多く見られる。【出典

■ 94位: 原田(はらだ): 群馬県の原田家
# 群馬県内では西毛に多く見られ、特に高崎市と安中市にまとまってみられる。【出典
# 群馬県の原田家: 高崎市倉渕町の原田家は大蔵姓で筑前原田氏の一族という。【出典

■ 95位: 中野(なかの): 群馬県の中野家
# 群馬県内では西毛に多く見られ、甘楽町では8位。【出典

■ 96位: 篠原(しのはら)
# 群馬県内では吾妻郡にまとまってみられ、ここから長野県の佐久地方にかけて多く見られる。とくに長野原町では最多姓。【出典

■ 97位: 飯島(いいじま): 群馬県の飯島家
# 群馬県内では西毛と東毛に多く見られ、とくに藤岡市、板倉町、伊勢崎市にまとまってみられる。【出典

■ 98位: 松村(まつむら)
# 群馬県内では中毛から渋川市にかけてまとまって見られ、特に前橋市に多く、前橋市の旧宮城村では5位。【出典

■ 99位: 原(はら)
# 群馬県内でも広く分布し、比較的館林市や玉村町、みなかみ町などに多く見られる。【出典
# 群馬県内の原家は、武田信玄の遺臣の末裔と伝わる家も多い。【出典

■ 100位: 矢島(やじま)
# 群馬県内では、西毛に多く、特に高崎市と富岡市にまとまってみられる。また、伊勢崎市にも多い。【出典
# 中世、上野国新田郡にいた矢島氏は、新田荘矢島郷(群馬県太田市)をルーツとする。清和源氏新田氏の一族。【出典】 

■ 101位: 小暮(こぐれ): 群馬県の小暮家

■ 102位: 黒岩(くろいわ) : 群馬県の黒岩家
# 現在は、群馬県妻恋村にまとまってみられる。【出典

■ 103位: 柳沢(やなぎさわ)
# 長野県に多く見られ、群馬県内では長野県に近い西毛にまとまってみられる。特に安中市、富岡市、下仁田町に多く見られる。【出典

■ 104位: 堀口(ほりぐち)
# 群馬県内では西毛にまとまってみられる。【出典
# 群馬県内では、上野国新田郡堀口村(群馬県太田市堀口)をルーツとする、清和源氏新田氏の一族の堀口氏がある。代々、新田氏に従い、南北朝時代には南朝に属した。末裔は、帰農したものが多く、群馬県南部から埼玉県北部の堀口は、この末裔と伝える家が多い。【出典

■ 105位: 大島(おおしま) 
# 地形姓。「島」は海に浮かぶ島だけではなく、平野や盆地にある小高い所も指した。【出典
# 群馬県内にはまんべんなくみられるが、比較的前橋市や沼田市に多く見られる。【出典
# 中世、上野国新田荘大島郷(群馬県太田市)に清和源氏の新田氏の一族の大島氏がいた。【出典

■ 106位: 高田(たかだ)
# 全国に広くみられる。群馬県内では太田市と伊勢崎市に多く見られる。【出典
# 上野国甘楽郡の国衆に高田氏がいた。清和源氏頼光流。源光国の子の盛員は初め美濃国に住んでいたが、のちに上野国菅野荘高田郷(群馬県富岡市妙義町)に転じ、高田氏を称した。1190年に源頼朝が上洛したときの隋兵の中に高田太郎の名が見える。南北朝時代には南朝に属した。戦国時代、上杉憲政、武田信玄、北条氏直を経て、1591年に直政のときに徳川家康に仕える。江戸時代には旗本。【出典

■ 107位: 増田(ますだ): 群馬県の増田家
# 新しく開墾して増えた田に由来する。各地に広く分布する。群馬県板倉町では3位。その他にみなかみ町に多く見られる。【出典

■ 108位: 木暮(こぐれ)
# 旧赤城村(群馬県渋川市)に多い「木暮」は「きぐれ」と読む。【出典

■ 109位: 中山(なかやま)
# 群馬県内に広く見られる。比較的、安中市と高崎市に多く見られる。【出典

■ 110位: 佐々木(ささき)
# 群馬県内ではまんべんなく見られ、比較的富岡市や沼田市に多く見られる。【出典

■ 111位: 荒井(あらい): 群馬県の荒井家
# 群馬県内では中毛から東毛にかけてまとまってみられる。【出典

■ 112位: 樋口(ひぐち)
# 剣豪の樋口定次は信濃国の樋口氏の子孫という。のちに、高重が上野国吾妻郡小宿村に転じ、上杉顕定に仕えた。1500年に馬庭に転じ、1510年に顕定が死去したため主家を離れた。その孫が定次で慶長年間に馬庭念流を開いた。【出典
# 群馬県内では、広くみられ、高崎市や沼田市に多く見られる。【出典

■ 113位: 小川(おがわ)
# 地名姓で各地にみられる。群馬県内では上野国利根郡の国人に小川氏があった。利根郡小川(群馬県みなかみ町)をルーツとし、赤松則村の末裔と伝える。上杉謙信に属した沼田衆の筆頭格。1569年の上杉氏と北条氏の和睦交渉では小川可遊斎が死者として活躍した。【出典
# 群馬県内には広く見られるが、比較的東毛に多い。【出典

■ 114位: 田口(たぐち)
# 群馬県内では高崎市周辺と東毛にまとまってみられる。明和町では3位。【出典
# 戦国時代、玉村に北条氏に属した田口氏がいた。【出典

■ 115位: 遠藤(えんどう)
# 遠江国の藤原氏が、遠江国の「遠」と、藤原氏の「藤」をつなげて名乗った名字。【出典
# 東日本の名字で、北関東から東北地方にかけて非常に多く見られる。【出典
# 群馬県内にはまんべんなくみられる。【出典

■ 116位: 今泉(いまいずみ): 群馬県の今泉家
# 「新しくできた泉」に因む地形姓。【出典
# 群馬県内では桐生市とみどり市にまとまってみられる。とくに、桐生市の旧新里村、みどり市の旧大間々町に多く見られる。【出典

■ 117位: 高木(たかぎ)
# 群馬県内では北毛を除いて広く見られ、とくに伊勢崎市に多く見られる。【出典
# 江戸時代には、上野国新田郡亀岡村(群馬県太田市新田)に、足尾銅山産出の御用銅問屋をつとめた高木家があった。【出典

■ 118位: 本多(ほんだ)
# 群馬県内に広く分布する名字だが、比較的北毛に多い。みなかみ市の旧新治村で2位、中之条町の旧六合村で9位。【出典
※ ちなみに「六合」もなかなかの難読地名だし、由来も面白い。

■ 119位: 高山(たかやま): 群馬県の高山家
# 上野国緑野郡の国衆に高山氏がいた。桓武平氏の出で、秩父将恒の子孫の重遠が高山郷(群馬県藤岡市)に住んで高山氏を称したという。南北朝時代、高山重栄が新田義貞に属した。戦国時代には、上杉氏、武田氏、北条氏などを経て、由良氏に仕え、1590年の由良氏の滅亡とともに新田郡下田島(群馬県太田市)で帰農した。一族に館林藩の重臣の高山家がある。【出典
# 群馬県では、県内に広くみられる。前橋市、太田市、片品村などに多く見られる。【出典

■ 120位: 下田(しもだ) 
# 群馬県の下田家: 上野国群馬郡西明屋村(群馬県高崎市箕郷町)の旧家。伊豆国下田(静岡県下田市)の出で、戦国時代には長野氏の重臣だった。長野氏の滅亡後は帰農し、江戸時代中期からは勝山藩の代官も務めた。【出典
# 群馬県内では前橋市周辺にまとまってみられる。【出典

■ 121位: 森(もり) 
# 群馬県内では北毛を除いて広く見られる。【出典

■ 123位: 笠原(かさはら) 

■ 124位: 和田(わだ)
# 戦国時代、上野国群馬郡の国衆に和田氏がいた。相模和田氏の一族で、和田義信の末裔と伝えるが不詳。群馬郡白川郷和田山(群馬県高崎市箕郷町)の土豪。関東管領の上杉氏に従った。戦国時代には武田氏に属し、長篠合戦では業繁が討ち死。1582年に武田氏が滅亡すると滝川一益に仕えたが、本能寺の変の後、一益が北条氏直に敗れたため北条家に降り、西上野を支配した。豊臣秀吉の小田原攻めでは、小田原城に籠城したが敗れ、一族は紀伊国に逃れた。【出典
# 群馬県内では、北毛を除いて広く見られる。【出典

