前田家
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■ 前田家(まえだけ): 「前田」の名字の由来

# 代表家紋

# 地形姓で全国にみられる。

加賀藩主前田家】

・ 菅原氏の出(美濃斎藤氏の出)で、美濃国安八郡前田(岐阜県安八郡神戸町)をルーツとするが詳細は不明。

・ 前田利家の父の利昌(春)が尾張国海東郡前田(愛知県名古屋市中川区)を領して荒子城を本拠とした。

・ 利昌の四男の利家が織田信長に仕え、1575年の越前府中3万3000石を領し、1581年に能登一国に転じた。

・ 本能寺の変後、豊臣秀吉から加賀北国を与えられ金沢城を本拠とした。

・ 関ヶ原の戦い後119万石となる。

・ 三代藩主の利常が隠居の際に次男利次に越中富山10万石を、三男利治に加賀大聖寺7万石を分地した。

【越中富山藩主前田家】

・ 1639年に三代藩主の利常の次男の利次が祖。

【加賀大聖寺藩主前田家】

・ 1639年に三代藩主の利常の三男の利治が祖。7万石から後に10万石になる。

【上野七日市藩主前田家】

・ 初代藩主の前田利家の五男の利孝が1616年に上野国で1万石を分地されたのが祖。

【小松城代前田家】

・ 二代藩主の前田利長の弟の利政の子の直之が加賀藩家老となり代々1万1000石を領した。

加賀藩家老前田対馬守家】

・ 前田利家の娘を妻とした前田長種は2万石を領した。

【加賀大聖寺藩家老前田家】

・ 加賀大聖寺藩主の一族。

【丹波亀山前田家】

・ 豊臣秀吉の五奉行の一人の前田玄以の家系で藤原北家利仁流

・ 織田信長から豊臣秀吉に仕え丹波亀山5万石を領した。

・ 関ヶ原合戦で西軍につき、一旦は所領を安堵されたが、1601年に除封となった。

【讃岐前田家】

・ 讃岐国山田郡前田村(香川県高松市)をルーツとし、十河氏の支流。

出羽前田家】

・ 出羽国大曲城の前田氏は小野寺氏の支流。

【薩摩前田家】

・ 薩摩の前田家は、薩摩国満家院前田(鹿児島県日置郡郡山町)をルーツとし、比志島栄尊の四男の栄秀が祖で島津氏に仕えた。

・ 薩摩国東郷の前田家は桓武平氏で薩摩渋谷氏の支流で島津氏に仕えた。 

# 前田家: 家紋「加賀梅鉢紋

・ 菅原姓を称するが、系譜は未詳。尾張国荒子の土豪の前田利昌の四男の利家が織田信長に仕え、能登一国を領した。関ヶ原の戦いでは東軍について、加賀、能登、越中で100万石を得た。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】

■ 前田利家: 前田利家は、織田家中の明智光秀柴田勝家、滝川一益、丹羽長秀、池田恒興、森長可、佐々成政、堀秀政、蒲生氏郷などが消えたため繰り上がって上席をしめた。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】

# 前田利家は羽柴秀吉と柴田勝家が戦った賤ヶ岳の戦いでは柴田側に属したが消極的な姿勢だった。戦いの後、利家の娘の豪姫を秀吉に養女として出していたので許された。その後利家は大きく出世するわけだが、その要因は織田家の上位陣の明智光秀、柴田勝家、滝川一益、丹羽長秀、池田恒興、森長可、佐々成政、堀秀政、蒲生氏郷などは次々に消えて最後に残ったからといわれる。【「系図」を知ると日本史の謎が解ける 八幡和郎 青春出版社】

■ 前田利常(諱)

・ 1593年〜1658年
・ 幼名: 猿千代、犬千代
・ 通称: 松平筑前守
・ 別名: 利光
・ 階位: 従三位・権中納言・肥前守
・ 利常は前田利家の側室の子で四男。
・ 正室は、徳川秀忠の娘の「珠姫」。
・ 1605年に加賀藩の二代藩主となり、松平の姓と葵御紋を下賜された。
・ お取りつぶしを回避するため、江戸では「うつけ」を装ったという。
・ 1627年には財政再建のため、奥能登で塩の生産を始めた。

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