「すわべ」の名字の由来
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■ 諏訪部(すわべ)

【2022/01/14:改編】

# 3427位

# 全国に約3900人

# 清和源氏満快流。信濃・甲斐の守護職を務め、その後扶長が出雲国三刀屋郷(島根県)の地頭になって下向、三刀屋城を築いた。十六代の為扶のときに三刀屋氏に改称した。【出典

# 戦国時代北条氏に仕えた諏訪部氏も同族。【出典

# 現在は、静岡県の富士市から富士宮市にかけて多く見られる。【出典

# 浅見光彦ミステリースペシャルの「崇徳伝説殺人事件」に出てくる俳句の先生の名字で香川県坂出の出身。

# 清和源氏満快流などにみられる。

# 信濃国小県郡諏訪部(長野県上田市)をルーツとし、清和源氏の満快流の大池氏の庶流。信濃国と甲斐国守護を努め、のちに出雲国三刀屋(島根県)の地頭となって下向し、後に三刀屋を称した。【出典

# 静岡県:515位(約1100)、神奈川県:1243位(約1000)、宮城県:1084位(約200)、山形県:1084位(約80)など。

# 山形県内ではほとんどが鶴岡市にみられる。

【参考資料】
・ 宮城県角田市島田諏訪部
・ 長野県上田市諏訪部公園(鎌倉時代にこの地で勢力をもった諏訪部氏の本拠)
・ 清和源氏満快流諏訪部氏: 源満快の曾孫の為公が信濃守に任ぜられ、その子の為扶が伊那氏を称し、為扶の子の室賀二郎盛扶の子の幸扶が諏訪部氏を称した。諏訪部氏の子孫は出雲国飯石郡の三刀屋郷の地頭職を得て、三刀屋氏を称した。

# 諏訪部村(すわべむら): 長野県上田市江戸時代から明治時代の初頭にかけて信濃国小県郡にみられた村名で上田城の町続きで上田藩領。真田昌幸が下之条村全称庵を移して建てた常福寺が、真田氏転封により松代へ移され、その跡地へ、小諸から入封した仙石氏によって建てられた。はじめ松井山宝仙寺と称し、延宝2年に松翁山芳泉寺と改めた。境内に本多忠勝の娘で真田信之の妻となった小松姫の墓、上田藩主仙石氏の霊廟がある。【出典

# 厩方役人(うまやかたやくにん)

# 「部」のつく名字

■ 諏訪辺(すわべ)

【2013/08/20:新載】

# 23791位

# 全国に約200人

# 静岡県東部に多くみられ、「諏訪部」から転字した名字。

# 静岡県富士市周辺や北海道釧路市周辺に多くみられる。

# 「辺」の漢字の持つ意味

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