「植物一般」の家紋
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu 家紋のはなし
スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 朝顔紋

# 朝顔は遣唐使によって持ち込まれ、当初は薬用だった。朝顔を家紋にしている人は不明。出典

# 朝顔紋(あさがおもん): アサガオはヒルガオ科の一年草。奈良時代に遣唐使によって大陸から伝来し、薬用として使用された。江戸時代には、賞翫用のアサガオの品種改良が進み、アサガオ栽培が武家、庶民を問わず全国的に流行した。そのころに、朝顔紋が個人的に使用する紋として登場し、やがて家紋になった。しかし、朝に咲き、昼頃にはしぼんでしまうアサガオの短命の印象から、家紋として広く普及することはなかった。朝顔紋を使用している家は、氏族的なつながりは見られず、散発的に使用され、神山家、尾崎家、塩浜家、深川家などで使用された。【出典

# 朝顔紋(あさがおもん): 朝顔はヒルガオ科の蔓性一年草で、日本の夏を代表し庶民に親しまれた植物である。奈良時代に、遣唐使によって伝来し、下剤、利尿剤の薬用として栽培された。家紋として使用されたのは明治時代以降と考えられる。神山家、尾崎家、塩浜家、深川家などに見られる。【出典

# 朝顔紋: 朝顔が日本に入ってきたのは、遣唐使が持ち帰ったものが最初という。花は、はかなく短命なイメージがあったためか、家紋としての古い記録は無く、明治時代以降に作られたようだ。【出典

五つ朝顔紋  五つ朝顔紋 
中輪に一つ朝顔紋  中輪に一つ朝顔紋
細輪に六つ朝顔紋  細輪に六つ朝顔紋
朝顔枝丸紋  朝顔枝丸紋 ※丸紋の意味
   

■ 紫陽花(あじさい)紋

# 越智氏流河野家出典

# 紫陽花(あじさいもん): アジサイは日本を原産とするアジサイ科の落葉低木で紫陽花、八仙花とも書いた。萼(がく)の部分が花弁のように鮮やかに色づき、鑑賞用に栽培され多くの品種改良種が生まれた。万葉集では、橘諸兄の歌に「安治佐為」や「味狭藍」という文字をあてた。寛政譜には、越智姓の河野家が載る。ほかには大西家、紫藤家、山本家などに見られる。【出典

   

■ 粟紋(あわもん)

# 粟紋(あわもん): アワはイネ科の一年生植物で、日本では新嘗祭の供物として使用されるなど、縄文時代から重要な穀物であった。文様としては、中国の南宋画に鶉とともに描かれ、日本に伝来してからは古伊万里焼などに多く描かれた。粟紋は、本来稲紋を使用する鈴木姓に多く見られることから、分家を立てる際に本家をはばかって稲紋に似た粟紋に替えるケースや、家紋を描く職人の描き方によって稲が粟と混同され、粟紋として伝えられた例も多いと思われる。ほかに、名字に粟沢氏、粟田氏など「粟」の文字を含む家で使用された。【出典

# 粟紋: 大きな穂が描かれているのが特徴的。粟は米よりも先に伝来した古代人の食料であったが、模様として使用された例は少ない。近世になってから作られた紋様のようだ。【出典

   

■ 柿紋(かきもん)

# 土佐の武市家。武市半平太出典

# 柿紋(かきもん): 柿はカキノキ科の落葉樹で、果実は日本を代表する果物である。新緑のころに花を付け、雄花は小さい壺型、雌花は雄花よりも大きく四弁の花びらをもつ。柿の花は季語に「柿落花」とあるように、柿の花の散る様は独特の風情がある。幹は家具材となり、葉は茶の代用にされた。渋柿は防腐剤としても使用された。幕末の勤王の志士の武市半平太が「柿の花」を使用した。ほかに久志氏中沢氏、早坂氏、柿原氏などに見られる。【出典

# 柿紋(かきもん): 柿は十世紀に編纂された「延喜式」に、菓子類として記述され、宮中の御園で栽植されていた。柿は、年越しに神社で供え物とするところが少なくない。武市家に見られる。【出典

# 柿紋: 幕末の土佐勤皇党の志士の武市半平太が使用していたが、この紋を使用する家は極めて少ない。実の断面や花の他、柏によく似た葉を図案化した。【出典

裏柿の花紋  裏柿の花紋
柿の花紋  柿の花紋

■ 蕪(かぶら)紋

# 清和源氏義光流の塚原家出典

# 蕪紋(かぶらもん): 蕪はアブラナ科の越年草で、大きな球形になる根が主に食用とされる。葉はスズナとして春の七草の一つに数えられる。正月七日を中国では年初から、鶏、狗、猪、羊、牛、馬の順に獣畜の占いを行い、七日目には人を占う日として「人日」といった。日本では古くからあった望粥(もちがゆ)と、中国の七種菜羹(しちしゅのさいこう)が習合して生まれたものという。七草粥は邪気を祓い万病から身を守るとされ、「枕草子」には「七日は、雪間の若菜青やかに摘み出でつつ・・・・・」と書かれている。家紋としても邪気を祓う信仰的な意義を持つと考えられている。江戸時代の「寛政譜」では、甲斐国発祥の旗本の塚原家が「天王寺蕪紋」で載る。ほかに、遠藤氏落合氏草野氏、塩原氏、末永氏、名尾氏、中島氏、仲田氏、西氏、古谷氏、若菜氏などに見られる。山梨県、三重県、千葉県に多く見られる。【出典

