邪馬台国
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■ 邪馬台国(やまたいこく)

・ 3世紀に見える国名。「魏志倭人伝」によると、2世紀末の倭の国々は政治的混乱の中から、邪馬台国の女王卑弥呼を共立して女王にしたが、「日本書紀」はこの卑弥呼を神功皇后として、邪馬台国は畿内の大和にあると考えていた。江戸期になって倭人伝に記す朝鮮半島の帯方郡(現在の平壌にあった楽浪郡の南におかれた郡)から邪馬台国へ至る途中の国々の国名やそれぞれの国に至る方位や距離についての認識が深まり、新井白石や本居宣長によって邪馬台国九州説が唱えられ、本居宣長は卑弥呼は九州南部の熊襲の女酋長が神功皇后の名を僣称して魏へ使いを出したのだとした。明治期の実証的歴史研究の展開の中で、那珂通世によって、卑弥呼を神功皇后とすることはできないことが明らかにされ、星野恒によって福岡県山門(やまと)郡の地名が注目され、そこにいた土蜘蛛田油津媛を卑弥呼につづいて倭の女王に擁立された壱与であるとした。邪馬台国の所在地として山門郡が注目されることになったが、このような邪馬台国九州説に対して、畿内説の主張もある。【角川日本地名大辞典】  

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