「和歌山県」名の由来
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■ 和歌山県: 和歌山県和歌山市

# 和歌山県: 古くは「岡山」といわれた。紀ノ川河口の地形を表した。これが訛った。

・ 和歌浦に対して四方の丘を和歌山と称した。

・ 豊臣秀吉がこの地に築城したときに、和歌浦に対して和歌山と命名した。

# 和歌山は江戸時代には若山と書いた。

# 和歌山(わかやま): 天正13年豊臣秀吉が岡山、のち虎伏山ともいう砂丘性の丘陵に城郭築造を命じた際、南に位置する古来からの名勝「和歌浦」と対比して、「和歌山」と命名したという。なお、近世には若山とも表記され、「続風土記」は「若山或は和歌山とも書す。元禄年中、若山の文字に定めらる」と記し、元禄以後若山の表記を正式なものにしたとする。江戸期の文書・記録には若山の表記が一般的であるが、元禄年間から「若山」と表記することに定められたとする史料的根拠は不明。【出典

・ 1585(天正13)年に豊臣秀吉が吹上の峰に城を築いた頃から「若山、弱山(わかやま)」と呼ばれはじめ、江戸後期には「和歌山」で統一された。【都市データパック2011年版・東洋経済新報社】

# 「若山」とも書いた。この地は「海岸沿いにできた新しい村」という意味から「若の浦」と呼ばれた。また紀ノ川の河口沿いの地形を「岡山(おかやま)」と呼び、「わかやま」となったという説もある。【なるほど日本 地名の由来 雑学大辞典 ISM Publishing Lab./ゴマブックス】 

# 和歌山: 続日本紀によると、この地からの眺めに感動した聖武天皇の命により、もともとは「弱(わか)の浜」と呼ばれていた海岸が、「明光浦(あかのうら)」となり、「和歌浦」となった。さらに豊臣秀吉がその北側にある岡山に城を築こうとした際に、南側に広がる「和歌浦」に対して、築城した岡を「和歌山」と名づけた。【出典

# 和歌山駅(わかやまえき): 和歌山県和歌山市美園町。JR西日本・紀勢本線阪和線和歌山線。若山とも書いた。豊臣秀長の居城が吹上の岡に築かれて岡山と称したが、後に古歌で有名な和歌浦に対して、ここを和歌山と名付けたという。昭和43年(1968年)に東和歌山駅から改名。【出典

# 和歌山駅(わかやまえき): 東和歌山駅(ひがしわかやまえき)→和歌山駅。阪和線・紀勢本線。大正13年(1924年)に、紀伊半島をめぐる紀勢西線(現紀勢本線)が和歌山駅から市街地の東側を通って南下することになり、市街地の東端に東和歌山駅ができた。その後、昭和5年(1930年)に、東和歌山から高速で大阪・天王寺を結ぶ阪和電気鉄道が開通。東和歌山駅は事実上の市の代表駅となって和歌山駅となった。【出典

# 和歌山市駅(わかやましえき): 和歌山県和歌山市東蔵前丁。JR西日本・紀勢本線

# 和歌山(わかやま): 和歌山県和歌山市。近世の城下町の名前に基づく明治12年から22年の区名による。天正13年、豊臣秀吉が築城した折に、南の「和歌浦」に対して、「和歌山」と命名したという。【出典

・ 「わ」行の地名集

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