# 蕪(かぶら)紋: 「カブラ」は越年性植物。七草がゆの一つで、無病息災の祈りを込めて使用されたようだ。清和源氏義光流の塚原家が使用する以外には見られない、希少紋。【出典

-  

■ 栗紋(くりもん)

# 抱き栗の葉紋: 平氏良文流の柴崎家出典

# 栗の実紋: 平氏繁盛流の小栗家出典

# 栗紋(くりもん): 栗はブナ科の落葉樹で、縄文時代から栽培され、種子は重要な食料とされた。持統天皇は文武天皇三年(699年)に全国で栗を植えるように命じている。日本在来種の小粒の栗を、蒸して乾燥させ、臼で挽いて皮と渋皮を取り除いたものを「搗栗(かちぐり)」といった。これは「勝軍利」とも書き、武家は出陣に際して三献の儀を行い、敵に勝つことを願って食べる作法があった。江戸時代の「寛政譜」には、柴崎家が「抱き栗葉」で載る。前田家の家臣の小栗家が「栗実」で、他には明壁(あすかべ)家、栗崎家、栗沢家、栗坪家、栗野家、栗林家栗山家杉本家などに見られる。【出典

# 栗紋(くりもん): 縄文時代中期の大集落の、三内丸山遺跡(青森県)から巨大な栗の柱跡が見つかった。しかも、食用の栽培栗の存在も分かった。日本には、太古から大粒の栗があったのだ。これを干して臼で搗き、皮・渋皮を取り除いたものを「搗栗(かちぐり)」といった。それを、武士達は「勝ち栗」と称して、縁起物とした。出陣にあたっては、神に栗を供えて戦勝を祈った。柴崎家小栗家などに見られる。【出典

# 栗紋: 武士は出陣前に、勝ち栗を供して勝利を祈った。この縁起を担ぎ、紋様になったようだ。使用家は桓武平氏良文流の柴崎家と、桓武平氏繁盛流の小栗家など。【出典

-  

■ 菫(すみれ)紋

# 菫紋(すみれもん): 菫はスミレ科の植物で、山野や都会でも見ることができ、春先に紫色の愛らしい花をつける。スミレの語源は「摘み入れ」が変じてスミレになったとの説がある。一方で植物学者の牧野富太郎は、その形が大工道具の「墨入れ」に似ていたことが語源との説をたてたが、いずれも根拠を欠く。長州藩毛利家、伊勢国の長島藩の増山家が替紋として使用した。また、岩佐氏、金村氏、小林氏榊原氏桜井氏杉浦氏、中尾氏、中村氏、春山氏などに見られる。【出典

# 大江氏流毛利家増山家出典

# 増山菫紋(ますやますみれもん): 伊勢国長島藩の増山家の替紋。地と反対色の円に描き、色を抜くように菫を一株描いた紋様。【出典

# 清水家

一つ菫紋  一つ菫紋(ひとつすみれもん): 三つの菫の葉の上に、細い花柄に一つの花と二つの蕾を載せた紋様。【出典
抱き菫紋  抱き菫紋 抱きの意味
三つ葉菫紋  三つ葉菫紋(みつばすみれもん): 菫の三枚の葉と三本の花柄を、交互に車状に描いた紋様。【出典
   

■ 芹紋: 清和源氏土方家藤原氏の薗部家。出典

# 芹紋(せりもん)、薺紋(なずなもん)、蕪紋(かぶもん)、五行紋(ごぎょうもん): 正月の七日に、春の七草を入れた粥を食べると、その一年、病気をしないで息災に過ごせ、長寿を得るという。中国から伝わったこの風習は、日本にも根付いた。春の七草とは、芹、薺、五行(御形)、ハコベ、仏座(ほとけのざ)、菘(すずな)、蘿蔔(すずしろ)である。このうち、蘿蔔は大根を、菘は蕪にあたるという。「芹」は薗部家、土方家。「薺」は畠山家京極家丹羽家朝倉家八木家、中根家。「蕪」は塚原家、若菜家。「五行」は柴田家などに見られる。【出典

-  

■ 椿紋(つばきもん): 乙女椿紋(八重椿紋): 橘氏流山脇家の専用紋出典

# 椿紋(つばきもん): 椿はツバキ科の常緑樹で、日本原産の植物として遣隋使の小野妹子により隋の煬帝に献上されたとの説があり、煬帝は海を越えてきたザクロの花に似た植物として「海石榴」と名付けたという。日本書紀景行天皇条では、椿を使用した武器として槌を作り、その武器を持つ平氏を「つばもの」といい、のちの「つわもの」の語源になった様子が書かれている。寛政譜に、山脇家が「丸に千葉椿紋」で載っている。ほかに、小沢家、勝田家、椿家、長谷川家、花椿家、村椿家などで使用された。【出典

