丹羽長秀 | |
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■ 丹羽長秀(にわながひで)【出典】
・ 「丹羽」の名字の由来。
・ 1535ー1585年。享年51歳(病死)。
・ 出身地: 尾張国(愛知県)
・ 肩書き: 武将
・ 家族: 父:丹羽長政
・ 家紋: 丹羽筋違
・ 丹羽長秀は16歳から織田信長に仕えて、桶狭間の戦いにも参陣した。柴田勝家と並ぶ織田家の重臣。美濃攻めや六角氏の征伐で功をなし、長篠の戦いや越前一向一揆でも活躍した。本能寺の変の際には、信長の三男の信孝の補佐として四国に出兵するために堺にいた。その後、山崎(京都府)で豊臣秀吉軍に合流して明智光秀を討った。織田家の継承会議の清洲会議では秀吉側について、賤ヶ岳の戦いでも秀吉のもとで柴田勝家とたたかった。その功績で柴田勝家の所領の越前国・若狭国と加賀国の二郡を賜って、123万石の大名として生涯を終えた。
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