「甲斐」の名字の由来
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※ 宮崎県の名字の特徴

■ 甲斐(かい)

【2022/11/15:改編】

# 306位

# 299位: 「花菱紋」「割り菱紋」「違い鷹の羽紋」「打違い鷹の羽紋」「三つ巴紋」【知っておきたい家紋と名字 別冊宝島】

# 清和源氏嵯峨源氏藤原氏大江氏などに見られる。

# 甲斐の語源は「山あい」や「開墾地」という意味。

# 古くは甲斐国造末裔清和源氏には甲斐国の武田氏族、越前国・遠江国の斯波氏族、美濃国の土岐氏族など。ほかには、嵯峨源氏渡辺党、藤原南家工藤氏族。肥後国の甲斐氏は著姓だが菊池氏一族で菊池武房の三男の武本を祖とする。代表家紋は「桐紋」「鷹の羽紋」「橘紋」。【出典】【家紋のデータ

# 宮崎県:2位、大分県:10位、熊本県:42位、福岡県:191位など。

# 甲斐路に由来する。

# 肥後国菊池氏末裔甲斐国に移り住んだことに由来する。

# 河内国錦部郡甲斐荘(大阪府河内長野市)をルーツとする。

# 大分県、宮崎県、新潟県佐渡に多い。

# 日向国肥後国国人菊池氏の一族。菊池武村の子の重村が甲斐国都留郡(山梨県)に住んで甲斐氏を称した。重村は足利尊氏に従って九州に下向したが、菊池武重に敗れて日向国鞍岡(宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町)に土持氏を頼って逃れ、のちに高千穂に土着して同地の豪族になった。1513年に、親宣は阿蘇惟長に追われた惟豊を助けて阿蘇大宮司に復帰させ、自らも肥後国阿蘇郡(熊本県)に戻って、阿蘇氏の重臣になった。子の親直は1541年に益城郡御船城主の御船房行を討って御船城主になった。以後、大友氏と結び、相良氏や島津氏と争った。子の親英のときに島津氏に敗れて落城した。【出典

# 越後国の守護代斯波氏に仕え、越前国と遠江国の守護代をつとめた。最所に確認できるのは1383年の甲斐美濃守で、以後、1461年に政盛が朝倉貞景に守護代を奪われるまで、代々世襲した。応仁の乱では西軍に属して朝倉氏に敗れ、遠江国に逃れた。【出典

# 福井県の甲斐家

# 宮崎県の甲斐家 

# 主なルーツ地

・ 甲斐国をルーツとする。

・ 河内国錦部郡甲斐荘(大阪府河内長野市)をルーツとする。

# ロックミュージシャンの甲斐よしひろは福岡県福岡市の出身。タレントの甲斐智枝美は福岡県大牟田市の出身。グラビアアイドルの甲斐麻美は熊本県熊本市の出身。

# 相棒11の甲斐享は架空の人物だが、たぶん東京都の出身。

# 「かい」の語源

■ 甲斐沢(かいさわ)

【2015/04/29:改編】

# 大半は長野県内にみられ、北安曇郡松川村に多くみられる。

■ 甲斐田(かいだ)

【2020/04/20:新載】

# 福岡県の筑後地方から熊本県北部にかけてみられ、特に福岡県柳川市周辺にまとまってみられる。【出典】 

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