「一柳」の名字の由来 | |
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■ 一柳(いちやなぎ、ひとつやなぎ)
【2022/11/22:改編】
# 釘抜き紋
# 全国にみられるが、特に愛知県と神奈川県に多くみられる他、愛媛県を中心とした四国にも多い。
# 愛知県では名古屋市や江南市に、神奈川県では横浜市から逗子市や横須賀市に、愛媛県では四国中央市や松山市や西条市に多くみられる。
# 大名の一柳家は「ひとつやなぎ」と読み、越智氏の河野氏の庶流。土岐氏に仕えていたが、一柳直末は豊臣秀吉に仕えていたが、小田原攻めで戦死。弟の一柳直盛に尾張国黒田2万石が与えられた。関ヶ原の戦いの後は伊勢国神戸5万石。
# 山形県にも見られ、そのほとんどは上山市に分布するが、読みは「ひとつやなぎ」。
# 一柳(ひとつやなぎ)家: 伊予国の河野氏の一族で、後に土岐氏に仕えた。一柳直末は秀吉に仕えたが小田原の北条氏攻めで戦死、弟の直盛が尾張国黒田2万石。関ヶ原の戦い後には伊勢国神戸5万石。1636年に父祖の地の伊予国西条6万8千石。その後一時除封されたが、播磨国小野2万8千石から1万石。一族は伊予国小松で1万石。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】
# 一柳直末(ひとつやなぎなおすえ): 丸に釘抜き紋。美濃国厚見郡の土豪の出で、秀吉の古くからの家臣。武勇に秀でていたことから、「熊」の異名をとった。豊臣秀吉に仕えて各地を転戦、数々の武功を挙げ秀吉お抱えの精鋭である黄母衣衆となった。この戦いの九年後、小田原攻めの緒戦で銃弾に当たり戦死した。死の知らせを聞いた秀吉は悲しみのため、三日間も口をきけなかったという。【出典】
# 「数・数字」のつく名字。
# 「柳」のつく名字。
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