栃木県内の「皆川」の名字の詳細
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■ 皆川(みながわ)

# 下野国都賀郡の国衆。鎌倉時代の初期に、皆川荘(栃木県栃木市)の会発領主としてみえる皆河氏は藤原姓足利氏の一族とみられ、承久の乱後に没落した。これに代わって登場したのが藤原北家小山氏庶流の皆川氏である。長沼時宗の子の宗員が皆川を領して皆川氏を称し、鎌倉幕府御家人になった。元亨3年(1323年)に宗経のとき、北条高時に叛いて断絶になった。宗員の弟の宗泰の子孫は長沼氏を称していたいたが、室町時代に宗成のときに皆川城に拠って皆川氏に改称した。戦国時代には宇都宮氏に属し、元亀4年(1573年)に俊宗は北条氏政と戦って敗れ、下総国で討ち死にした。その子の広照は宇都宮氏に叛いて北条氏政に属したが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉小田原攻めでは小田原城の開城直前に秀吉に降って本領を安堵された。江戸時代には旗本。【出典】 

# 下野国皆川(栃木県栃木市)をルーツとし、藤原北家の一族で、下野国の有力豪族であった小山氏庶流。鎌倉時代には御家人だったが、鎌倉時代末期に皆川宗常が時の執権北条高時に背いて一旦断絶した。その後再興し、江戸時代初期には常陸国府中藩(茨城県石岡市)1万石で大名となった。その後、また断絶し、子孫は旗本として再興した。【参考

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