# 椿紋(つばきもん): 椿は桜、梅とともに、日本人が愛する花木である。しかも、椿は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の唾液が化成した「生命の木」とされる。【出典

# 椿紋(つばきもん): 「ツバキ」は呪力を持つ神聖な木として「古事記」に登場する。常緑の植物は生気の源として吉祥の意味を持ち、ツバキもその一つである。また茶道の世界では花の少ない季節に使用され、「茶花の女王」として重用された。しかし花が萼(がく)の部分から丸ごと落ちるため、首が落ちる様を連想させ、武家には敬遠されたとも言われる。家紋としては希少で、定型とされるものは無い。椿家、村椿家、山脇家などに見られる。福岡県久留米市の水天宮総本宮の神紋。【出典

頭合わせ三つ椿紋  頭合わせ三つ椿紋
   

■ 

-  

■ 枇杷紋: 藤原北家秀郷流の山田家、横田家。出典

# 枇杷紋(びわもん): 枇杷は中国から伝来したバラ科の常緑高木で、果実は食用として、葉は生薬として使用される。幹は杖や木刀などの用材となった。果実は初夏に収穫でき、端午の節句に使用する地方もある。幕臣では、山内家や横田家が使用した。ともに、替紋に「白黒一文字紋」を使用しており、山内首藤氏の一族と解される。【出典

# 枇杷紋(びわもん): ビワは、果実または葉が楽器の琵琶に似ていることに由来する。日本に自生して、葉は堅く、緑は濃い。五弁の白い花が咲き、実は果実として、すでに平安時代には食べられていた。幹は強く、木刀や杖に用いられ、端午の節句の厄払いに使用された。山内家、横内家などに見られる。【出典

 

■ 水葵紋: 清和源氏新田氏流横瀬家由良家。【出典

   

■ 連翹紋(れんぎょうもん)

# 藤原氏族正親町三条家姉小路(あねがこうじ)家などで、使われた。【見て楽しい読んで学べる家紋のすべて PHP研究所】

# 正親町三条家、姉小路家千葉家戸田家出典

# 連翹紋(れんぎょうもん): 連翹は、モクセイ科のレンギョウ属の総称で、中国原産の落葉性低木。日本ではすでに「出雲国風土記」の意宇郡山野条に連翹の記述が見えるが、中国では「トモエソウ」や「オトギリソウ」を連翹と呼んだため、「出雲国風土記」の連翹が今と同じものかは不明である。レンギョウは春に黄色い花をつけ、半蔓状の枝が地面に向かって垂れるが、連翹の文様も同様に蔓が特徴的である。藤原北家の閑院流の嫡流三条家の分家の正親町三条家が使用した家紋で、その紋の形は丁度唐草文様を下敷きにしていると思われる。公家では、藤原公季流の正親町三条(嵯峨)家、姉小路家寛政譜では、正親町三条家流を称する信濃国の松本藩と下野国の宇都宮藩、そして下野国の足利藩戸田家。同様に、藤原公季流を称する幕臣の千葉家が載っている。ほかに、磯谷家、岡本家、西川家、南川家などに見られる。【出典

# 連翹紋(れんぎょうもん): おもに、藤原公季(きみすえ)から出た公家や武家に見られる。正親町三条家、姉小路家戸田家千葉家などに見られる。【出典

# 連翹紋(れんぎょうもん): 中国原産の落葉低木。意匠が実物の花とやや異なっているのが特徴。家紋としての使用は江戸時代からで、使用例は少ない。【出典

# 戸田連翹紋(とだれんぎょうもん): 下野国の宇都宮藩戸田家替紋。三つの連翹の花を尻を合わせて寄せ、間から蔓葉を伸ばし、三つ葉状に花を囲った紋様。【出典

 連翹(れんぎょう)紋

■ 南天紋(なんてんもん)

# 南天(なんてん): 赤と緑のコントラストが鮮やかなメギ科の常緑低木。吉祥や厄除けをあらわす植物として祝賀の際に使用されることが多い。縁起の良さから家紋に選ばれたことが多い。【出典

# 「難を転じる」から、縁起が良いとされた。【見て楽しい読んで学べる家紋のすべて PHP研究所】

# 南天紋【出典
・ 三つ葉南天紋(みつばなんてんもん): 南天は「難を転じる」という言葉に通じる縁起の良い植物。江戸時代以降、園芸の愛好家に使用された。

# 南天紋(なんてんもん): 南天は、メギ科の常緑低木で、古来から神聖視されることが多かった。色彩の乏しい冬の風景に、まるでロウソクを灯すように赤い実を付けることから南天燭とも言われた。その名が「難を転じる」という言葉にかかり、縁起のいい木として親しまれ、戦国時代には出陣の際に床の間に飾ったり、鎧の内側に一枝挿したりして武運長久を願った。家紋としては、江戸時代以前には確認されていないが、園芸植物として流行した江戸時代以降に使用されたと思われる。江戸幕府の諸家には使用例は見られない。また、氏族的な横つながりでの使用例も無く、家紋として使用された時期が遅いことがうかがわれる。奥村家、金城家、北折家、楠原家、久根下家、白沢家神保家、清家家、滝本家、寺岡家、寺川家、松野家、南家などに見られる。東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県などに多く見られる。【出典