■ 125位: 深沢(ふかざわ)
# 山梨県と静岡県東部に多く見られる。【出典
# 群馬県内では、高崎市、前橋市、桐生市、みどり市にまとまってみられる。特に桐生市の旧黒保根村では5位。【出典
# 群馬県内のルーツは、上野国勢多郡深沢(群馬県桐生市黒保根町・太田市)で、戦国時代に北条氏に属した深沢氏がいた。【出典

■ 126位: 江原(えはら)
# 群馬県と埼玉県にまとまってみられる。前橋城下に米穀商の江原家があった。のちに、生糸商に転じて財を成した。【出典
# 群馬県内では高崎市多く見られる。【出典

■ 127位: 横山(よこやま)
# 本来は方位姓だが、武蔵七党横山党の末裔と伝える家が多い。群馬県内では北毛以外に広くみられ、とくに邑楽町や前橋市に多く見られる。【出典

■ 128位: 小山(こやま)
# 「小山」には「こやま」と「おやま」の二つの読みがあるが、群馬県内では97%が「こやま」読み。群馬県内では前橋市から吾妻郡にかけて多く見られる。榛東村では9位。【出典

■ 129位: 宮下(みやした)
# 現在は群馬県内に広くみられ、特に藤岡市や前橋市に多く見られる。【出典

■ 130位: 羽鳥(はとり): 群馬県の羽鳥家

■ 131位: 荒木(あらき): 群馬県の荒木家
# 群馬県内に広く見られるが、比較的渋川市周辺に多く見られる。【出典
# 中世、上野国群馬郡の武士に荒木氏がおり、白井長尾氏に属した。【出典
# 群馬県内では前橋市、太田市、渋川市に多く見られる。【出典

■ 132位: 太田(おおた) 
# 地名姓。群馬県内にはまんべんなくみられ、特にまとまって見られる地域は無い。【出典

■ 133位: 高野(たかの)
# 群馬県内にまんべんなくみられる。比較的、みどり市や大泉町に多く見られる。【出典

■ 134位: 白石(しらいし): 群馬県の白石家
# 群馬県内では西毛に多く見られ、特に安中市と富岡市にまとまってみられる。【出典

■ 135位: 津久井(つくい): 群馬県の津久井家
# 現在は、群馬県内では太田市、渋川市、桐生市などにまとまってみられる。【出典

■ 136位: 真下(ましも): 群馬県の真下家
# 群馬県に多く見られ、前橋市付近から安中市にかけてまとまってみられる。前橋市の旧粕川村では8位。また昭和村では9位。【出典
# 戦国時代、上野国甘楽郡の国衆に真下氏があった。武蔵国児玉郡真下(埼玉県本庄市児玉町真下)をルーツとし、武蔵七党の児玉党の一族。児玉弘行の子の基直が真下氏を称した。室町時代には幕府の奉行人をつとめた。戦国時代には上野国多胡郡に転じて、足利長尾氏に従い、真下城(群馬県藤岡市譲原)に拠った。1551年に北条氏によって落城し、のちに帰農した。【出典

■ 137位: 岡部(おかべ)
# 群馬県内では東毛にまとまってみられ、特に太田市に多く見られる。【出典
# 群馬県内の岡部氏は、武蔵七党の猪俣党の岡部氏の末裔という家が多い。【出典

■ 138位: 秋山(あきやま): 群馬県の秋山家
# 群馬県内では西毛地方に多く見られる。【出典
# 群馬県内では藤岡市と安中市に多く見られる。【出典

■ 139位: 川田(かわだ) 
# 群馬県内では東毛にまとまってみられ、太田市や千代田町に多く見られる。また、沼田市にも多く見られ、同地の川田氏は沼田氏の一族という。【出典

■ 140位: 田部井(たべい)
# 群馬県に多く見られ、全国の約半数弱が群馬県にみられる。上野国佐波郡田部井(群馬県伊勢崎市田部井)をルーツとする。同地は古くは「田部賀井」と書かれ、「ためがい」とも言われた。清和源氏の新田氏の庶流。新田義重の子孫の経氏が田部井を開発して、田部井氏を称した。1333年の分倍河原合戦で田部井泰寛が戦死した。戦国時代には上杉氏に属した。【出典
# 群馬県内では、前橋市から東毛にかけてまとまってみられる。【出典

■ 141位: 荻野(おぎの): 群馬県の荻野家
# 「植物のオギの生えている野」という意味の地形姓。群馬県板倉町と下仁田町に多く見られる。【出典

■ 142位: 大竹(おおたけ) 
# 中世、上野国利根郡上川田(群馬県沼田市)に大竹氏がいた。戦国時代には真田氏に属した。【出典
# 現在は、群馬県内では沼田市と片品村に多く見られる。【出典

■ 143位: 前原(まえばら) 
# 群馬県内では、前橋市から東毛にかけてまとまってみられる。特に桐生市に多く見られる。前橋市の旧宮城村では3位。【出典

■ 145位: 吉野(よしの)
# 群馬県内では前橋市付近から沼田市・利根郡にかけて多く見られる。川場村では3位、他には沼田市にも多く見られ、沼田市の旧利根村でも5位だった。【出典

■ 146位: 下山(しもやま)
# 群馬県内では東毛から西毛にかけておおくみられ、特に桐生市と富岡市にまとまってみられる。【出典

■ 147位: 村田(むらた)
# 地名姓で各地の地名に由来する。【出典
# 群馬県内では、上野国新田郡新田荘村田郷(群馬県太田市新田)をルーツとし、清和源氏の岩松氏の一族の村田氏がある。【出典
# 群馬県内では、広く見られるが、比較的東毛に多く見られる。【出典

■ 148位: 武藤(むとう): 群馬県の武藤家
# 藤原氏の一族の名字。武者所になった藤原氏に由来するとも、武蔵国の藤原氏に由来するとも言う。【出典
# そのほかに、群馬県内には武田氏の家臣の末裔という武藤家も多い。【出典
# 群馬県内では、現在は高崎市や太田市に多く見られる。【出典

■ 149位: 松田(まつだ): 群馬県の松田家

■ 150位: 大谷(おおたに)
# 地形姓。群馬県内では渋川市から東毛にかけてまとまってみられ、千代田町では8位。【出典

■ 151位: 都丸(とまる) 
# 群馬県特有の名字。全国の8割弱が群馬県にみられる。渋川市と前橋市にまとまってみられる。渋川市の旧赤城村では6位、旧北橘村では10位。【出典
# 群馬県の都丸家: 三国街道の金井宿(群馬県渋川市)の旧家。戦国時代に勢多郡から金井宿に移り住み、代々金井村の名主をつとめた。【出典

■ 152位: 中里(なかさと) 
# 群馬県内では、北毛を除いて広く見られる。【出典
# 戦国時代の後閑氏の重臣に中里氏があり、清和源氏新田氏の一族という。【出典
# 現在は、とくに前橋市と桐生市に多く見られる。【出典

■ 154位: 岸(きし)
# 地形姓。「岸」は海や川の水辺だけではなく、地形の大きな変わり目を指したという。【出典
# 群馬県内では、渋川市、吉岡町、高崎市に多く見られる。【出典

■ 155位: 滝沢(たきざわ)
# 長野県と新潟県に多く見られる。【出典
# 群馬県内では嬬恋村にまとまってみられる。同地の滝沢家は清和源氏新田氏の一族という。草津町と高崎市にも多く見られる。【出典

■ 156位: 阿久沢(あくざわ): 群馬県の阿久沢家
# 群馬県を代表する名字の一つ。全国の四分の三以上が群馬県に見られる。とくに前橋市にまとまってみられ、旧宮城村では4位、旧大胡町では5位。また、高崎市と伊勢崎市にも多く見られる。【出典
# 中世、上野国勢多郡に国衆の阿久沢氏がいた。永禄年間ころから黒川谷(群馬県桐生市黒保根町)の国衆として阿久沢左馬助の名が見える。【出典
# 上野国勢多郡柏倉(群馬県前橋市柏倉)の阿久沢一族は、もとは六本木氏だったが、黒保根の阿久沢氏から嫁を迎えたことから、阿久沢氏に改称したと伝える。【出典

■ 157位: 八木(やぎ)
# 群馬県内では北毛以外に広く見られる。高崎市、藤岡市、玉村町に多い。【出典

■ 158位: 高柳(たかやなぎ): 群馬県の高柳家
# 群馬県内では、伊勢崎市とみなかみ町にまとまってみられる。【出典

■ 159位: 酒井(さかい): 群馬県の酒井家
# 群馬県内でも各地に広くみられる。【出典

■ 160位: 神戸(かんべ): 群馬県の神戸家
# 群馬県内では西毛にまとまってみられ、下仁田町では2位。【出典
# 群馬県内では99%が「かんべ」読みだが、長野県では大半が「ごうど」読み。【出典】

