源義経
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■ 源義経(みなもとのよしつね)【出典

・ 1159−1189年。享年31歳(自害)。

・ 出身地: 京。

・ 肩書き: 武将。

・ 家族: 父:源義朝、兄:源頼朝

・ 源義朝の九男で、幼名を牛若丸といった。1159年の平治の乱で父が敗死したときには2歳であった。母の常盤御前が戦勝者の平清盛の愛妾になることを条件で命を救われ、京の鞍馬寺に預けられた。16歳のときに寺から出て、藤原秀衡を頼って平泉に行った。1180年に、兄の頼朝の挙兵(治承・寿永の乱)を聞くと、頼朝のもとに馳せ参じた。義経は、富士川の戦いで勝利し、頼朝から兄の源範頼とともに以後の遠征軍の指揮を委ねられた。1184年に、京を占領した源義仲を宇治川で敗走させると、勢力を盛り返した平家を一ノ谷(兵庫県)の奇襲で破った。その後、拠点の屋島(香川県)に逃げた平家を撃破した。そして、ついに壇ノ浦(山口県)に追い詰めて平家を滅亡させた。しかし、頼朝と義経の関係は悪化して、頼朝は義経討伐を決めたため、義経は平泉の藤原秀衡のもとに逃れた。しかし、秀衡の没後に跡を継いだ藤原泰衡は頼朝の圧力に耐えきれず、1189年に義経の居館だった衣川館を攻めて、義経は自害した。


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