「志村」の名字の由来 | |
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■ 志村(しむら)
【2022/06/14:改編】
# 代表家紋
# 小さな竹を「シノ」といい、こうした「シノ」の茂っている「シノ村」に佳字の「志」をあてて「志村」とした。【出典】
# 関東地方から東海地方にかけて多く見られる。【出典】
# 山梨県に多くみられる。
# 武蔵の志村氏は武蔵国豊島郡志村(東京都板橋区志村)をルーツとし、桓武平氏の豊島氏の一族。
# 武蔵国豊島郡志村をルーツとし、武蔵七党の児玉党の後裔もあるが、清和源氏の小笠原氏流は伴野太郎時直の流裔、右近丞真武が信濃国佐久郡志村に住んで志村氏を称した。この一族は、大永年間に甲斐国に転じ、武田氏の家臣に志村宮内丞光家、又左衛門尉貞盈などがある。1602年に志村甚之助は麗金山(静岡県富士宮市)の一部を領した。【出典】
# 八王子千人同心の志村家は信濃国志村(長野県)をルーツとする。
# 出羽国の最上家の家臣にも志村家があった。山形県山形市漆山志村の地名があり、最上氏の一族は周辺の領地の地名を称しているケースも多いが、山形県の志村氏もこの地名に由来するのかなぁ?文献では、最上義光の家臣の鈴木備後守の領地ってなっていますが。
# 志村(しむら): 東京都板橋区志村。「しのむら」ともいい、篠竹が繁茂した地域の意という。「吾妻鏡」や「承久物語」などに見える志村平三・信乃三郎光行・志村三郎・志のむら弥三郎・志村又太郎などや、「豊嶋宮城文書」の観応元年10月17日の着到状に見える志村七郎太郎親義らは、いずれも志村の出身の武士と考えられるが確証はない。【出典】
・ 志村: 室町時代から戦国期にかけてみられる地名。戦国期には、小田原北条氏の臣、江戸衆の太田康資の所領。志村城は千葉自胤の一門の千葉隠岐守が守ったという。【出典】
# 群馬県の志村家
# 「志」のつく名字。
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