福井県内の「内藤」の名字の詳細
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■ 内藤(ないとう) 

# 若狭国武田氏家老清和源氏の武田氏の一族で、武田国信の三男の元信が足利義教に仕え、孫の政信のときに内藤氏改称したのが祖というが、安芸武田氏の重臣の内藤氏の一族とみられる。永正12年(1515年)に若狭国の守護になった武田氏のもとで守護代をつとめた。戦国時代には若狭武田氏の家老として天ヶ城(福井県小浜市西津福谷)に拠った。元亀元年(1570年)の織田信長の越前侵攻に際しては信長に従い、長縄は丹羽長秀に属して各地を転戦した。天正10年(1582年)の本能寺の変の際に、武田氏に従って明智光秀に与したことから没落した。【出典

# 福井県の内藤氏: 若狭国武田氏家老清和源氏の武田氏の一族で、若狭の武田国信の三男の元信が足利義政に仕え、孫の政信の時に内藤氏を称し、天ヶ城(福井県小浜市)に拠った。織田信長の越前侵攻に従い、本能寺の変の際に武田氏に従って明智光秀に組したので没落した。慶長19年に徳川家康に仕え旗本となり、上総国下総国常陸国で8千石を領した。一族の重純は若狭の武田氏に仕えた後、孫の正勝は豊臣秀頼に仕えて大阪の陣で討ち死。正勝の子の伊知・勝房兄弟は祖母が千姫の老女の刑部卿だったので徳川頼宣に仕えて紀州藩士。【戦国大名家辞典 森岡浩 東京堂出版】

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