# 南天紋(なんてんもん): ナンテンは冬に赤い小さな実がなって、この実がいつまでも落ちない。また茎がまっすぐ伸びて、葉が上部に集まり、お正月など慶事の切り花としてうってつけ。日本の原野に自生する種類もあるが、中国から帰化したものが主流。古(いにしえ)の日本人は、「ナンテン」を「難点」とはとらえず、「難を転ずる」と受け取った。良い意味に解釈して、厄除けの紋とした。岸家榎本家南家などに見られる。【出典

# 南天紋: ナンテンは古来、神聖な木として大切にされた。色彩の乏しい冬の風景の中に、ロウソクを灯すような赤い実をつけることから、「南天燭」とも言われた。また「ナンテン」は「難を転じる」と解され、吉祥の植物とされた。【出典

# 丸に三つ葉南天紋: 丸に三枚葉南天紋(まるにさんまいばなんてんもん): 三枚組みの南天の葉を丸で囲った紋様。【出典

# 南天紋: 「難を転ずる」で知られる南天は、赤い実がいつまでも落ちないので慶事に使用され、また咳止めの薬にもなった。【出典

   南天紋
抱き南天紋  抱き南天紋(だきなんてんもん): 二本の南天を左右から抱くように描いた紋様。【出典】 抱きの意味
向かい南天紋  向かい南天紋
三つ葉南天紋  三つ葉南天紋(みつばなんてんもん): 三枚の葉と、それぞれ五つの実をつけた三本の南天の枝を、交互に集めて描いた紋様。南天紋の中では一番使用例が多く、楠原家での使用例が多い。【出典
三つ追い南天紋  三つ追い南天紋
亀甲形三つ割り南天紋  亀甲形三つ割り南天紋
丸に三つ葉南天紋  丸に三つ葉南天紋
   

■ 杉紋(すぎもん)

# 杉紋(すぎもん): 松と並ぶ神木。神社周辺に植えられることが多かったため、信仰のシンボルとして家紋とされた。【出典

・ 大神神社の神紋 ・ 大神家の家紋
【見て楽しい読んで学べる家紋のすべて PHP研究所】
・ 白山神社(福井県): 丸に三本杉紋【出典
・ 建部神社(滋賀県): 三本杉紋【出典
・ 大神神社(奈良県): 三本杉紋【出典

・ 杉の木は、神霊の宿る木とされた。大神神社の神紋。三輪家、藤林家、緒方家、杉家、杉浦家上杉家上杉謙信緒方洪庵出典

・ 井桁に一本杉紋: 杉家

# 杉紋【出典
・ 杉は日本固有種の常緑高木で、古代神道との関係も深く、神樹として神域に植えられてきた。杉は三輪信仰に関わる家紋で、大神神社の神紋など古代氏族の大神氏の子孫で多く使用される。また名字に「杉」の字を使用する家で多く見られる。
・ 一本杉紋、本多一本杉紋、割り杉紋、三つ割り杉紋、社頭(しゃとう)杉紋。

# 杉紋(すぎもん): 天に向かってまっすぐ伸びる杉には、太陽の光が降り注ぐ。杉は天から舞い降りる神の依代(よりしろ)とされ、神の宿る木と言われた。御神体が三輪山である大神神社は、この山を三本の杉で表現する。新見家上林家小島家有馬家杉浦家、杉家、杉田家本多家岩瀬家木梨家などに見られる。【出典

# 杉紋: 多くの神社で御神木とされるように、昔から神の宿る木と考えられた。これを使用した代表例は、大和国の大神神社関係の人たち。その後裔にあたる豊後国緒方家など。【出典

# 一本杉紋: 本多家

一本杉紋  一本杉紋(いっぽんすぎもん): 左右に六本ずつの枝をつけた杉の大木を一本立たせて描いた紋様。【出典

# 丸にニ本杉紋: 杉浦家

丸に二本杉紋  丸に二本杉紋(まるににほんすぎもん): 丸に並び杉紋: 「並び杉」を丸で囲った紋様。【出典

# 丸に三本杉紋: 杉浦家

# 三本杉紋(さんぼんすぎもん): 杉の木を三本並べた紋で、中央の一本を高く描いた紋様。杉紋の基本形で、三輪山の「三」と神紋をかけ合わせた意味を持つと言われる。【出典

丸に三本杉紋  丸に三本杉紋(まるにさんぼんすぎもん): 「三本杉」を丸で囲った紋様。【出典

# 御鏡に杉紋

御鏡に杉紋  御鏡に杉紋

■ 茄子紋(なすもん)

