さいとう家の家紋
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■ 斎藤・斉藤家: 「斎藤・斉藤」の名字の由来   

# 代表家紋: 撫子紋下がり藤紋

・ 藤原北家利仁流美濃斎藤氏: 撫子紋【家紋の世界 インデックス編集部 文庫ぎんが堂】

・ 斉藤は古くから斎藤の略字として使われた。

・ 斎藤実元首相(岩手県の出身): 丸に片喰紋

・ 斎藤道三: 道三波紋撫子紋

・ 斎藤道三: 波紋。斎藤道三は、松波庄五郎と言った。【出典

・ 作家の斎藤緑雨(三重県の出身): 丸に撫子紋

・ 「丸に三枚笹紋」「三階菱紋」「撫子紋」「下がり藤紋」「五三桐紋」【道産子のルーツ事典 岸本良信 中西出版】

・ その他の家紋: 矢筈紋

# 齋藤: 「撫子紋」「梅鉢紋」「上がり藤紋」「丸に抱き茗荷紋」「丸に二つ引紋」【知っておきたい家紋と名字 別冊宝島】

# 斎藤姓の代表家紋: 下り藤紋、撫子紋【出典

# 斎藤道三: 1494年に生まれた道三は、十一歳で僧侶になり、油商人を経て美濃国の守護土岐氏の小守護代の長井長弘の家臣になった。その後、君主交代の画策や自らが仕えていた長井長弘を殺害。下剋上の体現者として、事実上の美濃国主となった。【出典

# 斎藤義龍: 美濃国の守護であった土岐頼芸の愛妾の深芳野の子。深芳野は道三に頼芸が追放された後に、道三の側室になっていたが、ちょうどその頃に深芳野は義龍を身ごもっていたとされ、当時から義龍は、頼芸の落胤と噂された。それを利用して道三は土岐氏の家臣団をとりこんだが、次第に道三と義龍は対立するようになった。【出典

# サイトウ(斎藤、斉藤)【出典

・ 福井県/藤原北家利仁流: 「撫子紋」「丸に撫子紋」「丸に三つ撫子紋」「梅鉢紋」「剣梅鉢紋」「丸に星梅鉢紋」「丸に割り梅鉢紋」「丸に桔梗紋」「上がり藤紋」「丸に上がり藤紋」「下り藤紋」「丸に下がり藤紋」「左三つ巴紋」「右三つ巴紋」「丸に立ち沢瀉紋」「片喰紋」「丸に剣片喰紋」「丸に三つ柏紋」「丸に抱き柏紋」「丸に五三桐紋」「丸に九枚笹紋」「丸に根笹紋」「九曜紋」「源氏車紋」「丸に違い鷹の羽紋」「丸に違い矢紋」「鶴の丸紋」「丸に桜紋」「丸に木瓜紋」「丸に四方木瓜紋」「五瓜に唐花紋」「丸に蔦紋」「丸に鬼蔦紋」「丸に尻合わせ三つ蔦紋」「丸に抱き柊紋」「丸に橘紋」「丸に抱き茗荷紋」「丸に二つ引紋」「丸に平四つ目紋」「丸に隅立て四つ目紋」「丸に四つ目菱紋

# 斎藤家【出典

・ 二頭立浪紋(にとうたつなみもん): 斎藤道三の父親は京都の妙覚寺の僧侶で、還俗して西村氏を称し、美濃国の守護土岐氏の家臣の長井氏に仕えた。やがて、頭角を現して長井氏を称し、息子の道三の代には斎藤家を乗っ取って、土岐氏を圧迫して美濃国を奪った。斎藤家は藤原北家庶流で、室町時代から土岐氏に仕えて美濃国に勢力をもった。代々の家紋は、「撫子紋(なでしこもん)」だが、道三は「二頭立浪紋(にとうたつなみもん)」を好んで使用した。波は、力強さの表れとされ、戦国時代の武家には好んで使用された。

# 斎藤道三: 代表家紋は「撫子紋」と「二頭立浪紋(にとうたつなみもん)」。斎藤氏の家紋はもとは撫子紋だったが、道三は二頭波紋を考案した。この家紋は、潮の干満を戦いの駆け引きにたとえたもので、物事には人の力ではどうにもならない潮の満ち引きのような流れがあるので、その流れをよく読んで適切な作戦を立てるのが肝要だということを表している。右の三つ(奇数)、左の二つ(偶数)の飛沫は、世の中には割り切れるものと割り切れないものがあるということを示唆している。【出典

家紋の図柄

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