「丹羽」の名字の由来
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■ 丹羽(にわ)

【2022/09/10:改編】

# 代表家紋

# 愛知県北部から岐阜県にかけて多くみられ、特に愛知県小牧市や丹羽郡大口町に多い。

# 全国の約半数は愛知県と岐阜県にみられる。

# 尾張国丹羽郡には古代豪族の丹羽氏がいた。

# 播磨国三草藩(兵庫県加東市)の藩主の丹羽氏は清和源氏一色氏の一族で尾張国丹羽郡をルーツとする。

# 武蔵国武蔵七党児玉氏の一族が尾張国に移り住み、尾張国春日井郡児玉(愛知県名古屋市)に来て、尾張国守護斯波氏に属して丹羽氏を称したのが丹羽長秀の祖。丹羽長秀の家紋

# 福島県の丹羽家: 二本松藩主。代々斯波氏に仕え、長政が尾張国丹羽郡児玉村(愛知県名古屋市)に住んで丹羽氏を称した。

・ 陸奥国二本松藩(10万石)の丹羽家は織田信長の重臣の丹羽長秀の子孫。古代豪族の良峯(よしみね)氏の出と言われるが不詳出典】 

・ 二本松藩主。出自不詳。代々斯波氏に仕え、長政が尾張国丹羽郡児玉村(名古屋市)に住んで丹羽氏を称したのが祖。その子の長秀が織田信長の重臣となって近江佐和山で5万石を領した。本能寺の変後は豊臣秀吉に仕えて越前北ノ庄で123万石という大大名になったが、長男の長重は、家臣の不祥事や独立などが重なって、1587年に加賀松任4万石に削られた。のちに、加賀小松12万石に移った。関ヶ原の合戦後、1600年に常陸古渡藩(茨城県稲敷市古渡)1万石で再興した。1622年に陸奥棚倉5万石、1627年に陸奥白河10万石を経て、1643年に陸奥二本松10万石。幕末は奥羽越列藩同盟に参加したことから、1868年に5万石に減知。明治時代には子爵。【出典

# 兵庫県の丹羽家

# 丹羽家

# 二本松藩 ・ 三草藩

# 兵庫県内の「丹羽」の名字の詳細

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