平将門
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■ 平将門(たいらのまさかど)【出典

・ ?ー940年。

・ 出身地: 下総国(茨城県)

・ 肩書き: 武将。

・ 家族: 父:平良将。

・ 武士とは、もともと武芸をもって朝廷に仕える役人をさしていたが、彼らが地方の紛争を鎮めるために派遣された場合、そのまま地方に住んで勢力を拡大したケースが9世紀から10世紀になると目立ってきた。東国に早くから根をおろした桓武平氏のうち、平良将(よしまさ)は下総国で実力を持った。良将の領地を引き継ぐために、それにふさわしい官位を得ようと、息子の将門は上京して、朝廷に出仕した。ところが、父の死後、下総国に戻ってみると、父の領地は伯父の平国香に奪われていた。これがきっかけで、将門と伯父の国香との争いがおこって、叔父の良兼も国香側に加わって紛争へと拡大した。その後も、叔父の良正などの一族を次々に巻き込みながら、戦いは拡大した。将門は彼らを撃破するうちに、国司とも対立していった。その後、常陸国下野国上野国の国府を攻略して関東の八カ国を制圧した。939年12月に自らを新皇と称したが、その50日後に将門に父親を殺された平貞盛藤原秀郷の連合軍に討たれた。これを平将門の乱という。


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