兵庫県内の「仙石」の名字の詳細 | |
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■ 仙石(せんごく): 兵庫県の仙石家
# 但馬出石藩主の仙石家は、美濃国発祥で、清和源氏の土岐氏の庶流。仙石久秀が羽柴秀吉に仕えて、1580年に淡路国洲本(兵庫県洲本市)で5万石を領した。1585年に讃岐国高松に転じたが、翌年の九州出兵では島津氏に敗れて所領を没収された。1590年の小田原攻めでは徳川家康に属して功を成し、信濃国小諸5万石で再興した。関ヶ原の戦いの後、信濃国上田6万石を経て、1706年に政明のときに但馬国出石(兵庫県豊岡市出石町)5万8000石に転封した。このときに、上田から出石に蕎麦をもたらし、出石蕎麦として有名になった。その後仙石騒動で、3万石に減知、明治時代には子爵。【出典】
# 家老の仙石式部家は、初代藩主の仙石秀久の孫の式部久治を祖とする。代々、家老(大老)を務め、家禄は1500石。五代藩主の政時が式部家から跡目を継いだほか、江戸時代中期には筆頭家老の荒木家に養子が続いたこともあり、荒木家にかわって筆頭家老になった。【出典】
# 同じく家老の仙石主計家は、仙石式部家の政治の弟の政忠を祖とする。政忠の孫の久敬のときに家老(大老)となった。【出典】
# 兵庫県の仙石家: 但馬国の出石藩主。もとは美濃国の武士で、美濃国本巣郡中村の出で、清和源氏の土岐氏の庶流。仙石秀久が豊臣秀吉に仕えて、天正8年(1580年)に淡路国洲本で5万石を領した。後に領地没収となったが、小田原攻めで徳川氏に属し、信濃国小諸5万石を再興。江戸時代には信濃国上田を経て但馬国の出石(兵庫県豊岡市出石町)5万8千石。このときに信州蕎麦を出石にもたらし、出石蕎麦となった。
・ 出石藩(兵庫県豊岡市)藩主。清和源氏の土岐氏の庶流という。秀久が豊臣秀吉に仕えて1580年に淡路洲本(兵庫県洲本市)で5万石を領した。1585年に讃岐高松に転じたが、翌年の九州出兵で島津氏に敗れて所領を没収された。1590年に小田原攻めで徳川家康に属して功をあげ、信濃国小諸5万石で再興した。関ヶ原の合戦後、信濃上田6万石を経て、1706年に但馬出石5万8000石に入封。この時、上田から蕎麦を出石にもたらし、出石蕎麦として有名になった。1835年に出石騒動で3万石に減封。明治時代には子爵。【出典】
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