「酒田」の地名の由来 | |
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■ 酒田(さかた): 山形県酒田市
・ 古くは砂潟、坂田と書いた。砂潟は砂の干潟、坂田は傾斜地の田。アイヌ語ではサケ(鮭)トウ(海)鮭の集まる海。
・ 日本辞典によると、古くは「坂田」とみえる。最上川河口の古い港で「酒田湊」。「砂潟」とも見え、「砂土の傾斜ある田どころ」の意とする説がある。また「サカ(狭い)カタ(潟)」や「サキ(先)タ(処)」の意とする説などもあるという。
・ 「さ(接頭語)」+「かた(潟)」。あるいは、「さか(傾斜地)」+「た(場所を示す接尾語)」か。【出典】
・ 古くは「砂潟」「坂田」と書いた。「砂地の干潟」「狭い潟」「傾斜地にできた田」など諸説ある。【出典】
・ 坂田(さかた)は、「さか(逆・傾斜地)」+「た(田・農耕地)」で、傾斜地の農耕地を意味する。「阪田」は別字で、「酒田」は好字。【誰も知らない語源の話 増井金典 ベスト新書】
・ 酒田港は1672年に河村瑞賢が開いた。
・ 東酒田駅(ひがしさかたえき): 山形県酒田市大町字出雲。JR東日本・羽越本線。
・ 酒田駅(さかたえき): 山形県酒田市幸町。JR東日本・羽越本線。
【酒田36人衆】
・ 平安時代末期に奥州藤原氏の藤原清衡が平泉と京都を結ぶ経由地として酒田の湊を開き利用していた。
・ 奥州藤原氏の滅亡後、秀衡の家族を守って36人の遺臣が落ち延びた。一行は秋田(久保田)から南下し出羽国の羽黒山付近に住み着き、後に酒田湊に土着した。
・ その後、36人の遺臣は地侍となって、廻船問屋を営むようになり酒田の振興に貢献した。ただ、36とは佳字で、実際に平泉をルーツとする36人かは不明のようで、資料では全国各地の出と言われる。
・ 酒田三十六人衆: 鐙屋(あぶみや)、上林(かんばやし・上林七郎右衛門)、後藤家、永田家(永田茂右衛門)、二木家、西野家、根上家、本間家、村井家(村井理兵衛)など。
■ 明治時代、酒田市の税収の1/4は本間家が納めた。【名字でたどる日本の名家 森岡浩 日本実業出版社】
【アイヌ語由来】