「かわむら」の名字の由来 | |
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■ 河村(かわむら、こうむら)
【2023/02/08:改編】
# 245位【知っておきたい家紋と名字 別冊宝島】
# 代表家紋
# 「川沿いの村」をあらわす地形姓。
# 「川村」と同様に、「川沿いの村」の意味。相模国足柄上郡河村郷(神奈川県足柄上郡山北町)発祥の河村氏が有名で、この末裔の氏族が多い。【出典】
# 河村(かわむら): 下総国相馬郡の国人。藤原北家秀郷流の出で、相模国の河村氏の一族。戦国時代には柴崎城に拠って古河公方に従っていたが、1582年に足利義氏が死去すると、河村刑部は北条氏に属した。【出典】
# 東海地方から北九州にかけて広くみられ、特に山口県にまとまってみられる。
# 岐阜県東部では「こうむら」読み。【名字でわかるあなたのルーツ 森岡浩 小学館】
# 相模国足柄上郡河村郷(神奈川県足柄上郡山北町)をルーツとする河村氏が有名で、この末裔を称する家が多い。【出典】
# 相模の河村氏は相模国足柄郡川村をルーツとし、藤原北家秀郷流の波多野氏の出。祖の河村秀高の子の秀清は、頼朝に従って奥州におもむいて土着し、奥州一円に拡がった。
# 相模国足柄上郡河村郷(神奈川県足柄上郡山北町)をルーツとする。藤原北家秀郷流で波多野遠義の二男の秀高が祖。源平の合戦の際に、子の義秀は平氏方に属したため、一時所領を没収されたが、のちに源頼朝に認められて河村郷を回復した。義秀の弟の秀清は1189年に平泉の討伐に功をあげ、斯波郡を与えられて、鎌倉時代には幕府の御家人となり、奥州に所領を与えられた。のちに、茂庭(宮城県仙台市)、荒河(新潟県村上市)、大巻(岩手県紫波郡紫波町)の三家に分かれ、荒河保に住んだ一族が越後河村氏となった。南朝に属して所領を没収された。【出典】
# 神奈川県の河村家
# 新潟県の河村家
# 富山県の河村家
# 愛知県の河村家
# 京都府の河村家
# 河村(かわむら): 戦国期に陸奥国糠部(ぬかのぶ)郡三戸(青森県)にみられた地名。
# 河村からでた名字: 柳川
【苗字の謎が面白いほどわかる本 丹羽基二】より
・ 相模国の河村氏は相模国足柄郡川村をルーツとし、藤原北家秀郷流の波多野氏の出。秀郷の八代後裔の波多野遠義の子の秀高が河村氏を称した。秀高の子の秀清は頼朝の奥州征伐に従って、一族が奥州に拡がった。三河国や甲斐国の河村氏も同族。
・ 関連姓氏: 川邑、川邨、河邑、河邨。
# 河村瑞賢
# 「河」のつく名字。
■ 川村(かわむら)
【2023/02/08:改編】
# 154位【知っておきたい家紋と名字 別冊宝島】
# 「川沿いの村」を指す地形姓。
# 高知県に多く見られる他、青森県を中心に東北地方から北海道にまとまってみられる。
# 川村(かわむら): 土佐国土佐郡の国人。本川五党の一つ。近衛家の出で、為友のときに阿波国を経て土佐国に転じ、本山郷大河内村古味(高知県土佐郡土佐町)に住んだという。江戸時代、一族は大河内村・本山郷の庄屋や上津川村の名本をつとめた。【出典】
# 旗本の川村家は藤原北家秀郷流で、波多野氏の一族。武田信玄を経て徳川秀忠に仕えた。【出典】
# 茨城県の川村家: 茨城県土浦市の水戸街道の中村宿の旧家で、名主や問屋や本陣を務めた。【出典】
# 東京都の川村家: 東京都八王子市の甲州街道の小仏関の関守。【出典】
# 「川」のつく名字。
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