■ 161位: 唐沢(からさわ) 
# 長野県に多く見られる。群馬県内では吾妻郡にまとまってみられる。【出典
# 水が涸れた沢である「からさわ」に由来するか?また、渋川市・高崎市を流れる唐沢川もあり、これに由来するものもあるか?【出典
# 中世の上野国吾妻郡に唐沢氏がいた。【出典

■ 162位: 飯野(いいの)
# 関東地方から山梨県や東北地方南部に多く見られる。【出典
# 群馬県内では西毛にまとまってみられ、とくに安中市に多く見られる。【出典
# 群馬県の飯野家: 高崎城下で高崎藩の掛屋も務めた豪商。中山道の高崎宿の茶屋本陣を務め、酒造業も行った。1741年に、高崎藩の御城方御材木御用・御払米御用役となり、1754年には10人扶持を与えられ、帯刀を許された。【出典

■ 163位: 大野(おおの) 
# 群馬県内では北毛を除いて広くみられ、特に邑楽町に多く見られる。【出典
# 古代、上野国山田郡に大野郷(群馬県桐生市付近か)があった。新撰姓氏録には上毛野氏の同族として大野氏の名がみえ、大野郷が本拠の可能性もある。【出典
# 中世には、上野国吾妻郡に大野氏がいた。【出典

■ 164位: 横田(よこた)
# 群馬県内では北毛を除いて広く見られ、とくに西毛に多く見られ、中でも富岡市や藤岡市にまとまってみられる。【出典

■ 165位: 小倉(おぐら) 
# 群馬県内では中毛から東毛にかけて多く見られ、とくにみどり市と桐生市にまとまってみられる。【出典

■ 166位: 石坂(いしざか)
# 群馬県内ではみなかみ町に多い。北毛に、源義経の家臣で平泉に落ちる途中で離れた石坂兄弟を祖とする石坂家が多い。【出典

■ 167位: 富田(とみた): 群馬県の富田家
# 群馬県では中毛から西毛にかけて多く見られ、とくに高崎市や富岡市に多い。【出典

■ 168位: 富岡(とみおか): 群馬県の富岡家
# 上野国邑楽郡の国衆に富岡氏がある。藤原北家秀郷流で、結城氏の一族。1489年に小泉城(群馬県大泉町)を築いた。五代目は小山高朝の子の重朝が継いで富岡秀朝(秀高)となった。上野国の国衆として北条氏に属し、1590年の豊臣秀吉の小田原攻めでは秀朝が館林城に籠城、石田三成に敗れて滅亡した。【出典
# 現在は、群馬県内に広くみられ、高崎市、太田市、甘楽郡などに多い。【出典

■ 169位: 内山(うちやま) 
# 群馬県内にまんべんなくみられるが、比較的伊勢崎市や玉村町に多く見られる。【出典

■ 170位: 原沢(はらさわ)
# 群馬県に多く見られ、全国の半数近くが群馬県にみられる。とくに、みなかみ町に多く、旧新治村では3位、旧月夜野町では4位。ほかに、吉岡町にも多く見られる。【出典
# 群馬県の原沢家: 上野国吾妻郡師田村(群馬県みなかみ町)で大黒屋を号した豪商。酒造業のほか、越後からの酒の中継もした。また、猿ヶ京で伐採された黒部板を江戸に売りさばく販売元でもあり、師田村の名主もつとめた。【出典

■ 171位: 宮田(みやた) 
# 神社の所有する田という意味の地形姓。【出典
# 群馬県内では広く分布するが、とくに沼田市、片品村、川場村に多く見られる。【出典

■ 173位: 安藤(あんどう)
# 藤原氏の末裔。「安藤」の「安」は安芸国に由来するとも、安倍氏に由来するとも言われ不詳。【出典
# 群馬県内では西毛に多く見られ、とくに高崎市や下仁田町に、まとまってみられる。【出典

■ 174位: 梅沢(うめざわ)
# 中世、上野国邑楽郡の地侍に梅沢氏がいた。群馬県太田市尾島町の旧家の梅沢家は藤原北家秀郷流という。【出典
# 現在は、群馬県では前橋市と片品村に多く見られる。【出典

■ 175位: 南雲(なぐも): 群馬県の南雲家
# 新潟県から群馬県にかけて多く見られる。【出典
# 群馬県内では渋川市、前橋市、吉岡町にまとまってみられる。【出典

■ 176位: 荻原(おぎわら) 
# 本来は水辺に生える植物である「オギ」が生えている原という意味の地形姓の「萩原」からの転字したものが多いという。【出典
# 群馬県内では東毛に多く見られ、とくに伊勢崎市とみどり市にまとまってみられる。なお、群馬県内では「おぎわら」読みが7割強、「おぎはら」読みが3割弱だが、全国的にはほぼ半々。176位は「おぎわら」読みだけの順位。【出典

■ 178位: 奈良(なら)
# 群馬県内では前橋市、渋川市、明和町にまとまって見られ、とくに明和町では2位。【出典

■ 179位: 柿沼(かきぬま): 群馬県の柿沼家
# 埼玉県を中心に関東地方にまとまってみられる。とくに、群馬県・埼玉県・茨城県の三県の県境付近に多く見られ、群馬県では東毛にまとまってみられる。【出典

■ 180位: 小板橋(こいたばし)
# 群馬県特有の名字で、西毛に多く見られる。安中市にまとまってみられる。【出典

■ 181位: 藤田(ふじた)
# 中毛から東毛にかけて多く見られる。戦国時代、上野国利根郡の沼田城(沼田市)主に藤田氏がいた。【出典
# 武蔵国榛沢郡の国衆で、猪俣党の藤田氏の一族。【出典

■ 182位: 湯浅(ゆあさ): 群馬県の湯浅家
# 群馬県内では、西毛に多く見られ、高崎市にまとまってみられる。また榛東村にも多い。【出典

■ 183位: 岩井(いわい) 
# 群馬県内では西毛にまとまって見られる。特に富岡市、下仁田町、南牧村に多い。下仁田町では6位。【出典
# 群馬県富岡市の岩井氏は藤原時平の子孫という。【出典

■ 184位: 久保(くぼ)
# 地形姓で、窪んだ土地を意味する「窪」に、佳字の「久保」をあてた。【出典
# 江戸時代、上野国の新町宿に本陣を務めた久保家があった。【出典
# 群馬県内では、広く見られるが、比較的西毛に多く見られる。【出典

■ 185位: 戸塚(とつか): 群馬県の戸塚家
# 群馬県高崎市周辺に多く見られる。【出典

■ 187位: 大山(おおやま)
# 地名姓で、各地に地名がある。群馬県内では高崎市、前橋市、伊勢崎市に多く見られる。【出典

■ 188位: 赤石(あかいし): 群馬県の赤石家
# 群馬県・青森県・北海道にまとまってみられる。【出典
# 群馬県内では、みどり市を中心に、前橋市から太田市にかけてまとまってみられる。みどり市の旧笠懸町では4位。【出典
# 群馬県の赤石家: みどり市の旧笠懸町の赤石家は金山城主の岩松氏純の家臣の赤松筑後守政重の末裔という。【出典

■ 190位: 大川(おおかわ) : 群馬県の大川家
# 地形由来の名字。群馬県内では東毛に多く、特に桐生市、太田市、邑楽町にまとまってみられる。【出典

■ 191位: 入沢(いりさわ)
# 群馬県内では片品村と川場村にまとまってみられる。片品村では4位。【出典
# 中世、上野国群馬郡の地侍に入沢氏があり、信濃国の出という。【出典

■ 192位: 亀井(かめい)
# 群馬県内では中毛から東毛にかけて多く見られ、伊勢崎市、みどり市、太田市などにまとまってみられる。【出典

■ 193位: 早川(はやかわ)
# 群馬県内では中毛から東毛にかけて多く見られ、とくに館林市にまとまって見られる。戦国時代北条氏に属して厩橋(前橋)代官を務めた早川氏がいた。【出典

