静岡県内の「かつまた」の名字の詳細
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu 静岡県の名字の特徴
スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 勝間田、勝又、勝亦、勝俣(かつまた)

# 勝間田、勝又、勝亦、勝俣は同流。葛俣、勝田も「カツマタ」と読み、混用される。【出典

# 静岡県内では、勝又(45位)、勝亦(178位)、勝間田(332位)、勝俣(482位)。四姓とも、分布が似ていて東駿河地区に密集し、勝又姓は御殿場、裾野市では1位、勝間田姓は県内の約70%が御殿場市、勝俣姓は小山町が最多、勝亦姓は沼津、富士市に多く見られる。榛原町には勝田、勝間、勝間田、勝俣の地名がある。「カツマタ」氏には源氏、藤原氏、平氏と諸説あるが、その伝承が極めて似ていることから、源流は異なっても後世は同族化したと思える。【出典

# 保元物語などに出てくる遠江国住人の勝田(かつまた)平三(玄蕃助)成長(勝間田、勝俣とも)は源義家の後胤、横地城(菊川町)城主、横地太郎家永の子といい、榛原郡勝田(勝間田)郷(榛原町)に住んで、地名を名字として武田義定に属した。【出典

# 一説によると、後世、甲斐国平野村の勝間田四兄弟は、嫡子が平野村に残って勝俣氏を称し、二男、三男は今里村(印野南方)に転じて勝間田氏を。四男は箱根仙石原に住んで勝俣氏を称したと伝えられ、今里村(裾野市)の勝又はもとは勝間田とも言う。【出典

# 天保年間、須走村(小山町)の名主の勝間田三平は印野勝間田氏の一族であるが、勝間田の名字が多いので明治時代初期に、「間」をとって「勝田」にしたという。また勝間田氏と共に勝間田荘から印野に落ちてきた伊野氏は故郷を忘れないために勝間田姓とし、伊野姓にちなんで地名を印野にしたと伝える。【出典

# 藤原氏流は遠江権守藤原為憲の四代孫、維兼の後胤、行久の養子の工藤高景が勝間田荘(榛原町)を領し、七代孫の遠江守行政が勝間田氏を称し、その子は内田村(菊川町)に住んで内田氏を称したという。【出典】 

都道府県毎の名字の特徴 名字の様々な区分
難読名字 難読地名・珍地名
地名と災害 名字の博物館
名字と地名・都道府県編 民俗学の広場内の検索

■ このサイトで使用している「名字の順位」「全国の概算数」「都道府県毎の順位」などについてはこちらを御覧下さい。詳細】 

統計表示