# 親の小言と茄子の花は千に一つの無駄もない。茄子は花が咲くと必ず実をつける。【見て楽しい読んで学べる家紋のすべて PHP研究所】

# 三つ割り茄子紋、三つ葉茄子紋、五つ茄子紋。

# 茄子紋(なすもん): 茄子はナス科でインド原産の植物。八世紀に中国から薬用として伝来し、のちに食用になった。初夢の縁起物として「一富士、二鷹、三茄子」と言われる。龍神に供えて、雨乞いを行う土地や、魔除けとして軒下に茄子を吊す土地もある。茄子紋を神紋とする、大阪府堺市の開口(あぐち)神社は、もとは「三つ巴紋」だったが、白鳳時代に氏子が珍しい「三つ成り茄子」を奉納したことから、「三つ茄子紋」に改めたと伝わる。しかし、白鳳時代には家紋・神紋の文化は発生しておらず、この伝承も不詳。開口神社のある、大阪府南部は牛神を祀る風習があり、その信仰として茄子も供物とされる。茄子紋は、縁起物として吉祥的な意義や、魔除けの信仰的・呪術的な意義を持つ家紋と考えられる。茄子紋は、歴史的には史料に見えず、著名な家での使用は確認されていない。寺門家、梨岡家、奈須家、根上家、長谷川家、昼間家、深沢家、藤井家、村里家、麓家、山形家、山口家などに見られる。【出典

# 茄子(なすび)紋: 元々は、インドの原産で、遣唐使によってもたらされた植物の茄子。解毒剤になると今でもいわれるようにその昔、薬として使用されたことから家紋になった。使用している例は少なく、大阪府堺市の関口神社の三つ茄子紋が有名。【出典

五つ茄子紋  五つ茄子紋
丸に葉付き茄子紋  丸に葉付き茄子紋
三つ葉茄子紋  三つ葉茄子紋
三つ追い茄子紋  三つ追い茄子紋
三つ割り茄子紋  三つ割り茄子紋(みつわりなすもん): 割った茄子を割り面を外に向けて丸く描き、中央に三つの茄子を配して描いた紋様。茄子紋の中では代表的な紋形。【出典
   

■ 梨紋(なしもん): 永井家吉見家、戸祭(とまつり)家、弓気多(ゆみけた)家、大橋家。【見て楽しい読んで学べる家紋のすべて PHP研究所】

# 梨紋【出典
・ 梨切口紋(なしきりくちもん): ベースになった植物は不明。果実の切り口が唐梨に似ていることから、梨紋、唐梨紋と呼ばれる。愛知県を中心に東海地方に多く見られる。

# 梨紋(なしもん)・唐梨紋(からなしもん): 唐梨は、通常はバラ科の花梨(カリン)を指す。江戸時代以前の史料には、唐梨紋は見えず、主として使用していたのは大名家の永井家だが、それでも江戸時代初期の「寛永諸家系図伝」には記載が見られない。果実の切り口と言われるものは、六弁のものがあるが、多くは八弁で斜めの弁は短く描かれている。美濃国の加納藩や大和国の新庄藩櫛羅藩)の永井家、また旗本では吉見家、戸祭家、大橋家、弓気多家や、石本家、懸田家木梨家須藤家高梨家、栃名家、梨木家、梨子田家、梨本家、西田家、疋田家などに見られる。愛知県を中心に、東海地方や茨城県、京都府に多く見られる。【出典

# 梨花の紋(なしばなのもん): 公家三条家の独占紋。三条氏は藤原北家後裔で、邸宅が京の三条通の南にあったことから、三条氏を称した。そして、太閤秀吉の時代、三条家の記念紋を作った。1591年に、邸宅が御所の東の梨木(なしのき)町に移ったため、地名から梨の花を家紋とした。【出典

# 梨紋(なしもん): バラ科の落葉高木。現在では果樹と認識されているが、古代の中国では薬効があるとされた。【出典

# 永井唐梨紋(ながいからなしもん): 大和国の新庄藩永井家の家紋。上下左右の花弁を長く、斜めのものをきわめて短く描き、丸で囲った唐梨の紋様。【出典

# 三つ葉梨紋(みつばなしもん): 三つの茄子と三枚の葉を交互に集め、車状に描いた紋様。【出典

# 梨紋: 一見花に見えるが、これは梨の実の切り口を象ったもの。梨の実には熱を下げ咳などを鎮める薬効があるとされ、この徳にあやかろうとして家紋とした。【出典

   
梨の切り口紋  梨の切り口紋
丸に梨切り口紋  丸に梨の切り口紋(まるになしのきりくちもん): 大和国の櫛羅藩永井家では「丸に奈花」という。梨紋の原型で、他もほとんどシルエット的に大きな変化はない。【出典
永井梨の切り口紋  永井梨の切り口紋
石持ち地抜き梨の切り口紋  石持ち地抜き梨の切り口紋 ※石持ち地抜きの意味
梨の花紋  梨の花紋(なしのはなもん): 亀甲形に六本の突起を持たせて花形に描いた紋様。【出典
中陰梨の花紋  中陰梨の花紋
陰梨の切り口紋  陰梨の切り口紋
三つ割り梨の切り口紋  三つ割り梨の切り口紋: 三つ割り奈花紋(みつわりからなしもん): 割った奈花を、割り面を外に向けて三つ寄せて丸く描いた紋様。【出典
三つ盛り梨の花紋  三つ盛り梨の花紋(みつもりなしのはなもん): 「梨の花」を山のように積み上げて描いた紋様。【出典】 ※三つ盛りの意味
糸輪に三つ梨の切り口紋  糸輪に三つ梨の切り口紋
糸輪に豆梨の切り口紋  糸輪に豆梨の切り口紋
   

