名字と地名の雑記帳
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■ 原発
・ 福島第一原発(1号機): GE社製、想定負荷重力600ガル、想定津波高5.7m、設計高度13m、建設位置標高10m。
・ 女川原発(1号機) 東芝製、想定負荷重力580ガル、想定津波高9.1m、設計高度14.8m、建設位置標高14m。 
【この地名が危ない 大地震・大津波があなたの町を襲う 楠原佑介 幻冬舎新書】

■ 181201: 都道府県庁所在地周辺で活断層が確認されていないのは、岡山市と宇都宮市くらい。【この地名が危ない 大地震・大津波があなたの町を襲う 楠原佑介 幻冬舎新書】

■ 181121: 織田信秀は、伊勢の外宮仮殿の造替(ぞうたい)費として700貫文を寄進し、その功により、朝廷から三河守に任ぜられた。つまり、官位をお金で買えたともいえる。これに対して、今川義元も三河守を欲したという。そもそも今川義元は上総介を得て、その後に治部大輔となった。この流れが足利尊氏と同じで、尊氏はその後に三河守となり、最後には征夷大将軍をなっている。今川家も清和源氏の足利一門であることから、それを意識したともいわれる。さて、結局どうなったか?今川義元は1560年5月8日に三河守に任ぜられたものの、その後に大軍を率いて出陣し、5月19日には桶狭間で織田信長に討たれる結果となった。【日本史に出てくる 官職と位階のことがわかる本 「歴史読本」編集部編】

■ 181119: 北面・西面(ほくめん・せいめん)
・ 北面は白河上皇が新設した部署で、上皇直属の武力。西面は後鳥羽上皇が新設した。西面の武士は関東の武士から十名が選ばれ、承久の変の際には京方の武力の中心となった。【日本史に出てくる 官職と位階のことがわかる本 「歴史読本」編集部編】

■ 181117: 滝口(たきぐち): 武者所の前職で、宮中の警備をおこなった。清涼殿の東北の滝口に詰め所があったので、滝口の武士といわれた。滝口とは宮中の下水が集まって地下に落ちてゆくところである「御溝水(みかわみず)」の美称。【日本史に出てくる 官職と位階のことがわかる本 「歴史読本」編集部編】
※ 平重盛の家来の斎藤時頼などが代表的で、歴史書を読むと、武士の官職として、「滝口の武士の出」などとして出てくることがある。平将門なんかがそうだったかなぁ。

■ 181116: 推古朝に始まる天皇(すめらみこと)の「すめら」は仏教界で説かれる須弥山(しゅみせん・スメル山)に由来する。推古朝は仏教の時代。【日本史に出てくる 官職と位階のことがわかる本 「歴史読本」編集部編】

■ 181114: 日本三大船橋: 越中富山の神通川、陸奥盛岡の北上川、越前福井の九頭竜川。神通川の船橋に繋がれた船は、当初は32艘、後に52艘になり、長さは436mあった。【江戸のうんちく 社会と生活 大石学 角川ソフィア文庫】

■ 181114: 小田急沿線の商店街は、駅から線路に平行に伸びているのに対して、京王線沿線の商店街は、駅から直角に伸びている。それは、小田急線は谷沿いを、京王線は尾根沿いを走っているから。【地形を感じる駅名の秘密 東京周辺 内田宗治 じっぴコンパクト新書】

■ 181106: アメリカの国際政治学者のサミュエル・ハンチントンは「世界史で生き残った文明は5つある。欧米文明、イスラム文明、中国文明、インド文明、そして日本文明」と、言っている。【日本史の謎は「地形」で解ける 竹村公太郎 PHP文庫】

■ 181002: 明治時代の終わり頃の全国人口ランキングでは、小樽14位、函館15位、札幌19位。大正14年では函館9位、札幌13位、小樽16位。札幌が北海道一の人口となったのは昭和15年の国勢調査から。【消えた都道府県名の謎 意外と知らない「ふるさとの成り立ち」47の物語 八幡和郎 イースト新書Q】

■ 181001: 江戸時代の「暦」は、官が作るもので、古来よりの伝統で、土御門家が原稿を作り、幕府が認めて、指定の暦問屋を通じて市中に流通していた。
・ 幕府は、暦への「吉兆」の過剰な記載をいやがり、「大安」などの表記があったのは非合法で作られた暦だけだった。明治時代になって本格的に掲載された。【歴史読本2012/10 知っておきたい旧暦の楽しみ方】

