兵庫県内の「黒田」の名字の詳細 | |
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■ 黒田(くろだ): 兵庫県の黒田家
# 兵庫県の黒田家: 播磨国美嚢郡三木(兵庫県三木市)で金物商を営んだ。1765年に清右衛門が三木町上町(兵庫県三木市本町)で金物道具屋を創業した。【出典】
# 兵庫県の黒田家: 播磨国飾磨郡の国人。京極満信の二男の宗満が近江国伊香郡黒田(滋賀県長浜市)に住んで黒田氏を称した。代々京極氏の被官。播磨国の黒田氏はこの末裔。当初は小寺家に仕えたが、黒田官兵衛孝高は織田信長に仕えて豊臣秀吉に属し、豊臣秀吉の九州平定後に豊前国中津12万石。関ヶ原の合戦では東軍に属し筑前国福岡52万石。【出典】
# 刈り取ったあとの田んぼが黒っぽく見えることから「黒田」といい、各地に黒田地名がある。のちに、福岡藩主となった黒田氏も、出自には諸説有る。【出典】
# 福岡藩の家老の黒田家は、藩主の一族では無く、藤原北家の加藤氏の出で、摂津国の伊丹氏の一族という。重徳は荒木村重に仕えて、1578年に村重に捕らえられた如水の牢番となった。そして、栗山大膳の潜入を見過ごしたのが縁で、伊丹城落城後、二男の一成が如水に仕えて黒田姓を許された。江戸時代には、筑前国下座郡で1万2000石を領し、三奈木黒田家と呼ばれ、代々福岡藩の筆頭家老を務めた。明治時代には男爵。【出典】
# 兵庫県内では、現在は播磨地方に多く見られる。【出典】
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