■ 194位: 岩田(いわた): 群馬県の岩田家
# 現在は、群馬県内では前橋市付近にまとまってみられる。【出典

■ 196位: 堤(つつみ): 群馬県の堤家
# 地形姓。群馬県内には広く見られ、昭和村では6位。【出典

■ 197位: 宮沢(みやざわ) 
# 群馬県内では北毛以外に広く分布し、特に高崎市や玉村町に多く見られる。【出典

■ 198位: 阿久津(あくつ) 
# 群馬県内では中毛と東毛にまとまってみられる。特に伊勢崎市に多く見られる。【出典

■ 199位: 菊地(きくち) 
# 関東地方以北にみられる。【出典
# 群馬県内では東毛から西毛にかけて多く見られ、特に太田市や伊勢崎市にまとまってみられる。高崎市には地名もある。【出典

■ 200位: 金田(かねだ)
# 群馬県内では西毛にまとまってみられる。特に高崎市、甘楽町、富岡市に多い。【出典

■ 201位: 工藤(くどう)
# 藤原氏の末裔。平安時代、藤原南家の為憲が木工助となり、木工助の「工」と藤原氏の「藤」を合わせて工藤氏を称した。六代維職のときに伊豆の押領使となって下向、伊東氏を称したが、曽孫の祐経のときに工藤氏に復した。子孫は駿河国を中心に東国に土着して武士化した。【出典
# 群馬県内では西毛に多く見られ、南牧村では3位。【出典

■ 202位: 長井(ながい)
# 群馬県内では、高崎市と前橋市にまとまってみられる。【出典

■ 203位: 大河原(おおかわら)  
# 群馬県内では西毛に多く見られ、富岡市、甘楽町、下仁田町にまとまってみられる。【出典
# 中世、上野国の那波氏の家臣に大河原氏がいた。江戸時代には松井田宿に大河原屋を号して、安中藩の御用達だった大河原家があった。【出典

■ 204位: 岡本(おかもと)
# 西日本に多く見られ、群馬県にはあまり多くない。【出典
# 群馬県内の「岡本」は上野国甘楽郡岡本郷(群馬県富岡市岡本)がルーツ。平安時代には在庁官人で、鎌倉時代には御家人。北条氏とともに没落した。【出典
# 群馬県内では中毛から西毛にかけて広く分布する。【出典

■ 205位: 平井(ひらい)
# 群馬県内にはまんべんなく見られるが、比較的、高崎市、沼田市、藤岡市などに多く見られる。【出典

■ 206位: 落合(おちあい) 
# 落合とは川の合流部を指し、こうした場所にちなむ地形姓。【出典
# 沖縄県を除いて広くみられる。【出典
# 群馬県内では高崎市に多く見られる。【出典

■ 207位: 柴崎(しばさき)
# 関東地方の名字で、群馬県から埼玉県北部にかけて多く見られる。埼玉県では深谷市や寄居町に多く見られる。【出典
# 群馬県内では、渋川市、吉岡町、前橋市などにまとまってみられる。【出典
# 上野国群馬郡柴崎村(群馬県高崎市)をルーツとするか。【出典

■ 208位: 浅見(あさみ)
# 埼玉県秩父市を中心に、関東地方西部に広がってみられる。「あさみ」読みの漢字の中で、一番多いのが「浅見」。【出典
# 群馬県内では、藤岡市にまとまってみられる。【出典

■ 210位: 金沢(かなざわ): 群馬県の金沢家

■ 211位: 飯田(いいだ) 
# 関東地方から東海地方にかけて多く見られる。【出典
# 群馬県内では東毛に多く見られ、とくに太田市にまとまってみられる。【出典

■ 212位: 細野(ほその)
# 群馬県内では前橋市と伊勢崎市にまとまってみられる。【出典
# 草津温泉を発見して源頼朝から「湯本」の名字を授けられた御殿介の元の名字が「細野」だった。【出典

■ 213位: 千明(ちぎら): 群馬県の千明家

■ 214位: 設楽(したら)
# 群馬県内では、前橋市、高崎市、藤岡市に多く見られる。【出典

■ 215位: 柴田(しばた)
# 群馬県内では、前橋市と高崎市に多く見られる。【出典

■ 217位: 浦野(うらの) 
# 上野国吾妻郡の手子丸城(群馬県東吾妻町大戸)城主に浦野氏がいた。信濃国の浦野氏の一族で、鎌倉時代中期頃に吾妻郡に移り住んだという。大戸氏ともいう。【出典
# 群馬県内では、高崎市、東吾妻町、邑楽町に多く見られる。【出典

■ 219位: 綿貫(わたぬき)
# 関東地方から信越地方にかけての名字で、群馬県にもっとも多い。【出典
# 群馬県内の綿貫は、上野国群馬郡綿貫保(群馬県高崎市)をルーツとする。南北朝時代には新田氏に従った。室町時代には上杉氏に属し、一族は江戸時代には米沢藩士。【出典
# 群馬県内では、東毛を除いて広く見られ、とくに中之条町では8位。【出典

■ 220位: 神宮(じんぐう) 
# 群馬県に多く見られる。全国の四割以上が群馬県にみられ、西毛にまとまってみられる。中世、松井田にいた神宮氏は信濃国の出と言う。また妙義町の神宮氏は伊勢神宮の出と言う。【出典

■ 222位: 広瀬(ひろせ)
# 群馬県内では、北毛を除いてひろく見られ、高崎市と太田市に多く見られる。【出典

■ 223位: 三浦(みうら)
# 相模国三浦郡三浦(神奈川県横須賀市)をルーツとする。桓武平氏の出で、為継は源義家に従って、後三年の役で香をあげた。以後、代々清和源氏に属して嫡流は「三浦大介」と称し、一族は全国に拡がった。【出典
# 群馬県内では、高崎市に多く見られる。【出典

■ 224位: 長岡(ながおか)
# 中毛から西毛にかけて広く見られ、特に甘楽町にまとまってみられる。【出典

■ 225位: 渋沢(しぶさわ)
# 群馬県、埼玉県、長野県にまとまってみられる。【出典
# 群馬県内では東毛に多く見られ、特に伊勢崎市と太田市にまとまってみられる。【出典
# 戦国時代、女淵郷(群馬県前橋市粕川町)に渋沢氏がいた。【出典

■ 226位: 長沢(ながさわ)
# 地形姓。東日本一帯に広く見られる。群馬県内では中毛と東毛にまとまってみられ、特に桐生市とみどり市に多い。【出典

■ 227位: 大橋(おおはし) 
# 群馬県内では前橋市や伊勢崎市に多く見られる。【出典

■ 229位: 細谷(ほそや)
# 上野国新田郡細谷(群馬県太田市細谷)をルーツとする。清和源氏の出で、新田政氏の子の国氏が細谷氏を称した。現在は伊勢崎市と邑楽町に多く見られる。【出典

■ 230位: 北村(きたむら)
# 群馬県内では、高崎市、太田市、板倉町に多く見られる。【出典

■ 233位: 森下(もりした) 
# 戦国時代、上野国勢多郡の国衆に森下氏がいた。森下三河守が森下城(群馬県昭和村)に拠り、真田昌幸に属した。【出典
# 群馬県内では、現在は桐生市付近に多く見られる。【出典

■ 237位: 塚田(つかだ) 
# 群馬県内では、前橋市と高崎市に多く見られる。高崎市の旧群馬町には地名もあり、ここをルーツとするものが多いか。【出典

■ 243位: 樺沢(かばさわ)
# 群馬県と新潟県にまとまってみられる。群馬県内では前橋市にまとまってみられ、旧富士見村では最多姓。富士見村の樺沢氏は、もとは佐藤氏といい、東北地方から移り住んだという。【出典

■ 244位: 青柳(あおやぎ): 群馬県の青柳家
# 地名姓で各地にみられる。
# 中世、上野国邑楽郡青柳郷(群馬県館林市)を本拠とした青柳氏があり、藤原北家秀郷流の出と言う。【出典
# 上野国勢多郡青柳村(群馬県高崎市)を本拠とした長野氏の家臣の青柳氏もあった。江戸時代には帰農して村役人をつとめた。【出典

■ 248位: 小金沢(こがねざわ) 
# 群馬県では西毛にまとまってみられ、南牧村では2位。下仁田町では9位。【出典

■ 249位: 高瀬(たかせ) 
# 上野国甘楽郡高瀬(群馬県富岡市)をルーツとする。同地の草分けの末裔と伝え、戦国時代には武田氏に仕えた。【出典
# 群馬県の高瀬家: 上野国邑楽郡大久保村(群馬県板倉町)の豪農。代々、仙右衛門を称して名主をつとめた。江戸時代後期の当主は「合の川政五郎」と称した博徒の親分でもあった。【出典
# 群馬県内では、東毛に多く見られ、とくに板倉町とみどり市にまとまってみられる。【出典