■ 桃紋(もももん)

# 桃紋(もももん): 中国の「詩経」に、嫁ぐ娘を桃に仮託して、花を結婚、実を生まれる子、枝葉を一家の栄えとする詩がある。中国には菊慈童伝説と同じく、桃の花が流れる谷川の水を飲んで、三百歳まで長生きしたとの故事がある。我が国では、平安時代に桃酒が病除けに飲まれた。だが、桃は長寿よりも、むしろ邪気を祓う魔除けとしてもてはやされた。桃井家、正岡家などに見られる。【出典

# 桃紋(もももん): モモは中国原産のバラ科の落葉樹。中国では、モモは道教の最上位の女神である西王母の庭で3000年に1度実をつけ、食べると不老長寿になる吉祥の霊果として知られる。また、古事記には荒ぶる雷神にモモを投げて退散させるという記載があり、宮中の追儺(ついな)の儀式ではモモの木で作った弓で鬼を追い払うなど、モモには魔除けの霊験があるとされた。家紋としても吉祥と魔除けの意義を持つ。この紋を使用している家は少なく、江戸時代の武家では神尾家だけ。桃井氏、桃岡氏、桃原氏など、名字に「桃」の字がつく家でも使用されている。【出典

# 桃紋: 中国で、その実には悪鬼を祓う力があるとされていた桃。種類は、少なく使用している家は、藤原氏庶流神尾家。他に、神紋として使用していたのは、鳥取市のある賀露神社や有田市にある須佐神社。【出典

# 須佐神社(和歌山市)、賀露神社(鳥取県)、七社神社(しちしゃじんじゃ・福岡県)。

# 桃は股(もも)のことで、そこから子が産まれ、子孫繁栄のめでたい印。出典

# モモは女性の性器を意味する。桃から生まれた桃太郎。桃は邪気を追い払う魔除けであり、延命の果実。イザナギノミコトが、黄泉の国から追いかけてきた悪鬼を追い払ったのも桃。出典

# 藤原氏神尾家、安倍家。出典

# 鳥取市の賀露神社、佐賀県有田市の須佐神社の神紋。出典

# 桃紋(もももん): 桃は中国原産のバラ科の落葉樹で、春には美しい花を咲かせ、夏には甘味が強い実をつける。中国では悪鬼を祓う樹木とされ、「詩経」では「桃之夭夭」と謡われ、桃の実は子孫繁栄の呪物として使用される。日本には紀元前に、伝来したと言われる。家紋としては、江戸時代以前の文献には確認できない。鳥取市の賀露神社、和歌山県有田市の須佐神社、京都市の繁昌神社などで神紋として使用されている。「寛政譜」には、神尾家が載っている。ほかに、磯貝家、笠間家、金井家、園部家、坪崎家、町野家、飛田家、永坂家、中村家、長山(永山)家、野毛家、野中家、葉室家、船木家、船本家、桃岡家、桃田家、桃井家、桃原家などに見られる。神奈川県、京都府、茨城県などに多く見られる。【出典

枝抱き桃紋  枝抱き桃紋 抱きの意味
丸に一つ桃紋  丸に一つ桃紋: 丸に桃紋(まるにもももん): 枝のついた桃の実を逆さまに描き、丸で囲った紋様。西日本では魔除け・雷除けとして屋根に桃を載せた桃瓦と呼ばれる装飾瓦が多く見られる。金井家、坪崎家、武藤家などの見られる。【出典
丸に葉付き桃紋  丸に葉付き桃紋(まるにはつきもももん): 枝葉のついた桃の実を描き、丸で囲った紋様。【出典
丸に三つ盛り桃紋  丸に三つ盛り桃紋(まるにみつもりもももん): 三つの桃を山のように積み上げ、周囲を丸で囲った紋様。【出典】 ※三つ盛りの意味
葉付き三つ桃紋  葉付き三つ桃紋(はつきみつもももん): 左右に葉を付けた桃を、三つの頭を合わせて寄せ、全体を丸く描いた紋様。【出典
   

■ 車前草紋(おおばこもん): 田村家

# 車前草紋(おおばこもん): 車前草は日本全国に分布する多年草で、古来から咳止めの薬草として使用された。中国の「詩経」には、車前草の葉をもんで死んだ蛙にかけると生き返ると書かれており、「蜻蛉日記」でも「おほばこの 神のたすけや なかりけん ちぎりしことを おもひかへるは」と車前草と蛙に絡めた詩歌が詠まれている。また、小林一茶の「おらが春」でも、子ども達が戯れに生きた蛙を埋めて、その上に車前草の葉を被せて帰る様子をみて、車前草は和も漢も同じ意味を持っていると書き記している。このように、車前草は古くから命を再生する植物と考えられた。車前草紋は渡来系氏族征夷大将軍坂上田村麻呂を輩出した坂上氏に多く見られる。江戸時代の幕臣では、坂上氏族の田村家をはじめ、荒井家、今井家、榎並家、大越家、岡田家、今野家、斎藤家、坂上家、丹波家戸沢家、富沢家、富塚家、中川西家、丹伊田家、西間木家、西村家、平野井家、門間家などに見られる。福島県を中心に茨城県、宮城県に多く見られる。【出典

