静岡県内の「鈴木」の名字の詳細
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■ 1位: 鈴木(すずき): 静岡県の鈴木家。第一生命の調査では4.75%、明治安田生命の調査では4.90%。

# 静岡県の鈴木家: 駿河国清水湊(静岡県静岡市清水区)で播磨屋を号した豪商。1801年に初代の与平が特許問屋の一つである港屋平右衛門から問屋株を譲り受け、廻船問屋「播磨屋与兵衛」を創業した。清水湊には播磨屋を称する問屋が多く、江戸時代初期から同地で続く播磨屋作右衛門家の流れを汲むとされる。【出典

# 静岡県内では、各市町のほとんどは1位。【出典

# 鱸氏の鈴木氏と同流。【出典

# 鈴木姓の発祥は、紀伊国の熊野といい、物部氏族穂積氏後裔と伝えられる。伝説によると、孝昭天皇のときに、紀伊の山奥の千尾峰で、漢司符将軍の嫡子の真俊が、榎の本(えのもと)に権現を勧請して榎本姓を賜り、、弟の二男の基成は猪子を捧げて丸子(わにこ・宇井)姓を賜り、三男の基行は御秣(みまつ)として稲穂を捧げたので穂積姓を賜ったといわれ、鈴木氏は穂積氏後裔という。「鈴木家譜」には鈴木元行より二十余世を経て鈴木判官真勝がおり、その末裔の重包は熊野八庄司の魁となり、その後裔の重邦は源為義に従い、その子を重倫、その子を鈴木三郎重家、亀井六郎重清という。この兄弟は源義経の郎党になって活躍した。しかし、発祥に他説がないわけではない。高倉下命の後裔の羽鷲という人が初めて鈴木姓を称したとも、祖は重基ともいい、重家以前は諸説ある。【出典

# 熊野発祥の鈴木姓が全国的に繁延したのは、熊野神が至る所に勧請され熊野信仰の布教の為に鈴木氏が随従して各地に移住したからという。また、熊野水軍といわれた鈴木氏は海を利用して行動した事であり、これを裏付けるように太平洋岸の各地は特に多く分布している。【出典

# 伊豆江梨(沼津市)の鈴木氏の先祖は紀伊国熊野藤白から船で渡ってきたと伝えられる。1331年に重家の六代孫の鈴木左京大夫繁伴は鎌倉幕府執権北条氏に味方して、大塔宮護良(もりなが)親王を熊野で迎え討とうとしたが果たさず、建武中興後、故郷の藤白を捨てて江梨に来船したという。南北朝時代に入り、足利尊氏の世となってからは藤白に一旦帰ったが、尊氏、直義兄弟が戦ったときに、直義に属して敗れたので再び江梨に来航して逃れ住み、その後、上杉憲顕に属して江梨を領し、鎌倉公方の足利氏満の時に、伊豆国と相模国の両国の船大将となった。繁伴の子の左京大夫繁郷は西浦五ヵ村を領し、孫の兵庫助繁宗のときに、北条早雲に従い北条水軍となったが、1590年に豊臣水軍と戦い、繁義、繁康父子は北条氏と運命を共にして滅んだという。【出典

# 稲取村(東伊豆町)の鈴木氏は、江梨の鈴木兵庫助の次男の孫七郎繁時が1362年に移住し、北条水軍となってた。【出典

# 宇久須村(賀茂村)の鈴木氏は永正の頃から続くと言われ、後北条氏の時代には土肥の富永氏に従って代々和泉守を称したので、文正年間から姓を泉に改称したという。【出典

# 志太郡五十海村(藤枝市)の鈴木藤八は、関ヶ原の合戦の時に、徳川家康に柿を献じ、それより「藤八柿」の名が世に出たと伝えられ、江尻城主の穴山信君に属した惣七郎は鈴木島(島田市)を開発した。中之郷(静岡市)の鈴木氏は、永禄年間から代々藤左衛門を称して天正年間には武田氏に属し代々里長を務め、慶長のころに、徳川水軍の小浜民部の家老の鈴木源左衛門は清水に住んだという。【出典

# 駿東郡竹之下(小山町)の鈴木氏の祖は、鈴木三郎左衛門重行の後裔で代々若狭守を称し、永禄のころに、一族の和泉守は葛山氏に仕え、のちに武田氏に属し、竹之下(小山町)を知行した。新橋(御殿場市)の鈴木氏は若狭守の子孫といい、当地の里長をつとめた。【出典

# 庵原郡内房村(芝川町)の浅間神社の神主の鈴木刑部大夫は、戦国時代武田氏に招かれて紀伊国の熊野から来住したという。【出典

# 遠江国の鈴木氏は熊野の住人の鈴木重行の後裔の重長(三河鈴木祖。重義、重善、重行という説もある)の弟の重猶が遠江国に住んだのに始まるという。【出典

# 蒲御厨浜松市)の蒲大神宮の祠官の鈴木氏は平安時代から住んで、源平合戦の時は源頼朝の弟の蒲冠者範頼の縁で源氏方に随従したという。【出典

# 山名郡木原村(袋井市)の熊野権現の神主の鈴木氏は鈴木三郎重吉の後裔で、天文年間に鈴木因幡守吉勝、太郎次吉次、織部久秀があり、天正のころから吉次は木原氏を称し、その子孫は幕臣。【出典

# 永禄年間に、井伊谷の三人衆の鈴木三郎大夫(重時)は徳川家康に属し、遠江国への侵入を手引きするが、先祖は室町時代末期に、井伊谷城(引佐町)に来住したという。【出典

# 元亀年間の遠江国の一宮の小国神社(森町)の神官の鈴木豊前守藤原重勝の遠祖の清原則房は永保年間に宮司に補され、子孫は神職を継いだ。【出典】 

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