「長倉」の名字の由来
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■ 長倉(ながくら)

【2022/09/07:改編】

# 静岡県と宮崎県南部に多くみられ、特に静岡市沼津市に多い。

# 山形県内では、大半が最上地方にみられる。

# 群馬県内では館林市にまとまってみられる。清和源氏義光流佐竹氏庶流の長倉氏の一族と伝える。佐竹氏の出羽移封に従わず、館林に来住したという。【出典

# 常陸の長倉氏は常陸国那珂郡長倉(茨城県常陸大宮市)をルーツとし、清和源氏の出。佐竹行義の次男の義綱が長倉氏を称した。

# 日向の長倉氏は播磨国長倉荘(兵庫県)をルーツとし、藤原南家工藤氏の出。伊東祐時の五男の祐氏が長倉氏を称し、後に日向国に移り住んだ。

# 古代豪族の長倉氏は大和国広瀬郡長倉(奈良県北葛城郡河合町)をルーツとする。

# 茨城県の長倉家

# 静岡県の長倉家

# 常陸国の長倉氏は那珂郡長倉(茨城県東茨城郡御前山村)をルーツとする。清和源氏の出。佐竹行義の二男の義綱が長倉氏を称した。1317年に長倉城を築いて、以後代々長倉城に拠った。【出典

# 日向国の長倉氏は藤原南家工藤氏の出。播磨国長倉荘(兵庫県)をルーツとする。伊東祐時の五男の祐氏が長倉氏を称し、のちに日向国に転じて児湯郡(宮崎県)の国人となった。【出典

# 戦国時代、この子孫と思われる長倉祐行は伊東義祐の家老をつとめた。その子の祐友は1578年に島津歳久の家臣となって薩摩国に転じ、子孫は島津藩士として、薩摩国薩摩郡東郷に住んだ。【出典

# 古代豪族の長倉氏は大和国広瀬郡長倉(奈良県北葛城郡河合町)をルーツとする。【出典

# 現在は、静岡県と宮崎県南部に多く見られる。

# 古代豪族の長倉氏

# 「長」のつく名字

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