# 昔は、霊草と言われ、死んだカエルにこの葉をかけると生き返るので、「カエルッパ」とも呼ばれた。出典

# 田村家、坂上家、丹波家出典

# 車前草紋(おおばこもん): 車前草は野辺に顔を出す初夏の雑草。この草を処方すると、死んだ蛙も生き返るといわれる。強い生命力を持つ薬草。田村家、坂上家、丹波家、大越家、岡田家などに見られる。【出典

# 田村車前草紋(たむらおおばこもん): 陸奥国の仙台藩の支藩の一関藩田村家の家紋。二枚の葉と一本の花序を立て、左右から抱くように描いた紋様。【出典

   車前草紋(おおばこもん)

■ 田子草(でんじそう)

# 葉の形が田の字に似ている。公家藤原氏魚沼名流の四条家。櫛筍(くしげ)家、八条家西大路家油小路家山科家清和源氏新田氏流新井家出典

# 田字草紋(でんじそうもん)・花勝見紋(はなかつみもん): 田字草はシダ類のデンジソウ科の水生多年草で、四枚の葉が田の字に似ていることから、田字草と呼ばれた。別名を花勝見紋とも言う。花勝見という植物は、古来その姿が忘失されてしまった植物である。家紋になった田字草は、花は咲かせないが、整った四つ葉が花のように見えるという意味で「花」を冠して花勝見となったと思われる。武家の家紋としては、「見聞諸家紋」に赤松氏の家臣の依藤豊後守の家紋として「萍(うきくさ)」として載っている。公家四条家の紋は「四条」という名字の表現体として四つ葉の田字草を家紋にしたものと考えられる。藤原氏の魚名流の四条家、その一門の西大路家、油小路家、櫛筍家、八条家が使用した。ほかに、依藤氏、新井氏伊藤氏、浦江氏、江原氏、大部氏、嘉敷氏、勝木氏、衣笠氏、古瀬氏佐久間氏、坂和氏、清水氏丹波氏、豊田氏、西田氏、滑氏、野上氏、野坂氏、花田氏、花柳氏、治田氏、久野氏、藤柳氏、船越氏、山科氏、和知氏などに見られる。京都府、大分県、宮崎県、東京都、群馬県、茨城県などに多く見られる。【出典

# 花勝見紋(はなかつみもん): 歌舞伎役者の坂東三津五郎の紋。田字草の四枚の葉を水に浮かべ、水中に伸びる茎を回転させて丸く描いた紋様。【出典

# 田字草紋(でんじそうもん): 葉の形が「田」の字に似ているので、この名前がついた。四つ葉酢漿草ともいい、酢漿草とデザインはまったく同じ。「デンジソウ」とは、根と茎が泥の中にあって、葉を水面から出した水生シダである。花勝見紋(はなかつみもん)ともいう。四条家、櫛筍(くしげ)家、八条家、西大路家、油小路家、山科家新井家などに見られる。【出典

田字草紋  田字草紋(でんじそうもん): ハート形の四枚の葉を十字形に集めて田字草を表現した紋様。「四つ片喰」とほぼ同じ紋形。【出典
丸に蔓田字草紋  丸に蔓田字草紋
中陰菱形変わり田字草紋  中陰菱形変わり田字草紋
変わり田字草紋  変わり田字草紋(かわりでんじそうもん): 縁に切り込みの無い四枚の葉で描いた田字草紋。【出典
   

■ 檜紋(ひのきもん)

#  「ヒノキ」は「火の木」で、油性が強く、激しく燃える。日本書紀には「瑞宮の材とすべし」とあり、神社の造営には欠かせなかった。出典

# 檜葉紋: 甲斐国東郡野呂郷発祥で、神官野呂家出典

# 檜葉紋(ひばもん): 檜葉はヒノキ科の常緑針葉樹でアスナロやサワラも含む総称。成長が遅く香気あふれる高級木材として使用される。古来から社寺の用材とされ中尊寺では用材の七割以上にヒバ材が使用されているという。伊勢国奄芸郡椋本村を本拠とした野呂氏が使用した家紋。野呂氏は「寛政譜」では藤原氏族、他の家譜では伊勢平氏とされているが、本来は三枝氏族と考えられる。三重県に多く見られ、隣接県に広がった。【出典

   

■ 宿り木(やどりぎ)紋: 熊谷家の専用紋で、その一族の高力家根岸家でも使用する。出典

   

■ 夕顔紋(ゆうがおもん)

