「赤羽・赤埴」の名字の由来 | |
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【2016/02/26:改編】
# 全国順位(森岡浩ランキング): ※位
# 代表家紋
# 長野県に多く見られ、特に伊那地方に多い。
# 信濃国伊那郡赤羽(長野県上伊那郡辰野町)をルーツとし、清和源氏の小笠原氏の一族とも言われる。
# 陸奥国石川郡赤羽(福島県石川郡石川町赤羽)をルーツとし、清和源氏満仲流の石川氏の一族。
# 上野国吾妻郡赤羽根(群馬県吾妻郡嬬恋村)をルーツとすると言われる。
# 「赤羽根」: 「赤羽」と由来を同じくし、栃木県や長野県東部にみられる。
# 赤羽は「あかはね」「あかばね」「あかは」「あかば」読みがある。全国の約4割が長野県に見られる。
# 「赤」の語源
# 長野県の赤羽家
# 「赤」のつく名字。
■ 赤埴(あかばね、あかはに)
【2023/05/22:改編】
# 赤羽にも通じるが、下野国芳賀郡赤埴発祥は藤姓君島氏族。大和国宇陀郡赤埴発祥は十市(といち)氏の配下の豪族で、古代の三輪氏の後裔。代表家紋は「三つ鱗紋」。【出典】
# 大和国宇陀郡の国衆。もとは、興福寺大乗院領荘園だった赤埴荘の下司で「赤垣」とも書いた。赤埴安頼は後醍醐天皇に仕え、その子の安朝は赤埴山に赤埴城(奈良県宇陀市榛原赤埴)を築いた。戦国時代には、北畠氏の没落後、信安は筒井氏に属していたが、天正13年(1585年)に筒井氏が伊賀に転じると、新たに郡山城主になった豊臣秀長によって赤埴安忠は城館を破却された。【出典】
# 「赤」のつく名字。
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