岐阜県内の「稲葉」の名字の詳細 | |
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■ 稲葉(いなば): 岐阜県の稲葉家
# 岐阜県の稲葉家: 美濃国白鬚城(岐阜県岐阜市)の稲葉家は土岐氏に仕えていたが、後に織田家に仕え、関ヶ原の合戦では西軍から東軍に転じた。江戸時代には豊後臼杵藩5万石。明治維新後は子爵。【家紋:折敷に三文字】
# 岐阜県の稲葉家: 美濃十七城(岐阜県瑞穂市)の林正成は稲葉家の婿となり稲葉氏に改姓。豊臣秀吉に仕え、小早川秀秋の家老を務めた。関ヶ原の合戦後に徳川家康に仕え各地を転々とし、享保8年(1723年)に山城国淀10万2千石。明治維新後は子爵。安房国の館山藩主の稲葉家は分家。
# 美濃国の戦国大名。伊予国の河野氏の出の通貞は一旦出家したのちに還俗して、寛正5年(1464年)に美濃国に転じて土岐成頼に仕え、3000貫を賜って安八郡中川荘曽根(岐阜県大垣市)に築城して本拠地とした。この際に、美濃国稲葉社の奇端を得て稲葉氏を称したという。子の通則は大永5年(1525年)に浅井亮政と戦って石津郡牧田で子5人とともに討ち死にしたことから、僧籍に入っていた六男の良通(一鉄)が還俗して家を継いだ。良通は土岐氏の没落ののちには斎藤道三・義龍・竜興に仕え、氏家卜全・安藤守就とともに西美濃三人衆と呼ばれた。永禄10年(1567年)に他の二人とともに織田信長に内通して斎藤氏の滅亡のきっかけをつくり、以後は織田信長に仕えて各地に転戦し、姉川の戦・長島一揆などで功を成し、美濃国大野郡の清水城主となった。天正9年(1581年)に、安藤氏の所領の併せ、本能寺の変の後には豊臣秀吉に従った。子の貞通も秀吉に属し、天正16年に郡上郡八幡4万石を領した。【出典】
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