「尼子」の名字の由来
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■ 尼子(あまご)

【2021/02/05:改編】

# 6848位

# 宇多源氏佐々木京極

# 代表家紋: 「平四つ目結紋

# 山陽地方の沿岸部に多くみられる。

# 広島県:1071位など。

# 宇多源氏佐々木氏の流れをくむ京極氏の支流の佐々木高久が近江国犬上郡尼子郷(滋賀県犬上郡甲良町尼子)に居住したのが由来。

# 尼子から派生した名字には「福永」「来島」「」などがある。

# 室町時代に出雲の守護京極家で、一族の尼子家が守護代応仁の乱がおきると尼子清定が反乱をおこした国衆を討ち、出雲を平定した。後に毛利氏に滅ぼされ佐々木改姓して毛利氏の家臣。

# 尼子氏は、室町時代に宗家の京極氏が守護を務める出雲国に守護代として下向した。

# 島根県の尼子家: 近江国犬上郡尼子(滋賀県甲良町)をルーツとする。宇多源氏京極家の支流。尼子持久が室町時代に出雲国守護代となった。【出典】 

・ 山陰の戦国大名。宇多源氏の京極氏の庶流。京極高秀の子の高久が近江国犬上郡尼子郷(滋賀県犬上郡甲良町尼子)を与えられて尼子氏を称したのが祖。その長男の詮久は尼子郷を相伝し、二男の持久が出雲国に下向して出雲尼子氏となった。近江尼子氏のその後の活動が不明で、出雲尼子氏は京極氏の下で出雲国の守護代だったとされる。応仁の乱では守護の京極持清が東軍に属して転戦したことから、清定が出雲を守って活躍した。以後、月山富田城(島根県安来市広瀬町)に拠って山陰に大きな勢力を振るった。経久は主家の京極氏から追放されたが、1486年に守護代の塩治氏を討って月山富田城を奪回、大永年間には出雲・隠岐・伯耆西部・石見東部を支配した。経久のあとを継いだ晴久(詮久)は南下して安芸国に侵攻。1541年に郡山城に毛利元就を攻めたが敗北した。1551年大内義隆の滅亡後、再び勢力を回復し、翌年晴久は山陰・山陽合わせて八カ国の守護を兼ねた。その後、1555年に一族の新宮党を討ったため再び衰退、1566年義久のときに毛利氏によって落城、本家は滅亡した。その後、重臣の山中鹿之助や立原久綱らが新宮党の遺児勝久を擁立して再起、1569年には海上から出雲に入って新山城に拠ったものの、1571年に毛利氏に敗れて京に逃れた。さらに1578年には播磨上月城で再起を図ったが、毛利氏の大軍に囲まれて勝久・氏久が切腹、山中鹿之助も阿井の渡しで斬られて、尼子氏は滅亡した。末裔は佐々木氏と改称して、江戸時代には長州藩士。【出典

# 尼子(あまこ): 滋賀県犬上郡甲良町尼子。「あま(海部)」+「こ(処)」で、古代の海部族の居住地。【地名苗字読み解き事典 丹羽基二 柏書房】

# 近江鉄道に尼子駅がある。

# 月山富田城(がっさんとだじょう): 島根県安来市(やすぎし)の月山(190m)に築かれた山城で尼子氏の居城。【歴史人 2018.08.No92 江戸三百藩「仕事と暮らし」】

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