■ 250位: 神保(じんぼ)
# 上野国多胡郡神保(群馬県高崎市吉井町)をルーツとする。越中国の戦国大名も一族。【出典
# 群馬県内では高崎市や中之条町などに多く見られる。【出典

■ 251位: 相川(あいかわ): 群馬県の相川家
# 関東地方と長崎県に多く見られる。【出典
# 群馬県富岡市の相川氏は、中世の南蛇井氏の子孫という。【出典
# 群馬県内では西毛に多く、とくに富岡市と甘楽町にまとまってみられる。【出典

■ 260位: 高井(たかい)
# 中世、上野国群馬郡高井(群馬県前橋市)を本拠とした高井氏がいた。【出典
# 高崎市柴崎町の進雄(すさのお)神社神官にも高井氏があった。牛頭天王と言われた室町時代から代々神職をつとめた。【出典
# 群馬県内では沼田市や川場村に多い。【出典

■ 264位: 服部(はっとり) 
# 群馬県内では、東毛に多く見られ、とくに太田市や大泉町にまとまってみられる。【出典

■ 266位: 坂田(さかた) 
# 上野国邑楽郡坂田郷(群馬県大泉町)をルーツとする。金山城(群馬県太田市)に拠り、由良氏に従った。戦国時代には北条氏に属し、江戸時代には米倉氏に仕えて六浦藩士。群馬県では東毛から高崎市にかけて多く見られる。【出典

■ 272位: 須賀(すが)
# 戦国時代、上野国の倉賀野衆の有力一族に須賀氏がいた。橘姓。江戸時代、中山道の倉賀野宿の脇本陣兼倉賀野河岸の船積問屋をつとめた須賀家は末裔。【出典
# ほかに、武蔵七党の横山党の一族の須賀氏の末裔も多いという。【出典
# 群馬県内では、西毛から中毛にかけて多く見られる。【出典

■ 275位: 石倉(いしくら): 群馬県の石倉家
# 上野国群馬郡石倉(群馬県前橋市石倉町)をルーツとし、沼田氏の一族。石倉城に拠り、室町時代には白井長尾氏に属した。江戸時代には松代藩士。【出典
# 現在は、群馬県前橋市と伊勢崎市、吉岡町に多い。【出典

■ 278位: 諸田(もろた)

■ 283位: 藤生(ふじう、ふじゅう、ふじお) 
# 群馬県特有の名字。桐生市付近にまとまってみられる。【出典
# 群馬県の藤生家: 上野国山田郡広沢郷(群馬県桐生市広沢町)の旧家に藤生家がある。戦国時代には桐生城の家老だったと伝え、江戸時代には機業家。【出典
# 旧赤堀町を中心に「ふじゅう」とも読み、太田市の旧藪塚本町などでは「ふじお」とも読む。【出典
# 群馬県の藤生家: 桐生市の旧家。戦国時代には桐生城の家老を務めた。【出典】 

■ 284位: 諏訪(すわ)
# 長野県諏訪地方をルーツとする。同地に古代から栄えた諏訪氏の一族と伝えるものが多い。【出典
# 群馬県内では東毛にまとまってみられる。とくに伊勢崎市と桐生市に多く見られる。【出典

■ 285位: 湯本(ゆもと): 群馬県の湯本家
# 群馬県内では、現在も吾妻郡を中心に西毛にかけて多く見られ、とくに長野原町では8位。草津町では9位。【出典

■ 291位: 反町(そりまち)
# 群馬県・新潟県・埼玉県の三県に多く見られ、群馬県内では高崎市にまとまってみられる。【出典
# 中世、上野国新田郡反町(群馬県太田市新田町)を本拠とする武士に反町氏がおり、新田氏の同族という。戦国時代に帰農し、江戸時代には代々群馬郡京目村(群馬県高崎市)の名主をつとめた。【出典

■ 292位: 宮本(みやもと)
# 群馬県内では、太田市に多く見られる。【出典

■ 293位: 志村(しむら)
# 群馬県内では高崎市から太田市にかけてみられる。【出典

■ 295位: 田辺(たなべ)
# 群馬県内では、吾妻郡を除いて広く見られる。【出典

■ 309位: 内藤(ないとう) 
# 群馬県内では、まんべんなくみられる。【出典

■ 310位: 金谷(かなや): 群馬県の金谷家
# 上野国の国衆に、上野国新田荘金谷(群馬県太田市)をルーツとする金谷氏があり、現在も太田市にまとまってみられる。清和源氏の出で、大館家氏の孫の重氏が祖。戦国時代は、由良氏の重臣。子孫は、江戸時代には今泉村(桐生市)で帰農した。【出典

■ 323位: 上村(かみむら)
# 群馬県内では、高崎市から太田市にかけて多く見られる。【出典

■ 325位: 小保方(おぼかた) 
# 中世、上野国利根郡川田(群馬県沼田市)の国衆に小保方氏がいた。現在も伊勢崎市周辺にまとまってみられる。【出典

■ 328位: 川上(かわかみ)
# 群馬県内では北毛をのぞいて広く見られる。【出典

■ 329位: 田沼(たぬま)
# ルーツは、下野国安蘇郡田沼(栃木県佐野市田沼)で、藤原北家秀郷流佐野氏の庶流の田沼氏が知られる。中世、上野国勢多郡女淵郷(群馬県粕川村)にいた田沼氏も同族か。【出典
# 群馬県内では、埼玉県や栃木県の県境付近の東毛にまとまってみられる。【出典

■ 335位: 小淵(おぶち)

■ 338位: 平形(ひらかた)
# 群馬県特有の名字で、全国の6割以上が群馬県にみられる。【出典
# 群馬県の平形家: 三国街道中山宿(群馬県高山村中山)の旧家。戦国時代には平形丹波を称して、中山城に拠った。中山城の落城後、中山宿に土着。江戸時代には中山宿本宿の郷左衛門家(平形丹波家)と徳右衛門家(平形和泉家)、分家して新田宿を開いた作右衛門家の三家に分かれ、両宿の本陣・問屋をつとめた。【出典
# 群馬県内では、北毛に広くみられ、高山村では3位。また渋川市にも多く見られる。【出典

■ 343位: 長沼(ながぬま): 群馬県の長沼家
# 群馬県内では、伊勢崎市にまとまってみられ、前橋市や太田市にも多く見られる。【出典

■ 344位: 峯岸(みねぎし) 
# 「岸」とは大きく地形が変化する場所を指し、「峯岸」は山の頂から落ち込む崖地を指すか。【出典
# 関東地方から宮城県にかけて分布し、群馬県内では北毛以外に広くみられ、特に桐生市にまとまってみられる。【出典
# 「峰岸」とも書き、これは県内順位407位。【出典

■ 346位: 加部(かべ): 群馬県の加部家
# 群馬県特有の名字。高崎市から吾妻郡にかけてまとまってみられる。吾妻郡大戸に豪農の加部家があった。平広常の末裔と伝え、1558年に大戸に来て、以後土着した。江戸時代には大戸関の関所役人を世襲し、金融業や酒造業も営んで、同地を代表する豪商であった。【出典

■ 352位: 女屋(おなや) 
# 群馬県特有の名字で全国の4分の3以上が群馬県にみられる。上野国勢多郡女屋(群馬県前橋市)をルーツとし、現在も前橋市にまとまってみられる。【出典

■ 358位: 板橋(いたばし)
# 東毛にまとまってみられる。群馬県内では勢多郡板橋(群馬県桐生市新里)をルーツとする。戦国時代は由良氏に仕えた。江戸時代は只上村(群馬県太田市)の名主となった。【出典

■ 360位: 藤巻(ふじまき): 群馬県の藤巻家
# 関東地方西部から甲信越地方にまとまってみられる。群馬県内では高崎市と安中市にまとまってみられる。【出典

■ 363位: 矢内(やない)
# 伊勢崎市にまとまってみられる。新田氏の一族という。江戸時代には農家の傍ら質屋もつとめ、伊勢崎藩の御用達でもあった。なお、群馬県内では、ほぼ「やない」読みだが、東京では「やうち」とも読む。【出典

■ 376位: 吉川(よしかわ)
# 群馬県内には北毛を除いて広く見られる。【出典

■ 381位: 神田(かんだ)
# 群馬県内では藤岡市や太田市に多く見られる。【出典

■ 390位: 渋谷(しぶや)
# 桓武平氏の出で、相模国渋谷荘をルーツとする渋谷氏は、鎌倉時代に上野国にも所領を持ったことから、群馬県内の渋谷氏はその末裔か?【出典
# 群馬県内にはまんべんなく見られる。【出典

