「多胡」の名字の由来
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■ 多胡(たご)

【2023/01/17:改編】

# 3064位

# 清和源氏などにみられる。

# 群馬県の名字で安中市周辺に多くみられる。

# 上野国出雲国に発祥の地がある。

# 上野国多胡郡多子(群馬県高崎市吉井町多胡)をルーツとする。

# 出雲国の多胡氏も同族。

# 多胡(たご): 胡は外国人を意味し、外国人の多い地域を意味する。【知れば知るほど面白い 名字の秘密大辞典 名字の秘密研究会編 彩図社】

# 多胡(たご): 石見国邑智郡の国人。上野国多胡郡多子(群馬県高崎市吉井町多胡)発祥。多胡越前守俊英が応仁の乱の恩賞として石見国中野(島根県邑智郡邑南町)を与えられて下向したのが祖で、余勢城主となって尼子氏に仕えた。尼子氏の滅亡後には亀井氏に仕え、江戸時代には津和野藩家老。【出典

# 群馬県:224位、滋賀県:779位など。

# 多胡と言えば、「釣りバカ日誌」のスーさんの甥っ子だが、これは関係ないか?(^o^)

# 多胡(たご): 群馬県高崎市吉井町多胡。多胡の名称は、和銅4年多胡郡の新設に初出し、これは外来人が多く住んでいる郡という意味で、郡をつくった時に新しく考え出されたものであろう。中世には木曽義仲の父義賢の領有する多胡荘に属し、字元郷は多胡先生義賢の居館と伝え、塩村・大沢村・神保村飛地字八束にまたがっている八束山は通称城山で多胡上城、金沢城通称下城山は多胡下城、この三者が義賢の居城館と考えられ、館跡の北に戦国期の多胡城跡がある。「源平盛衰記」「吾妻鏡」や関東幕注文などに見る多胡氏は、当地に住んだ武士が多胡郡の多胡を取って苗字にしたもので、その武士の住む範囲の地を、多胡とせばめて呼んだことから、土地に定着したのであろう。【出典
・ 多胡(たこ)郡: 古代より上野国・群馬県にみられる郡名。郡名は渡来人の集住に由来すると考えられている。【出典

# 多胡郷(たごのごう): 平安時代に上野国片岡郡にみられた郷名。高山寺本では多胡と訓む。「地名辞書」は「今碓氷郡に入り、里見村にやと想はる」とし、「日本地理志料」は「石原、垂附、上中下豊岡、藤塚」に比定している。現在榛名(はるな)町上里見の字名に多胡があるので、この付近と比定されている。【出典

# 群馬県の多胡家

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