「加藤」の名字の由来
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「藤」族の名字  

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■ 加藤(かとう)

【2022/08/26:改編】

# 全国11位【第一生命ランキング

# 第10位 約92万人【明治安田生命ランキング2008

# 第10位 約90万人【明治安田生命ランキング2008

# 第10位 約89万人【明治安田生命ランキング2018

# 第10位 約93万人【道産子のルーツ事典 岸本良信 中西出版】

# 第10位【出典

# 全国順位(森岡浩ランキング): 10位
・ 全国密度順位(森岡浩ランキング): 愛知県 > 岐阜県 > 秋田県
・ 全国人口順位(森岡浩ランキング): 愛知県 > 東京都 > 神奈川県

# 藤原北家の利仁流、藤原北家の道長流などにみられる。

# 代表家紋

# 藤原氏の子孫が平安末期に加賀介になり、加賀の藤原氏を意味する。後に加藤一族は伊勢国に転じて伊勢加藤氏の祖となったため、東海地方に拡がった。

# 加藤姓は四国地方九州地方を除く全国に分布し、特に東海地方に多い。

# 加藤一族からでた名字には、「遠山」がある。

# 伊勢国安濃郡下部田村(三重県津市)に住んだ加藤景員は源義家の家臣として前九年の役で功をあげた藤原景通の子孫で、景通が「加賀介」となり加藤氏を称した。

# 「加藤」姓から変化した名字: 下藤、佳藤、可藤、嘉藤、河藤、甲藤、賀藤、香藤。

# 伊予国大洲藩主の加藤家は藤原北家の利仁流で美濃国を発祥とする。

# 男爵の加藤家は出石藩士の出。室町時代には方穂氏を称して伊勢の北畠氏に仕えていたが、のちに九鬼氏に仕えて加藤氏に改称した。その後仙石氏に仕えて出石藩士となった。明治時代には男爵。【出典

# 群馬県内の加藤家

# 神奈川県の加藤家

# 新潟県の加藤家

# 富山県の加藤家

# 石川県の加藤家

# 山梨県の加藤家

# 長野県の加藤家

# 静岡県の加藤家

# 岐阜県の加藤家

# 愛知県の加藤家

# 滋賀県の加藤家

# 兵庫県の加藤家

# 愛媛県の加藤家

# 戦国武将の加藤清正は愛知県名古屋市の出身だが尾張国中村発祥の加藤家を由来とする藤原北家道長流?。加藤清正は1632年に肥後国54万石を改易され出羽国庄内に流された。加藤清正の家紋

# 賤ヶ岳七本槍の加藤嘉明(よしあきら)は藤原北家利仁流。三河国にいたが、後に秀吉に仕えた。淡路国志知1万5千石から伊予国松山10万石へ。

・ 賤ヶ岳の七本槍の一人の加藤嘉明藤原北家利仁流で、三河にいたが父の教明が一向一揆に荷担して尾張国に移り豊臣秀吉に仕えた。淡路国志知1万5千石を得て、朝鮮の役で活躍して伊予松山10万石を得た。関ヶ原の戦いの後には20万石に加増。1622年に陸奥国会津40万石に転封。しかし、お家騒動が原因で石見国1万石に移され、後に近江国水口藩2万石。その後いったんは下野国壬生に移ったが、また水口に戻り幕末まで続いた。 

# 俳優の加藤嘉は東京都の出身。女優の加藤治子は東京都港区の出身。漫画家の加藤芳郎は東京都新宿区の出身。政治家の加藤六月は岡山県笠岡市の出身。俳優の加藤武は東京都中央区の出身。作家の加藤諦三は東京都の出身。俳優の加藤剛は静岡県御前崎市の出身。俳優の加藤茶は福島県福島市の出身。極楽とんぼの加藤浩次は北海道小樽市の出身。子役の加藤清史郎は神奈川県の出身。 

# 石川県の加藤氏: 加賀国能美郡の国人柴田勝家の入国でその配下に下り、江戸時代には帰農して大庄屋を務めた。【出典

# 愛知県の加藤氏: 尾張国愛智郡熱田郷(愛知県名古屋市熱田区)の国人。【出典

【新編日本姓氏辞典】千葉琢穂編著 展望社 より

# 中宮高房の孫_利仁流。利仁七代加賀介景道、加賀介たるにより頭文字の加に藤を合わせて加藤と号す。

【知って楽しい「苗字」のウンチク 丹羽基二 PHP文庫】

# 加藤の「加」は元々加賀の加だが、のちに「力(武力)」と「口(文力)」に転じた。

# 加藤忠広 ・ 加藤嘉明 ・ 加藤光泰

# 大洲藩 ・ 新谷(にいや)藩 ・ 水口藩 

# 「加藤」の地名

# 国衆(国人)

# 「加」のつく名字

# 「藤」のつく名字

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