「浅野」の名字の由来
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■ 浅野(あさの)

【2021/02/06:改編】

# 152位

# 156位【知っておきたい家紋と名字 別冊宝島】

# 清和源氏土岐氏流、藤原氏秀郷流などにみられる。

# 代表家紋

# 土岐光時が美濃国土岐郡浅野村(岐阜県土岐市)に居住したのが由来。

# 尾張国丹羽郡浅野郷(愛知県丹羽郡扶桑町)をルーツとする。

# 浅野家のルーツは美濃国土岐郡か尾張国丹羽郡か不明という見解もある。

# 愛知県や岐阜県に多くみられる他、宮城県や茨城県南部にも多くみられる。

# 木下藤吉郎秀吉の妻「ねね」は、浅野長勝の養女。長勝の子(甥)の長政の次男長晟は初代広島藩主(安芸浅野氏)。忠臣蔵の赤穂藩浅野内匠頭長矩は長政の三男の長重の家系。

# 富山県の浅野家: 越中国婦負郡笹倉村(富山県富山市婦中町)の豪農。浅野長政の一族の末裔という。【出典

# 兵庫県の浅野家: 旗本家原浅野家。赤穂藩の浅野家の分家で寛文11年(1671年)に播磨国加東郡家原兵庫県加東市)に陣屋をおいた。二代目の長武は大石内蔵助のいとこ。 

# 広島県の浅野家: 安芸国広島藩(42万6千石)の浅野家。浅野長政の妻は、秀吉の正室のおねの姉。【家紋:丸に違い鷹の羽明治維新後には侯爵浅野幸長の家紋

・ 清和源氏土岐氏の支流といい、美濃国浅野村(岐阜県土岐市)をルーツとする。浅野長勝が織田信長に仕え、その子の長政が豊臣秀吉のもとで五奉行の一角をしめた。関ケ原の戦いの後は和歌山藩主を経て広島藩主となった。【出典

・ 広島藩主。清和源氏の出で、長政は豊臣秀吉と妻同士が姉妹だったことから、その出世に伴って累進し、五奉行の一人となった。関ヶ原合戦では、長政は子の幸長と共に家康方に付き、戦後、幸長は紀州藩37万6500石の藩主となった。大坂城の落城後、広島藩主の福島正則が改易されると、その後広島藩42万6500石の藩主となった。
幕末、世子の浅野長勲は国事に奔走、1867年に十五代将軍徳川慶喜に大政奉還を進言した。明治維新後、家督を相続、1884年に侯爵となり、外交官や元老院議官などを歴任、旧大名としては最も遅く、1937年まで存命した。【出典

# 広島藩浅野家の分家

・ 常陸国の真岡藩。後に播磨国赤穂藩5万石へ。1701年に殿中松の廊下事件で改易。浅野内匠頭の家紋

・ 三次5万石。浅野内匠頭の妻の「阿久里」の実家。1720年に廃絶。

・ 広島新田藩3万石。 

# 広島県の浅野家: 広島藩の家老で、三原浅野家。浅野長政のいとこの忠吉が浅野長政に仕えて家老となり、紀伊新宮で2万8000石を領したのが祖。浅野本家の広島転封後、代々備後三原(広島県三原市)で3万石を領した。明治時代には男爵。【出典

# 広島県の浅野家: 広島藩の家老。堀田高勝は明智光秀に仕えて2500石を領していたが、その後浅野幸長に仕えて、1596年に浅野氏と改称。江戸時代は広島藩の家老となり、家禄は8000石。幕末、道興は国事に奔走、その跡は、広島藩主長訓の甥にあたる守夫が継ぎ、1900年には男爵。【出典

# 主なルーツ地

・ 美濃国土岐郡浅野村(岐阜県土岐市)をルーツとする。

・ 尾張国丹羽郡浅野郷(愛知県丹羽郡扶桑町)をルーツとする。

# 女優の浅野温子は東京都の出身。俳優の浅野忠信は神奈川県横浜市の出身。

# 「浅野」の地名の由来

# 浅野駅

■ 浅野家

■ 浅野内匠頭

■ 赤穂藩 ・ 広島藩 ・ 広島新田藩

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