# 夕顔の花紋(ゆうがおのはなもん): 常陸国の麻生藩新庄家替紋。三本に分岐した花脈を持つ五枚の花弁で夕顔の花を描いた紋様。【出典

# 夕顔紋・蔓夕顔の花紋: 平氏の南条家出典

# 夕顔花紋: 藤原北家秀郷流の新庄家出典

# 破車(やれぐるま)夕顔紋: 塩谷家出典

# 夕顔紋(ゆうがおもん): カンピョウになる果実は、「瓢(ひさご)」と呼ばれた。瓢とは、火避けの意味。これに水をいれて、火を消すのに使用した。また、神事にも使用された。南条家新庄家塩谷家などに見られる。【出典

# 夕顔紋(ゆうがおもん): 夕顔はウリ科の北アフリカ原産の蔓性植物である。大陸から伝来したもので、夕方に咲いて、翌朝までに萎んでしまう花の風情が好まれ、「源氏物語」四帖の題名となった。大きな実をつけて、干瓢の原材料となり、古来から晴れの日に食べる習慣があり、その年の作物の豊凶を占う年占(としうら)作物であった。
伯耆国の戦国大名宇多源氏佐々木氏族南条氏や、徳川家の家臣の大田(太田)一族で使用された。また、常陸国の麻生藩新庄氏が「夕顔の花紋」を、旗本では塩谷家南条家が夕顔紋を、また大田(太田)家や渡辺家で使用された。ほかに、後藤家、佐山家、種田家、堤田家、中村家、福西家、松岡家などで使用された。愛知県、滋賀県、京都府、大阪府などに多く見られる。【出典

# 夕顔紋: 夕暮れ時に咲いてすぐしぼんでしまう儚さからか、あまり使用家は多くない。何条家、新庄家塩谷家なでに見られる。【出典

夕顔枝丸紋  夕顔枝丸紋 ※丸紋の意味
   

■ 葉菊草紋(はぎくそうもん)

# 青山氏は、丹波篠山藩主として幕末を迎えた。その青山氏がこの葉菊草紋を使用した。葉菊草は海岸に自生し、菊に似ている。譜代の三河武士である青山忠門(ただかど)は松平氏に仕え、家康が幼い頃、三河にある法蔵寺の後ろの山に、供をして登った。家康がここで見慣れぬ美しい花を見つけ、忠門が「ハギクソウ」だと教えると、手折って「汝が紋にせよ」と言ったので家紋になったという。青山家に見られる。【出典

■ 花筏紋(はないかだもん)

# 筏に乗るのは、人ではなく花である。その花は、渓流を下る筏に舞い散る花かもしれない。実に艶やかな紋様で、風流である。筏の花は、桜であったり、山吹であったりする。本多家、瀬川家などに見られる。【出典

■ 虎杖(いたどり)紋

# 五世紀の中頃、ときの反正天皇が身体を洗おうとしたときに、井戸の中に多遅(たじ)の花があった。そこから、反正天皇を多遅比(たじひ)と言った。多遅は虎杖(多治比とも)のことをいう。また六世紀の前半に、宣化天皇の曽孫の多治比王が誕生したときに、産湯に虎杖の花が飛んできたとか。この伝説から、後裔の丹治氏、多治比氏の代表紋となった。この花は、瑞祥の印とされた。イタドリは「痛みを取る」の意味で、根茎は漢方薬になった。丹治家、多治比家、黒田家中山家大関家などに見られる。【出典

# 虎杖(いたどり)紋: イタドリは山野に生える草で、茎に虎模様があり、杖のような姿であるため、この字をあてた。古名は「タジヒ」といい、名族の丹治氏流の中村氏中山氏黒田氏で使用された。【出典

■ 芥子菜紋(からしなもん)

# カラシナは中国から唐花とともに伝来した架空の植物。「唐梨」とも書く。別名として「梨の切り口紋」ともいう。永井家大橋家、梨本家、吉見家、戸祭家、弓気多家などに見られる。【出典

■ 葡萄紋(ぶどうもん)

# 海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)というものがある。これは奈良などの古墳から出土し、正倉院御物(ぎょぶつ)や寺社の伝世品として知られる。鏡の背面に、獅子とともに葡萄紋様が描かれている。この葡萄紋様は古代の中国から伝来した。そして、植物の葡萄は鎌倉時代に伝来した。五井松平家、神原家、勝部家、深栖家などに見【出典

# 一房葡萄紋(ひとふさぶどうもん): 二枚の葉の下に、一房の葡萄を下げて描いた紋様。【出典

# 枝葡萄紋(えだぶどうもん): 葡萄の枝を左上がりに描き、房を一つつけた紋様。【出典

# 葡萄紋: 日本に葡萄がもたらされたのは約八百年前とされ、中国渡来のものだったが、大本のルーツは不明。清和源氏五井松平家のほか、清和源氏の足利氏流の神原家などにも見られる。【出典

■ 法明寺石榴紋(ほうみょうじざくろもん): 東京都豊島区の雑司が谷鬼子母神法明寺の寺紋。【出典

■ 竹輪に三つ筍紋(たけわにみつたけのこもん): 上杉家の家臣の色部家の家紋。葉のついた二本の竹を鞠挟みに見立て、三本の筍を囲った紋様。【出典

■ 花散里紋(はなちるさともん): 出羽国の秋田藩の家紋。「源氏物語」の第十一帖の「花散里」を題材とした組香の紋様。【出典

   
   
   

■ 家紋の画像データについて

統計表示