■ 180929: 前方後円墳の北限は山形県、宮城県だったが、岩手県奥州市にも、ポツンと前方後円墳があった。【東北 不屈の歴史をひもとく 岡本公樹 エルパカBOOKS】

■ 180929: 平成5年の大凶作の作況指数。全国平均74。青森県28、岩手県30、宮城県37。秋田県83、山形県79。タイから米を緊急輸入。【東北 不屈の歴史をひもとく 岡本公樹 エルパカBOOKS】

■ 180929: 厨川柵は、厨川次郎という別名をもつ安倍貞任の本拠地だった。【東北 不屈の歴史をひもとく 岡本公樹 エルパカBOOKS】

■ 180929: 森鴎外の趣味は「武艦」を読むことだった。武艦とは江戸時代の職員録のようなもの。【江戸の旗本事典 小川恭一 角川ソフィア文庫】

■ 180927: 平泉初代藤原清衡と信夫佐藤氏の娘の子が二代基衡、基衡と安倍氏の娘の子が三代秀衡。【東北 不屈の歴史をひもとく 岡本公樹 エルパカBOOKS】

■ 180914: 長野県飯田は赤穂浪士の赤垣源蔵の誕生地だが、本当は赤埴(あかばね)源蔵らしい。【小さな城下町 安西水丸 文藝春秋社】

■ 180907: 新宮には徐福公園があるのか。熊野川河口には徐福上陸記念碑?【「死の国」熊野と巡礼の道―古代史謎解き紀行― 関裕二 新潮文庫】

■ 180901: ほう、イザナミが葬られたのは、紀伊国の有馬(和歌山県熊野市有馬)か。【「死の国」熊野と巡礼の道―古代史謎解き紀行― 関裕二 新潮文庫】 

■ 180831: 日本で一番多い稲荷神社
・ 稲荷信仰は、京都市伏見区の伏見稲荷大社に始まる。京都の太秦に本拠をおいた秦氏が、自家の氏神として伏見稲荷大社をひらいた。そして秦氏の勢力圏に広まっていった。【地名でわかるオモシロ日本史 武光誠】

■ 180830: 八幡神社
武家の守り神として信仰され、大分県宇佐市の宇佐神宮にはじまる。宇佐神宮は宇佐を根拠地として手広く交易を行った航海民の神だった。平安時代末期に清和源氏が八幡神を氏神とした。【地名でわかるオモシロ日本史 武光誠】

■ 180821: 熊野信仰
・ 熊野信仰の地名は東日本に多く見られる。【地名でわかるオモシロ日本史 武光誠】

■ 180809: 青森県の三内丸山遺跡の人口は500人を超えるといわれ、狩猟生活だけではまかなえない。遺跡の土壌から検出した花粉の80%以上は栗の花粉で、天然の状態では10%を超えることは稀と言われる。DNAの配列が一致することから農耕によって栽培されていたそうだ。おいしい栗や収量の多い栗を選別して栽培していた?【海の邪馬台国 邦光史郎】
・ 雪の降る地方にという驚きもあるが、果たして縄文時代にも豪雪があったのか?縄文海進というくらいだから、暖かったんではないだろうか?

■ 180809: 海上を丸木舟で渡り、北海道からは黒曜石を、秋田からはアスファルトを手に入れた。縄文人は天然のアスファルトを接着剤として使っていた。【海の邪馬台国 邦光史郎】

■ 180809: この時代の文明においてラグーンの果たした役割は大きく、気候変動によるラグーンの消滅が三内丸山の消滅につながったという説もある。【海の邪馬台国 邦光史郎】

■ 180806: 毛利家と森家はルーツが同じ、相模国愛甲郡毛利(森)で、本来は「もり」と読んだ。大江氏の毛利氏は清和源氏の森氏とルーツが同じ。【名字でたどる日本の名家 森岡浩 日本実業出版社】

■ 180806: 阿波国の平島公方: 戦国時代に足利義維が阿波国那賀郡平島荘(徳島県那賀郡那賀川町)に住んだのを祖とし、平島公方と言われた。江戸時代も平島に住んでいたが、9代の義根が徳島から京都に転じた。【名字でたどる日本の名家 森岡浩 日本実業出版社】