■ 397位: 干川(ほしかわ) 
# 群馬県独特の名字。全国の四分の三以上は群馬県にみられ、その大半は嬬恋村にまとまってみられる。源頼朝が巻狩をした際に、住民が川を干して魚を献上したことから、「干川」の名字を賜ったという。現在、嬬恋村では3位。【出典

■ 398位: 戸丸(とまる) 

■ 401位: 鹿沼(かぬま)
# 下野国都賀郡鹿沼(栃木県鹿沼市)をルーツとする。現在は栃木県よりも群馬県に多く見られる。【出典
# 群馬県内では前橋市と伊勢崎市にまとまってみられる。【出典

■ 402位: 水野(みずの): 群馬県の水野家
# 現在は群馬県内に広く見られる。【出典

■ 406位: 原島(はらしま)
# 埼玉県秩父地方を中心に、東京都奥多摩から群馬県東部にかけてみられる。宣化天皇の末裔という多治比氏の子孫である、武蔵七党の丹党の一族で、武蔵国大里郡原島村(埼玉県熊谷市)をルーツとする。【出典
# 群馬県内では、太田市にまとまってみられる。【出典

■ 418位: 桐生(きりゅう): 群馬県の桐生家

■ 420位: 小井土(こいど):無
# 群馬県に多く見られる。群馬県内では西毛に多く見られ、県内の半数は下仁田町にまとまってみられる。下仁田町では9位。なお、富岡市などでは「小井戸」とも書く。【出典

■ 425位: 白井(しらい) 
# 上野国群馬郡白井荘(群馬県渋川市)の武士に白井氏がいた。桓武平氏の千葉氏の出。義胤が白井山田に住んで白井氏を称した。子の胤時のときに西国に転じた。【出典
# 群馬県内では、まんべんなくみられる。【出典

■ 427位: 兵藤(ひょうどう)
# 群馬県渋川市にまとまってみられる。藤原北家秀郷の末裔と伝える。【出典

■ 437位: 尾内(おない)
# 群馬県に多く見られ、太田市と伊勢崎市にまとまってみられる。金山城主の由良氏の家臣の尾内勘解由を祖とする。江戸時代には代々、田部井村(群馬県伊勢崎市)の名主を務めた。【出典

■ 444位: 藤原(ふじわら)
# 源平藤橘と言われる四大姓の一つ。【出典
# 群馬県内では、前橋市と高崎市に多く見られる。【出典

■ 451位: 小野沢(おのざわ) 
# 関東地方西部から信越地方にかけて多く見られる。室町時代の岩松氏の家臣に小野沢氏がいた。【出典
# 群馬県内では、現在は北毛を除いて広くみられる。【出典

■ 459位: 森尻(もりじり)
# 群馬県と栃木県に多く見られ、全国の半数以上が群馬県に見られ、その大半は太田市にまとまってみられる。また館林市や明和町にもみられる。【出典
# 群馬県の森尻家: 甲斐源氏の末裔と伝え、江戸時代は上野国邑楽郡大島村(群馬県明和町)の名主を務めた。【出典

■ 465位: 園田(そのだ) 
# 中世、上野国山田郡園田御厨(群馬県太田市・桐生市)をルーツとする。園田氏がいた。藤原北家秀郷流で藤姓の足利氏の庶流という。鎌倉時代には御家人。戦国時代には由良氏に属した。1590年の豊臣秀吉の小田原攻めで由良氏が没落、園田氏も滅亡した。【出典
# 群馬県内では桐生市に多く見られる。【出典

■ 479位: 蓮見(はすみ)
# 関東地方の名字で、埼玉県と群馬県の県境付近に多く見られる。【出典
# 群馬県内では板倉町にまとまってみられる。【出典

■ 489位: 小渕(おぶち)

■ 493位: 河内(かわうち)
# 川に囲まれた場所に由来する地形姓。【出典
# 「河内」には、「かわうち」や「かわち」「こうち」などの読み方があるが、群馬県内では圧倒的に「かわうち」読みが多い。【出典


■ 藍原(あいはら): 群馬県の藍原家

■ 赤井(あかい): 群馬県の赤井家
# 戦国時代、邑楽郡の国衆に赤井氏がいた。文屋氏の出か?文明年間には館林城主として赤井高秀の名が見える。子の重秀は古河公方の足利政氏に従った。1570年に照景のときに、長尾顕微長に追われて滅亡した。【出典
# 群馬県内では、沼田市に多く見られる。【出典

■ 赤岩(あかいわ): 群馬県の赤岩家
# 上野国邑楽郡の国衆に赤岩氏がいた。藤原北家の出で、藤原小黒麿の子の資綱が佐貫氏を称し、その子の嗣綱が赤岩城(群馬県千代田町赤岩)を築いて赤岩氏を称したのが祖。【出典

■ 赤堀(あかぼり): 群馬県の赤堀家
# 中世、上野国佐位郡の国衆に赤堀氏がいた。佐位郡赤堀(群馬県伊勢崎市)をルーツとし、藤原北家秀郷流の足利氏の庶流。赤堀城に拠った。【出典
# 戦国時代には由良氏の家臣に赤堀上野守の名が見える。【出典
# 江戸時代には、上野国佐位郡今井村(群馬県伊勢崎市赤堀町)に旧家の赤堀家があった。国衆の赤堀氏の末裔。江戸時代には代々今井村の名主を務めた。【出典
# 群馬県内では、現在も伊勢崎市周辺にみられる。【出典

■ 秋間(あきま): 群馬県の秋間家  

■ 秋元(あきもと): 群馬県の秋元家

■ 阿久沢(あくさわ): 群馬県の阿久沢家

■ 浅香(あさか): 群馬県の浅香家: 上野国新羽(群馬県多野郡上野村)の旧家。木曽義仲の末裔で、河内国浅香郷(大阪府)をルーツとする。戦国時代には武田家に従い、武田家が滅亡後には帰農した。【出典】 

■ 朝倉(あさくら)
# 上野国の古代豪族に朝倉氏がいた。上野国那波郡朝倉郷(群馬県前橋市朝倉町)をルーツとし、上毛野氏の一族。姓は公。【出典
# 群馬県内では現在は桐生市に多く見られる。【出典

■ 阿部(あべ): 群馬県の阿部家

■ 天田(あまだ): 群馬県の天田家

■ 荒川(あらかわ): 群馬県の荒川家

■ 安中(あんなか): 群馬県の安中家
# 現在は少なく、高崎市などにみられる。【出典

■ 飯塚(いいづか): 群馬県の飯塚家

■ 飯野(いいの): 群馬県の飯野家

■ 石倉(いしくら): 群馬県の石倉家  

■ 板垣(いたがき): 群馬県の板垣家

■ 板倉(いたくら): 群馬県の板倉家

■ 市場(いちば)
# 群馬県内では、山田郡市場(群馬県太田市)をルーツとする市場氏があり、室町時代には岩松氏に属した。現在は嬬恋村にまとまってみられる。【出典

■ 伊能(いよく): 群馬県の伊能(いよく)家

■ 岩松(いわまつ): 群馬県の岩松家

■ 梅原(うめはら)
# 上野国佐貫荘梅原郷(群馬県明和町)をルーツとする。藤原北家秀郷流佐貫氏の庶流。【出典
# 現在は、群馬県内に点在する。【出典

■ 江口(えぐち) 
# 上野国邑楽郡江口(群馬県邑楽郡明和町)をルーツとする。藤原北家秀郷流の佐貫氏の庶流。【出典
# 現在は、群馬県内では前橋市や高崎市に多く見られる。【出典

■ 江田(えだ): 群馬県の江田家
# 群馬県内では東毛にまとまってみられ、とくに館林市に多く見られる。【出典】 

■ 大胡(おおご): 群馬県の大胡家

■ 大河内(おおこうち): 群馬県の大河内家
# 高崎藩主の大河内家は、三河国額田郡大河内(愛知県岡崎市)をルーツとし、清和源氏頼光流。源頼政の孫の顕綱が大河内郷に住んで大河内氏を称した。のちに足利義氏に仕えた。【出典
# 群馬県内には少ないが、桐生市やみどり市にみられる。【出典

■ 大島(おおしま): 群馬県の大島家

■ 大竹(おおたけ): 群馬県の大竹家

■ 大館(おおだて): 群馬県の大館家
# 上野国新田郡大館(群馬県太田市大館)をルーツとし、清和源氏の新田氏の一族。新田政義の二男の家氏が大館氏を称した。子の宗氏は新田義貞の鎌倉攻めに従って戦死したが、義冬の時に室町幕府に仕えた。以後、代々奉公衆を務め、足利義政の乳人として勢力を振るった今参局も一族。【出典
# 現在は、群馬県内には少ない。【出典

