「木瓜」の家紋の解説
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■ 「木瓜」の家紋の解説: 「木瓜」の家紋図

# 木瓜は、御簾の掛けぎわの装飾である絹織物の帽額(もこう)にあしらわれた文様のこと。正式には、帽額の文様は「?(か)」といい、大型の鳥の巣をかたちどったものとされ、中国では唐代に官服の文様として使用された。木瓜・?(か)紋はスサノウの命(牛頭天王・ごずてんのう)を祀る多くの神社の神紋として使用されている。紋の形から、輪切りにしたキュウリ(木瓜)とも解釈され、神社の祭りの間はキュウリを食べないという風習もある。公家では徳大寺家が使用し、また但馬国発祥の日下部氏族で多く使用されている。大名家では、織田家など七家で、幕臣では120余家で使用された。【出典

# 五瓜に唐花紋(ごかにからはな): 五弁の唐花の周囲を、「鐶」と呼ばれる、二重になった五つの外郭で囲った。一般には、外郭が四つのものを「木瓜」、五つのものを「?(か)」といい、「五つの?(か)」が「五瓜(ごか)」に変化した。全国に2000社以上あるという八坂神社など、スサノウの命を祭神にしている神社の多くで神紋として使用され、その氏子でも使用している家が多い。【出典

# 木瓜紋【出典
・ 中国で、官服などについていた文様が、日本に伝わって社殿の御簾にあしらわれるようになった。それを家紋として使用する家が増えて、様々な種類が増えていった。五大紋の一つ。北陸地方や東北地方に多く見られる。
・ 木瓜紋、剣木瓜紋、石持ち地抜き木瓜紋、堀田木瓜紋、雲木瓜紋、三つ盛り木瓜紋、割り木瓜紋、三つ割り木瓜紋、徳大寺木瓜紋、中津木瓜紋。

# 木瓜紋(もっこうもん): 木瓜紋は「木瓜(キュウリ)」を輪切りにした断面に似ている。一説には、その断面の美しさから、この呼称がついたという。しかし、神社の御神体の前に掛けられた御簾の紋に由来するとの説が強い。御簾の両端に絹布の縁があって、「帽額(もこう)」といった。帽額の音が変化して、木瓜となったという。木瓜紋を最初に使用したのは、奈良時代の日下部氏。その一族の朝倉氏朝来氏(あさごし)、太田垣氏八木氏などが使用した。織田家の木瓜紋は、越前国の守護代だった朝倉氏から、地元の豪族だった織田氏が拝領したという。江戸時代に、この紋を使用した大名・旗本は160家以上に及ぶ。伴家田中家中川家岸家津田家有馬家伊藤家竹内家牧家などに見られる。【出典

# 木瓜紋: 奈良時代、衣服や車につける文様として使用され、のちに家紋になった。織田信長の家紋として有名だが、もとは徳大寺家の家紋で、ほかに越前国の朝倉家などに見られ、大名や旗本など160家以上で使用された。【出典


# 木瓜(もっこう)紋: 木瓜は、「地上の鳥の巣を模したもの」で後に「神社の御簾につける神聖な紋」となった。子孫繁栄と神の加護を意味する。織田家堀田家有馬家朝倉家など。【知って楽しい「苗字」のウンチク 丹羽基二 PHP文庫】

# 木瓜紋: 地上にある鳥の巣と卵を文様化したもので、神仏の加護を表す。富山県では4割、石川県では3割、新潟県と青森県では2割をしめる。

・ 横木瓜紋(普通の横長の木瓜紋)出典

・ 横木瓜紋: 清和源氏義家流の田中家伴家清和源氏頼親流の高木家。平氏繁盛流の芹沢家出典

・ 横木瓜紋: 藤原北家利仁流の斎藤家出典

・ 福井県、石川県、富山県には木瓜紋が多い。出典

# 木瓜紋

・ 朝倉義景 三つ盛り木瓜紋【見て楽しい読んで学べる家紋のすべて PHP研究所】

・ 滝川一益 丸に竪木瓜紋【見て楽しい読んで学べる家紋のすべて PHP研究所】

・ 沖田総司 丸に木瓜紋【見て楽しい読んで学べる家紋のすべて PHP研究所

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