「来島」の名字の由来
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■ 来島(きじま、くるしま、きたじま)

【2023/05/23:改編】

# 村上水軍の三家の一つ。伊予国野間郡来島(愛媛県今治市来島)を本拠とし、来島村上氏と言われた。村上義顕の三男の吉房を祖とするが、戦国時代中期の通康までは不詳。通康は河野氏に属して、河野通直の娘を娶って、河野氏の相続争いに巻き込まれた。弘治元年(1555年)の厳島の合戦では毛利元就の要請で、水軍を率いて出陣し、毛利氏方の勝利に貢献した。跡を継いだ通康の四男の通総は、主家の河野氏と対立して、天正10年(1582年)に豊臣秀吉に転じた。以後は来島氏と改称して、秀吉の四国攻めの後は伊予国風早で1万4000石を領した。通総の子の長親は関ヶ原の合戦では、当初は西軍に属したため所領を没収されたが、慶長6年(1601年)に豊後国森(大分県玖珠郡玖珠町)で再興し、その後は久留島氏改称した。【出典

# 長州藩士の来島(きじま)家は宇多源氏尼子氏の一族。【出典

# 福岡藩士の来島(くるしま)家は、もとは五島列島の土豪だった。藤原氏の出で、鎌倉時代に肥前国松浦郡宇野御厨大島(長崎県平戸市)の地頭となり大島氏を称した。江戸時代に福岡藩士となって来島氏と改姓した。【出典

# 「島・嶋」のつく名字。  

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