■ 大前(おおまえ)
# 上野国吾妻郡大前ノ保(群馬県嬬恋村)をルーツとする。古くは「おおまや」と読んだという。現在は、高崎市にまとまってみられる。【出典

■ 大室(おおむろ)
# 上野国勢多郡大室(群馬県前橋市)をルーツとし、藤原姓の足利氏の一族か。現在は、埼玉県にまとまってみられ、群馬県内には少ない。【出典

■ 岡本(おかもと): 群馬県の岡本家

■ 岡谷(おかや)
# 上野国利根郡岡谷村(群馬県沼田市)をルーツとし、沼田氏の一族。なお、館林藩の重臣の岡谷家は「おかのや」と読んだ。現在は群馬県内には少なく、沼田市などにみられる。【出典

■ 奥平(おくだいら): 群馬県の奥平家

■ 小野里(おのさと): 群馬県の小野里家 

■ 小幡(おばた): 群馬県の小幡家

■ 折田(おりた): 群馬県の折田家

■ 恩田(おんだ): 群馬県内では館林市に多く見られる。

■ 書上(かきあげ)
# 群馬県特有の名字。上野国佐位郡書上村(群馬県伊勢崎市)をルーツとする。江戸時代には桐生新町の名主を務めた。現在は、前橋市にまとまってみられる。【出典
# また「撹上」とも書き、桐生市には旧家の撹上家がある。【出典

■ 掛川(かけがわ) 
# 長野県の佐久地方に多く見られる。群馬県内では西毛にまとまってみられ、特に富岡市・下仁田町・南牧村に多く見られる。甲斐源氏の末裔で、もとは武田氏の家臣だった。【出典

■ 梶山(かじやま): 群馬県の梶山家

■ 片山(かたやま): 群馬県の片山家

■ 勝山(かつやま) : 群馬県の勝山家
# 群馬県内では前橋市に多く見られる。【出典

■ 金谷(かなや): 群馬県の金谷家

■ 河合(かわい): 群馬県の河合家
# 川の合流地点に因む。群馬県内ではみなかみ町にまとまってみられる。【出典

■ 鎌原(かんばら): 群馬県の鎌原家
# 現在は群馬県内には極めて少なく、長野県に多く見られる。【出典

■ 木暮(きぐれ)
# 群馬県特有の名字。「木暮」は「こぐれ」と読むことが多いが、群馬県の旧赤城村(渋川市)にまとまってみられる「木暮」は「きぐれ」読み。また伊勢崎市付近でも「きぐれ」読みが多い。群馬県全体では約3割弱が「きぐれ」読み。【出典

■ 木嶋(きじま)
# 群馬県の木嶋家: 前橋城下の豪商。菅原姓で、南北朝時代の季家が祖。代々、上野国に住んで、戦国時代には北条氏直のもとで、群馬・勢多両郡の商人を支配した。江戸時代にも前橋藩の商人頭をつとめた。【出典

■ 北爪(きたづめ): 群馬県の北爪家

■ 木部(きべ)
# 群馬県前橋市や高崎市にみられる。【出典
# 中世、上野国緑野郡の国衆に木部氏がいた。緑野郡木部(群馬県高崎市)をルーツとし、古河公方の足利成氏に仕えた。1563年の武田信玄の上野侵攻の際に木部城が落ち、範虎は岳父の長野業政の箕輪城に逃れた。のちに、武田氏に仕え、1582年に天目山で討ち死にした。子の貞朝は北条氏に仕え、豊臣秀吉の小田原攻めで討ち死にした。【出典

■ 熊川(くまがわ)
# 群馬県嬬恋村にまとまってみられる。【出典
# 群馬県内の大半は嬬恋村にみられ、同村では9位。【出典
# 群馬県の熊川家: 嬬恋村今井の熊川家は、もとは真田氏の家臣で、狩宿(群馬県長野原町)に住んで、近くを流れる熊川にちなんで熊川氏を称した。【出典
# 群馬県の熊川家: 嬬恋村で名主を務めた。信濃国の出で木曽義仲の末裔とも言う。【出典

■ 倉賀野(くらかの): 群馬県の倉賀野家
# 群馬県では、現在は前橋市にみられる。【出典

■ 群馬(ぐんま): 群馬県の群馬家

■ 毛塚(けづか)
# 栃木県南西部の名字で、群馬県内では館林市にまとまってみられる。【出典
# 群馬県の毛塚家: 館林市の旧家で、代々茂平時治を称して酒造業を営んだ。【出典

■ 上泉(こういずみ): 群馬県の上泉家

■ 後閑(ごかん): 群馬県の後閑家

■ 古美門(こみかど): 群馬県の古美門家

■ 西窪(さいくぼ)

■ 境野(さかいの)

■ 桜井(さくらい)
# 上野国の東毛地方の国衆に桜井氏がいた。鎌倉時代末期から知られ、戦国時代には武蔵国・常陸国にも進出した。のちに、北条氏に属した。【出典
# 群馬県内では東毛から西毛にかけてまとまってみられ、特に高崎市と安中市にまとまってみられる。【出典

■ 里見(さとみ)
# 上野国碓井郡里見郷(群馬県高崎市)をルーツとする。清和源氏の出で、新田義重の子の義俊が里見郷に住んで里見氏を称した。子の義成は源頼朝に仕えて御家人となった。安房国の戦国大名の里見氏は末裔。【出典
# 群馬県では、現在は下仁田町に多く見られる。【出典

■ 佐貫(さぬき): 群馬県の佐貫家

■ 渋川(しぶかわ): 群馬県の渋川家

■ 下田(しもだ): 群馬県の下田家: 上野国群馬郡西明屋村(群馬県高崎市箕郷町)の旧家。伊豆国下田(静岡県下田市)の出で、戦国時代には長野氏の重臣。【出典】 

■ 正田(しょうだ): 群馬県の正田家

■ 白倉(しらくら): 群馬県の白倉家 
# 武蔵七党の児玉党の出で、上野国甘楽郡白倉(群馬県甘楽町白倉)をルーツとする。秩父行弘の子の成季が白倉氏を称した。室町時代には山内上杉氏の重臣であった。戦国時代には、武田氏、北条氏に従い、1590年の豊臣秀吉の小田原攻めの際、重家が小田原城に入って戦い滅亡した。【出典
# 群馬県には、現在は少ないが、県内にまんべんなくみられる。【出典

■ 菅谷(すがや): 群馬県の菅谷家
# 群馬県にはあまり多く見られない。【出典

■ 須藤(すとう・すどう): 群馬県の須藤家

■ 瀬下(せじも)
# 群馬県内では、現在は前橋市や高崎市に多く見られる。【出典

■ 世良田(せらた): 群馬県の世良田(せらだ)家

■ 多比良(たいら): 群馬県の多比良家

■ 高尾(たかお)
# 群馬県内では、甘楽郡高尾(富岡市上高尾・下高尾)の武士に高尾氏がいた。【出典
# 群馬県内では、現在は東毛から西毛にかけてみられる。【出典

■ 高草木(たかくさき): 群馬県の高草木家

■ 高田(たかだ): 群馬県の高田家

■ 高林(たかばやし)
# 上野国邑楽郡高林(群馬県太田市)をルーツとする。清和源氏新田氏の庶流に高林氏がある。【出典
# 群馬県内では、現在は安中市と富岡市にまとまってみられる。【出典

■ 竹腰(たけごし): 群馬県の竹腰家

■ 竹林(たけばやし)
# 清和源氏里見氏の一族に、新田郡竹林をルーツとする竹林氏がいた。【出典
# 現在、群馬県内には少ないが、高崎市周辺にみられる。【出典

■ 多胡(たご) 
# 群馬県に多く見られ、多胡郡多子(群馬県高崎市吉井町多胡)をルーツとする。津和野藩の家老の多胡家は末裔。【出典
# 群馬県内では、現在は安中市と高崎市にまとまってみられる。【出典

