「宇喜多・宇喜田・浮田」の名字の由来
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■ 浮気(ふけ): 滋賀県守山市浮気町(ふけちょう)。浮気とは水気を漂わす水沢の地の意味。浮気氏の拠点で、六角氏と組んで元亀年間に織田信長と戦っている。
# 「ふけ」: 布気、婦気、福家、更などの字をあて、泥深い田んぼを意味する。
# 「浮気」といえば、同様の意味を持つ「浮田」がある。「浮田」と言えば「宇喜多」。大河ドラマの「軍師官兵衛」で陣内孝則演じる宇喜多直家のキャラは必見。歴史に詳しくない人でも、陣内さんを通して宇喜多という名字を知った人も多いかも知れないですね。
 そこで、宇喜多の名字だが、
  
■ 宇喜多(うきた)

【2017/09/01:改編】

# 代表家紋

# 全国にわずかに点在する。

# 備前国浮田(岡山県岡山市)をルーツとする。

# 宇喜多家は備前国の守護の浦上氏に仕え、宇喜多直家が浦上氏を追放して勢力を広げた。宇喜多秀家の家紋

# 宇喜多直家が今の岡山に築城しようとした時に、その地で祭られていた、酒折(さかおり)明神の社殿の別名である「岡山殿」の名を城の名前につけた。「岡山殿」の由来は、「社殿が岡のような低い山にあった」ため。

# 戦国武将で備前岡山57万4000石の宇喜多秀家は、豊臣政権では五大老の一人だったが、関ヶ原の戦いで西軍につき八丈島に流され没落した。

# 字を変えた「浮田」は瀬戸内海沿岸に残っている。

# 本家筋は宇喜多(宇喜田)を、分家筋は浮田を名乗ったと言われる。

# 宇喜多氏(うきたうじ)は備前の戦国大名で、元々は「浮田」。佳字をあてて、宇喜多を称した。朝鮮王族が備前児島半島に土着して三宅氏(屯倉氏)となり、その系譜を組む児島高徳を祖として浮田氏が生まれたなどと称する場合もある。児島高徳は備前に土着した佐々木氏の係累ともいわれ、浮田氏の出自について定説を得がたいものがある。【出典

# 岡山県の宇喜多家: 宇喜多秀家は八丈島に流されて50年以上も生きた。宇喜多家は児島高徳の子孫で備前国宇喜多に由来する。備前国の守護代の浦上氏に仕えていたが、浦上氏を追放して美作国までおよぶ広範囲を征した。宇喜多秀家は豊臣秀吉の猶子として、57万4千石を領し前田利家の娘の豪姫と結婚し、五大老の一人となった。関ヶ原の戦いでは西軍に属して敗れた。

・ もとは豊原荘(岡山県岡山市から瀬戸内市周辺)を本拠とし、赤松家のもとで備前国守護代をつとめた浦上家に仕えていた。宇喜多直家は主君の浦上家を滅ぼし、備前と美作の有力大名となった。その後、直家の子の秀家が関ケ原の合戦で西軍についたため改易となり八丈島に流された。【出典】 

# 宇喜多秀家の正室は前田利家の娘で秀吉の養女だった豪姫。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】

# 宇喜多家
   
■ 宇喜田(うきた)

【2014/06/18:新載】

# 全国にわずかに点在するが、特に大分県速見郡日出町にまとまってみられる。
   
■ 浮田(うきた)

【2014/06/18:新載】

# 全国に点在するが、特に兵庫県から岡山県にかけて多くみられ、両県とも瀬戸内沿岸に多くみられる。

# 陸奥国の浮田氏は陸奥国和賀郡浮田村(岩手県花巻市東和町)をルーツとする。

# 備前の宇喜多氏の重臣に浮田氏がいた。

# 富山県の浮田氏は宇喜多秀家の子孫で、徳川家に刃向かって西軍についた宇喜多家を憚って浮田を称した。

# 富山県の浮田家

■ 「うきた」の地名


■ 江戸のお裁き 驚きの法律と裁判 河井敦 角川ONEテーマ21 より
宇喜多秀家は息子やその乳母、侍医、下男・下女を合わせて13人で八丈島に流された。現地に行っても側室を設けたりしたせいもあるのか、日々の生活は困窮を極めたらしい。そのため正室の実家の加賀の前田家から2年毎の援助がなされ、それは秀家の死後も、幕末まで続いたそうだ。

■ 宇喜多家の先祖は児島高徳(たかのり)。 備前国守護の浦上氏に仕えた。 宇喜多直家が浦上氏を追放して勢力を広げた。 直家の子の秀家は豊臣政権の五大老となり、関ヶ原の戦いでは西軍について、その後は八丈島に流された。 本家筋は宇喜多(宇喜田)を、分家筋は浮田を名乗った。

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