「高力」の名字の由来
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■ 高力(こうりき)

【2021/02/26:改編】

# 平氏維将流の高力家: 対い鳩紋 ・ 対い鳩にホヤ紋

# 鳥取県に多くみられる他、山形県にも多い。

# 鳥取県ではほとんどが東伯郡琴浦町に、山形県では酒田市や西置賜郡小国町にまとまってみられる。

# 三河国額田郡高力発祥は熊谷直実の子孫で、武蔵国熊谷から同地に移った重長が高力氏を称し、松平氏徳川氏)に仕え、江戸時代には旗本。代表家紋は「蔦に向い鳩紋」「蔦紋」「丸に鳩の字」。【出典】【家紋のデータ

# 三河国八名郡に足利尊氏から地頭とされた。

# 高力(こうりき): 愛知県額田郡幸田町高力。広田川上流域に位置し、高力氏の本貫地
・ 高力村: 江戸時代から明治時代中頃にかけて三河国額田郡にみられた村名。

# 徳川家の岡崎三奉行の一人の高力清長の本貫地は三河国の高力村(愛知県額田郡幸田町高力)。その祖先は熊谷次郎直実で、熊谷直鎮が足利尊氏に従って三河国八名郡宇利荘(愛知県新城市)を賜り、子孫の正直が高力郷に転じた。高力清長は永禄8年に岡崎の奉行となり、天昇10年に駿河国の田中城代となり、徳川家康の関東入国に従って武蔵国岩槻2万石を賜った。清長の孫の忠房は肥前国の島原4万石を賜ったが、忠房の子の高長は領地の施政の不手際により改易となった。子孫は旗本(1000石)。【徳川家臣団の謎  菊地浩之 角川選書】

# 三河国額田郡高力発祥の高力氏は熊谷直実の子孫で、武蔵国熊谷からこの地に転じた重長が高力氏を称した。江戸時代には旗本。代表家紋は蔦に向かい鳩紋蔦紋、丸に鳩の字紋。【出典

# 「高」のつく名字

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