■ 田部井(たべい): 群馬県の田部井家

■ 田山(たやま): 現在は群馬県内には点在する。

■ 築比地(ついひじ): 現在も邑楽郡から太田市にかけてまとまってみられる。「対比地」とも書く。【出典

■ 月岡(つきおか): 群馬県の月岡家
# 群馬県内には少なく、各地に点在する。【出典】  

■ 堤(つつみ): 群馬県の堤家

■ 鶴淵(つるぶち)
# 群馬県に多く見られる。戦国時代、沼田氏の家臣に鶴淵氏がいた。現在も沼田市白沢町にまとまってみられる。【出典

■ 勅使河原(てしがわら)
# 武蔵国賀美郡勅使河原(埼玉県児玉郡上里町勅使河原)をルーツとする。武蔵七党の丹党の一つ。漢字は「勅使河原」と「勅使川原」が多い。前橋市から富岡市にかけてまとまってみられる。【出典

■ 寺尾(てらお): 群馬県の寺尾家
# 上野国片岡郡寺尾郷(群馬県高崎市)をルーツとする武家。鎌倉時代には幕府の御家人で、室町時代には上杉氏に従い、1401年に寺尾憲清は伊豆守護代を務めた。【出典
# 現在は、群馬県内には少なく、各地に点在する。【出典

■ 土岐(とき): 群馬県の土岐家
# 沼田藩主の名字。土岐氏の一族で、美濃国土岐郡明智に住んで、明智氏を称していたが天文年間に土岐頼芸と斎藤道三との合戦で定明が討ち死にしたため、幼少の定政は母方の親類を頼って三河国に逃れ、母方の叔父の菅沼定仙のもとで成長した。明智光秀と同族であることをはばかって一時菅沼姓を名乗ったのち、土岐姓に復して徳川家康に仕えたのが祖。1590年の家康の関東入国ののち、下総国相馬郡に1万石を賜り、守谷に住んだ。子の定義は摂津高槻(大阪府高槻市)2万石へ転じ、子孫は出羽国上山2万5000石、駿河田中3万5000石を経て、五代頼稔が1742年に上野沼田3万5000石に転じた。明治時代には子爵。【出典
# 沼田藩主の頼殷の次男の頼郷は1721年に3500石を分知されて、旗本になった。【出典
# 現在、群馬県内には少ない。【出典

■ 鳥山(とりやま): 群馬県の鳥山家
# 群馬県内では、現在は、渋川市、前橋市、東吾妻町に多く見られる。【出典】  

■ 長倉(ながくら)

■ 中曽根(なかそね): 群馬県の中曽根家
# 群馬県と長野県に多く見られる。【出典
# 群馬県内では、高崎市にまとまってみられる。【出典
# 群馬県の中曽根家: 上野国碓井郡上里見村(群馬県高崎市)の旧家。甲斐国八代郡中曽根(山梨県)発祥で、藤原北家秀郷流。武田信玄の家臣の内藤修理に仕え、上野国の長野氏の滅亡後に上野国に転じた。江戸時代は名主や問屋をつとめた。明治維新後、初代松五郎が材木商として財を成し、二代目松五郎のときに高崎に進出。その次男が元首相の中曽根康弘である。【出典

■ 長野(ながの、ちょうの): 群馬県の長野家

■ 那波(なは)
# 上野国那波郡の国衆に那波家があり、「なわ」ともいう。大江姓。大江広元の子の政弘が那波氏を継承したのが祖。室町時代は上杉氏の被官だった。その後、北条氏に属し、1560年の上杉謙信の関東入りに抵抗して滅亡した。その後、一族の顕宗が上杉氏のもとで今村城主として再興したが、1590年に出羽国仙北で討ち死にした。江戸時代は米沢藩士となり、安田氏を称した。【出典
# 現在は群馬県内には少ないが、前橋市にみられる。【出典

■ 新野(にいの)
# 群馬県では安中市に多く見られる。【出典】

■ 沼田(ぬまた): 群馬県の沼田家
# 上野国利根郡の国衆に沼田氏があった。桓武平氏三浦氏の出。景朝は小沢城(群馬県沼田市町田町小沢)に拠り、顕季のときに沼田城を築いた。のちに上杉氏に従ったが、顕泰が次男の弥七郎と対立したことから、弥七郎の妻の実家の長野氏の攻撃を受けて越後国に逃れた。その後、弥七郎が死去したため、沼田は北条氏が支配し、一族の北条康元が沼田城に入って沼田氏を称した。1560年に越後国の長尾氏によって北条氏が追われ、再び顕泰が沼田城に戻った。1574年に子の景義のときに由良氏に通じたことから、越後上杉氏によって沼田城を追われた。【出典
# 群馬県内では、伊勢崎市や高崎市に多く見られる。【出典

■ 蓮沼(はすぬま) 
# 群馬県内では、東毛に多く見られる。【出典
# 群馬県の蓮沼家: 上野国新田荘細谷村(群馬県太田市)の旧家。武蔵国足立郡蓮沼村(埼玉県)をルーツとし、上野国に転じて新田氏の家臣になった。江戸時代には代々名主をつとめ、苗字帯刀を許された。【出典

■ 畑(はた)
# 関西地方に多く見られる。【出典
# 群馬県には少ないが、点在する。【出典
# 江戸時代、七日市藩医に畑家があった。新田氏の家臣の畑六郎左衛門時能の末裔と伝える。代々七日市藩医をつとめた。【出典

■ 蜂須賀(はちすか) 
# 群馬県吾妻郡から高崎市にかけての名字。東吾妻郡岩鼻は、かつては集落全てが「蜂須賀」の名字だったといい、足利氏の一族という。現在も東吾妻町に多く見られる。【出典

■ 春原(はるはら) 
# 信濃国の春原(すのはら)氏の一族が真田氏とともに吾妻郡に入り、富沢氏と改称したのちに春原(はるはら)に戻したという。【出典
# 群馬県内では高崎市や川場村に多く見られる。【出典

■ 彦部(ひこべ): 群馬県の彦部家

■ 平形(ひらかた): 群馬県の平形(ひらかた)家: 三国街道中山宿(群馬県高山村中山)の旧家。戦国時代には平形丹波を称して、中山城に拠った。落城後、中山宿に土着。江戸時代には中山宿本宿の郷左衛門家(平形丹波家)と徳右衛門家(平形和泉家)と、分家して新田宿を開いた作右衛門家の三家に分かれた。両宿の本陣問屋を務めた。【出典

■ 廣神・広神(ひろかみ): 群馬県の広神家

■ 広沢(ひろさわ): 群馬県の広沢家

■ 笛木(ふえき): 群馬県の笛木家

■ 福沢(ふくざわ)
# 現在は、群馬県内には少ないが、各地に点在する。【出典

■ 藤田(ふじた): 群馬県の藤田家

■ 毒島(ぶすじま)

■ 保坂(ほさか): 群馬県の保坂家

■ 八月一日(ほずみ、ほぞみ)

■ 堀口(ほりぐち): 群馬県の堀口家

■ 前田(まえだ): 群馬県の前田家

■ 松平(まつだいら): 群馬県の松平家

■ 宮部(みやべ) 
# 現在は群馬県内には少ない。【出典

■ 宮前(みやまえ) 
# 群馬県内では、西毛にまとまってみられ、特に神流町に多く見られる。神流町の旧万場町では3位で、代々名主を務める米穀商と質屋の宮前家があった。【出典

■ 武者(むしゃ): 群馬県の武者家

■ 桃井(もものい): 群馬県の桃井家

■ 矢野(やの): 群馬県の矢野家

■ 矢場(やば): 群馬県の矢場家: 上野国山田郡矢場をルーツとし、由良氏の出。【出典

■ 山上(やまがみ) 
# 戦国時代に、上野国勢多郡の国衆に山上氏がいた。藤原姓の足利氏の庶流で、足利家綱の子の高綱が山上氏を称し、のちに山上城(群馬県桐生市新里町山上)を築いて拠った。1555年頃に氏秀のときに北条氏康に敗れて落城した。現在も桐生市付近にまとまってみられる。【出典

■ 湯本(ゆもと): 群馬県の湯本家: 上野国の草津温泉に湯本氏がいた。信濃の海野氏の一族。源頼朝が草津温泉に入ったときに、案内役を務めた人が湯本姓をった。江戸時代には名主を務めた。【出典】  

■ 由良(ゆら): 群馬県の由良家

■ 横尾(よこお): 群馬県の横尾家

■ 横地(よこち): 群馬県の横地家

■ 吉井(よしい): 群馬県の吉井家

■ 四方田(よもだ): 群馬県の四方田家

■ 若旅(わかたび): 群馬県の若旅家

■ 脇屋(わきや): 群馬県の脇屋家 

■ 和田(わだ): 群馬県の和田家


■ 群馬県の地名をルーツとする名字

■ 関東地方の名字の特徴

■ 群馬県の名字の読みの特徴 

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