「かつまた」の名字の由来 | |
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■ 勝俣(かつまた)
【2014/08/25:改編】
# 代表家紋
# 静岡県東部に多くみられる「かつまた」姓の一つで、静岡県よりも山梨県や神奈川県に多く神奈川県足柄下郡箱根町に多い。
# 静岡県では勝又が多いが神奈川県では勝俣が多く、特に箱根町に多くみられる。静岡県の旧榛原町(現牧之原市)の地名(静岡県牧之原市勝田)をルーツとし、以前は「勝田」と書いて「かつまた」と読んだ。ただ、現在は「かつた」と読むようだ。
# 勝俣(かつまた): 静岡県牧之原市勝俣。駿河湾に注ぐ勝間田川下流右岸に位置する。地名は、当地の土豪勝間田氏の庶流が拠ったことにちなむといわれ、往時勝俣十郎権守という者が秋葉山と道場山の間に居館を設けたという。【出典】
・ 勝間田(かつまた): 勝田とも書く。勝間田川流域、牧ノ原台地に並行し北西から南東に開けた沖積平地に位置する。中世の土豪勝間田氏関係の遺跡や伝承が多く残る。【出典】
・ 勝田郷: 平安時代に遠江国榛原郡にみられた郷名。「和名抄」遠江国榛原郡九郷の1つ。高山寺本の訓は「加知末多」、東急本は「加都万多」。郷域は現在の榛原町、勝間田川流域の大字勝間・勝田・中を中心とする一帯に比定される。【出典】
■ 勝間田(かつまた)
【2018/09/03:改編】
# 代表家紋
# 静岡県の勝間田家: 遠江国勝田(かつまた・静岡県牧之原市)をルーツとする。藤原南家の出。鎌倉時代には勝田と書いたが、後に勝間田と書いた。【出典】
# 静岡県の勝間田家: 当初は勝田(かつまた)と書き、遠江国榛原郡の国衆。遠江国榛原郡勝田(静岡県牧之原市)をルーツとし、藤原南家の工藤氏の末裔という。鎌倉時代には御家人となり、南北朝時代には南朝の楠木氏に従った。室町時代には今川氏に属したが、後に没落した。【出典】
# 勝間田家(かつまたけ): 家紋「亀甲に花菱紋」
・ 清和源氏の義家流。源頼朝に仕えた。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】
# 遠江国榛原郡勝田(静岡県榛原郡榛原町)をルーツとする。藤原南家の工藤氏の出。源平の合戦の際、勝間田成長は源頼朝に従い、鎌倉幕府成立後には御家人。室町時代には今川氏に属した。1476年に今川氏に叛いて敗れ、没落した。なお、本来は「勝田」と書いて「かつまた」と読む。現在は静岡県御殿場市にまとまってみられる。【出典】
# 「田」のつく名字
# 「間」のつく名字
■ 勝又(かつまた)
【2022/12/05:新載】
# 「勝間田」と同義で、史料などでは混同される。現在「かつまた」の名字の中では最も多く、静岡県東部に広く見られる。【出典】
# 中世、陸奥国の葛西氏の家臣に勝又氏があり、葛西氏の庶流という。【出典】
# 静岡県以外では、千葉県北部にも多く見られる。【出典】
■ 「カツマタ」の資料集。
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