柴田勝家
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu 歴史的人物のTop
スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 柴田勝家(しばたかついえ): 「柴田」の名字の由来 

・ 織田家の重臣で有名な柴田勝家。織田信長の妹のお市の方を娶る前の半生には謎も多いという。少なくとも実子の跡継ぎはおらず、跡継ぎは二人とも養子で姉の子。柴田勝家の家紋

・ 柴田勝政: 佐久間勝政。佐久間盛政の弟。佐久間盛政は尾張国御器所の出身で、母が柴田勝家の実の姉。

・ 柴田勝豊: 吉田勝豊。母親は柴田勝家の姉。

# 柴田勝家: 織田氏の重臣。寛政譜では清和源氏庶流で、斯波氏の一族で越後国の出というが、勝家以前については不詳。勝家は尾張国愛知郡の出で、織田信行に仕えていたが、1556年に林佐渡守守勝とともに信行を織田家の惣領に擁立しようとして失敗、信長に許されてその家臣になった。以後、信長のもとで活躍し、1575年に北陸が平定されると北庄城(福井市)城主になり、佐久間盛政佐々成政前田利家らを与力として北陸を支配した。本能寺の変では上杉謙信と対峙していたため動けず、清洲会議では信長の三男の信孝を擁立して秀吉と対立した。1583年に賤ヶ嶽合戦で豊臣秀吉に敗れて滅亡した。戦後、養子の勝政は金森長近のもとにあったが、のちに豊臣秀吉に仕えた。その子の勝重は1599年に徳川家康に召し出され、上野国群馬郡・碓井郡で2000石を領し、江戸時代には旗本。【出典


Help】 「苗字」「階位」「幼名」「通称」「諱」「尊称」「号」「氏」「姓」などはこちらをご覧ください。   

統計表示