兵庫県内の「酒井」の名字の詳細 | |
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■ 県内70位: 酒井(さかい)
# 丹波地方の名字。酒井氏は、徳川家の譜代の重臣である酒井家が有名だが、丹波国多紀郡の酒井氏は別流。桓武平氏の出で、相模国の出。承久の乱後、政親が酒井郷(兵庫県篠山市)を賜って土着、一族で酒井党を形成した。室町時代には細川氏に従った。一族は多紀郡内に拡がった。明智光秀の丹波攻めで滅亡した。篠山市では最多姓。【出典】
# 兵庫県の酒井家: 播磨国の姫路藩主。三河国幡豆郡酒井(愛知県西尾市吉良)をルーツとすると言われるが、三河国碧海郡酒井村(愛知県刈谷市)をルーツとするともいわれる。家康が今川家から独立した際には家老を務め、江戸時代には大老を努めた。
# 兵庫県の酒井家: 播磨国の姫路藩15万石。雅楽頭酒井家で、上野国の伊勢崎藩主、若狭国の小浜藩主、安房国の勝山藩主、越前国の敦賀藩主は分家。徳川家康の関東入国後、武蔵国川越(埼玉県川越市)1万石。後に上野国の厩橋(群馬県前橋市)3万3千石。寛延2年(1749年)に播磨国姫路15万石。【出典】
# 兵庫県の酒井家: 丹波国の国人で丹波国多紀郡酒井郷(兵庫県篠山市)をルーツとする。桓武平氏の出で、相模国の出と言われる。室町時代には細川氏に従い、明智光秀の丹波攻めで滅亡した。【出典】
# 兵庫県の酒井家: 播磨国姫路藩主。酒井忠世は徳川秀忠の家老となって父とは別に上野国那波藩1万石を立藩。1616年に上野伊勢崎5万2000石となり、翌年には父の遺領も継いで、さらに老中となって前橋12万2500石へ。孫の忠清は大老を15年間務めて「下馬将軍」といわれ、15万石に加増。しかし、同年に四代将軍家綱が死去した際に、有栖川宮幸仁親王を将軍に迎えようとして失敗、五代将軍綱吉の就任で失脚した。1749年に忠恭のときに播磨姫路15万石に転封。明治維新後には、忠惇は家督を養子の忠邦に譲って徳川家とともに駿河国に転じ、久能山東照宮の宮司となった。後に伯爵。別家となっていた忠惇も男爵。【出典】
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