静岡県内の「田中」の名字の詳細
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■ 田中(たなか)

# 静岡県内では、下田市では4位。【出典

# 田中の地名は各地に多く見られ、全国地名ランク32位。【出典

# 狩野庄田中郷(大仁町)から発祥した桓武平氏流の田中氏は、執権北条高時の子の時行を祖とする。後裔の泰行は田中越中守を称し、一族の田中内膳は桑原村(函南町か)に住んで、長享2年に韮山堀越御所の足利政知に仕え、のちに北条早雲に仕えた。【出典

# 北条氏康の家臣の五郎左衛門吉利は田中(大仁町)の住人で、小坂村(伊豆長岡町)を領し、一族は相模国の北条氏に仕えた。田中融成(とうなり)は板部岡を称し、北条氏の滅亡後には、豊臣秀吉徳川家康に仕え、子孫は岡野氏改姓して旗本となった。【出典

# 武田家の遺臣の田中助太郎は主家の滅亡後、知人の住む大竹(函南町)に来住したといい、賀茂郡田中村(河津町)の田中氏は文禄年間のころから見え、代々名主を務めた。【出典

# 遠江国の藤原氏流の田中氏は佐野郡田中村(掛川市)発祥で、井伊泰直の弟の三郎兵衛直家を祖とし、太郎左衛門尉直清は井伊一族と共に南朝に属した。【出典

# 戦国時代今川氏に属して富部田中(掛川市)を領した田中氏は清和源氏新田氏流とも安田氏流ともいわれ、今川義元に仕えた新左衛門の時に、尾張笠寺に住んで富部氏を称したが、子孫は徳川氏に仕えて田中氏に復姓した。【出典

# 清和源氏流の遠江国の田中氏は、安田遠江守義定の子の田中義輔の後裔で、この子孫に田中城主の田中因幡守義堯がいた。また永正年間、武蔵国高輪に住んで北条氏に仕えた清和源氏の新田氏族の田中安泰の孫の五郎某は天正18年に、北条氏が滅亡してから山名郡大原村(福田町)に来住したという。【出典

# 榛原郡藤守村(大井川町)の田中氏の遠祖は、奈良時代に伊予国宇和島から来住したと伝え、慶安年間に、五郎左衛門は慈眼寺を開基、子孫は庄屋を務めた。【出典

# 駿河国の田中氏は藤原氏の末孫で、知氏が益津郡田中村(藤枝市)に住んで田中氏を称し、代々武田氏に仕えたが、政利の政長の時に武田氏が滅亡し、徳川家康に仕え、のちに駿河大納言徳川忠長に属した。【出典】 

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