■ 180514: 阿倍比羅夫が蝦夷の反乱を鎮めるために出征したという日本書紀の記事にも、十三湊にいた粛慎と戦って追い払ったとある。【海の邪馬台国 邦光史郎】 

■ 180514: 朱に対する信仰が生んだ丹生(にゅう)
・ 「丹」とは、水銀の原料となる「辰砂(しんしゃ)」で、古代には地表で採取できる土地のことを「丹生(にゅう)」と呼び、「辰砂(しんしゃ)」の採掘にたずさわった豪族が「丹生」の姓を与えられた。古代において、「赤色の丹」は祭祀に欠かせなかった。丹生の地名のあるところには丹生都比売(にうつひめ)を祀った丹生神社がみられた。【地名でわかるオモシロ日本史 武光誠】

■ 180514: 坂本龍馬もだが、当時は犯罪者であったものが、時空を超えると英雄になる典型かなぁ。現代も、犯罪者的評価のある人が未来には再評価されるかもなぁ。
 ときに、再来年の明智光秀や石田三成も時代を経て再評価されている人たちだが、その背景には再評価に尽力した人がいたわけだけどね。
 個人的には、明智光秀も石田三成も悪い印象は持ってないなぁ。当時としては当たり前のこと。それより、掟を破って挑発した家康ドンの方が阿漕。 

■ 180327: なんか、相撲協会がらみで今日もテレビに顔を出していた、池坊保子衆議院議員(華道の池坊45代目専永の妻)は村上源氏の久我(こが)家の支流の梅渓(うめたに)家の出。その他に久我家からは岩倉家、六条家などが出た。【名字でたどる日本の名家 森岡浩 日本実業出版社】

■ 180326: 奈良時代や平安時代初期に、青森県の十三湖や沼垂(新潟県)付近まで選挙していた粛慎(しゅくしん・みしはせ)もツングース系と思われる。【海の邪馬台国 邦光史郎】

■ 180323: 三内丸山遺跡
・ 青森県の三内丸山遺跡は5500年ほど前の縄文文化だが、つねに500人以上の集団が集落を営み、それが1500年以上も続いた。【海の邪馬台国 邦光史郎】
・ 食料を貯蔵し、栗林を作り、稗を栽培し、女性は三種類の髪型を競い合い、耳にはピアスをして、漆塗りの櫛で髪を飾っていた。【海の邪馬台国 邦光史郎】

■ 180210:  日本列島に稲作農民が渡来し、北九州の遠賀川や筑後川の河口で稲作を始めたのは、今から2000年前で。4〜500年で南関東まできた。集団で助け合いつつ耕作ができて、貯蔵が可能な米が作られるようになって、初めてムラが生まれた。【海の邪馬台国 邦光史郎】

■ 180210: 縄文人は、ウルム氷河期のころ、沿海州に住むツングースの一派が、まだ凍り付いている間宮海峡を渡って樺太(サハリン)、さらに北海道に渡ってきたものと思われる。【海の邪馬台国 邦光史郎】

■ 180129: 板谷峠に残る大野九郎兵衛の墓
作られたのは明和6年(1769年)。これを含めて、大野九郎兵衛伝説は東北地方に多く残るらしい。【名家老列伝 組織を動かした男たち 童門冬二 PHP文庫】
※ 大野九郎兵衛の墓は板谷峠に残ってるのか。まぁ、信憑性は別として、東北地方南部に大野九郎兵衛伝説が多く残っているらしいから、なんかあるんだろうね。

■ 180118: 天武14年(685年)の詔に「諸国に、家毎に、仏舎を作りて、乃ち仏像及び経を置きて、礼拝供養せよ。」というのがある。それに呼応して、各地に寺が作られた。郡司氏族によって盛んに作られた寺を郡寺という。【日本の古代道路 道路は社会をどう変えたのか 近江俊秀 角川選書】

■ 180116: 地名を復活しても、出費はあっても金銭的には儲からないので、なかなか進まない。【地名の楽しみ 今尾恵介 筑摩eブックス】なるほど2。

■ 180116: 地名は無形遺産と同時に日用品。【地名の楽しみ 今尾恵介 筑摩eブックス】なるほど。   

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