源氏
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■ 宇多源氏(うたげんじ) 

 代表家紋

・ 第59代宇多天皇の皇子・諸王を祖とする源氏氏族。宇多天皇時代の臣籍降下によって起きた源氏。
宇多源氏を遠祖とする名字: 佐々木: 宇多天皇の末子の敦実親王の孫の成頼が近江国蒲生郡佐々木庄(滋賀県八日市)に住んで佐々木を名乗った。能義(乃木希典はその子孫)・朽木近江国高島郡朽木庄)・六角京極尼子

・ 宇多天皇の孫の源雅信の子孫が武家と公家の両方で栄えた。雅信の長男の時中からは、公家の大原、五辻(いつつじ)、綾小路、慈光寺(じこうじ)、庭田の五家が出た。次男の扶義(すけのり)からは武家の佐々木氏が出た。
 佐々木氏の嫡流は六角氏で、一族には京極、朽木(くつき)、尼子、隠岐、塩冶(えんや)などがある。
 その他、加地、鏡、沢田、馬淵、佐保、伊佐、山中、万木(ゆるぎ)、葛岡、高島、田中、磯部、野木、富田などが出た。【名字でわかるあなたのルーツ 森岡浩 小学館】

■ 近江源氏(おうみげんじ)

・ 近江国に勢力をはった宇多源氏の一族。佐々木氏が有名。

■ 甲斐源氏(かいげんじ)

・ 清和源氏の河内源氏のうち甲斐国に勢力をもった流れ。源義光祖とし、武田氏を代表とする。

■ 河内源氏(かわちげんじ)

・ 清和源氏のうち河内国に勢力をもった源氏の棟梁。源満仲の三男の源頼信を祖とする。

■ 源氏(げんじ) → 代表家紋

・ 938年に、清和天皇の孫の経基(つねもと)が、源姓を賜り、武蔵国介として赴任。

・ 源義家は京の石清水八幡で元服したので、八幡太郎義家。

・ 源義光は近江国の新羅明神(三井寺)で元服したので、新羅三郎義光。

・ 「源」の由来: 平安時代には、皇室の数が増えすぎて、臣籍降下が行われた。その際、天皇は「朕(ちん)と汝(なんじ)は源(みなもと)を同一にする」という意味で「源」という名字を与えた。これが、「源氏」の始まりである。

■ 源氏二十一流(げんじにじゅういちりゅう)

「宇多源氏」「嵯峨源氏」「清和源氏 」「村上源氏」、「 仁明源氏 」「文徳源氏」「陽成源氏 」「光孝源氏」「醍醐源氏 」 「冷泉源氏」「花山源氏」「三条源氏」「後三条源氏」「後白河源氏」「 「順徳源氏」「後嵯峨源氏」「後深草源氏 」「亀山源氏」「後二条源氏」「後醍醐源氏」「正親町源氏 」
※ 河内源氏は清和源氏の一流。

・ 源氏の棟梁は義家。しかし嫡流は源実朝で絶える。

・ 公家源氏で一番有力だったのが村上源氏。「堀川家」「久我家」「中院家」「土御門家」。久我家の分家から出たのが岩倉具視。

■ 嵯峨源氏(さがげんじ) → 代表家紋

 ・  桓武天皇の次の嵯峨天皇は皇子と皇女を合わせて32人の臣籍降下を行ったが、これら全てに「源」の名字を与えた。これが嵯峨源氏の始まりであるが、ではどうして源という名字を与えたか?それは中国の北魏の太武帝が同族の河西王の子「賀」を西平侯に任じた時に、「卿(あなた)と朕(わたし)とは家系の源が同じである。そこで今より源を氏とせよ」と言って源姓を与えたのに倣った。

・  嵯峨源氏を遠祖する名字:  渡辺摂津国西成郡渡辺村)・松浦(九州肥前)・宇久・五島(長崎五島列島福江島)

・ 嵯峨天皇には50人の子供がおり、皇子17人、皇女15人を臣籍降下させた。

・ 源氏の始まりは嵯峨源氏で、平安時代初期の弘仁5年(814年)以降、第52代の嵯峨天皇が皇子・皇女32人を臣籍降下させ、「源」の名字を与えたのが「源氏」の始まり。嵯峨源氏の一族は漢字一字の「名前」であることが多い。「例:渡辺綱、源融(とおる、光源氏のモデル) 」

 松浦党に属した主なもにに、波多、石志(いしし)、神田、佐志、有田、山代、八並、値賀(ちか)、鶴田、鴨打(かもち)、伊万里、有海、相浦などがある。【名字でわかるあなたのルーツ 森岡浩 小学館】

・ 公家源氏の始まりは嵯峨源氏で、第52代の嵯峨天皇が「源」の姓をさずけて臣籍降下したのに始まる。嵯峨天皇の皇子であった源信(まこと)と源融(とおる)は左大臣まで昇進し、源融の子孫は摂津国に下り、渡辺党という武士になった。【日本人なら知っておきたい 名家・名門 武光誠 河出書房】

■ 清和源氏(せいわげんじ)

# 第56代清和天皇の皇子・諸王を祖とする源氏氏族。清和天皇の孫の経基王が源姓を賜り、武蔵介として関東に下向した。

# 清和源氏の祖先は清和天皇。孫の六孫王が臣籍降下し源経基を名乗った。その子の満仲が摂津国多田(兵庫県川西市)に住んだので、嫡男である源頼光の系統を多田源氏という。弟の頼信は河内国羽曳野(大阪府羽曳野市)に住んだため河内源氏と言われる。この河内源氏から頼義や義家が出て活躍した。義家の二男の義親の家系から頼朝が出た。三男の義国は上野国新田郷に住んで、義国の長男の義重から新田氏がでた。下野国に住んだ二男の義康から足利家が出た。

# 義家流(八幡太郎義家)

・ 足利氏: 源義家の子の義国が下野国足利荘を領して足利氏を名乗った。

・ 新田氏: 源義国の長男の義重が上野国新田郡新田郷を領して新田氏を名乗った。

# 義光流

・ 武田氏: 源義光の子の義清が常陸国吉田郡武田郷を領して武田氏を名乗った。

・ 小笠原氏: 源長清が甲斐国小笠原牧を領して小笠原氏を名乗った。

・ 佐竹氏: 源義光が常陸国久慈郡佐竹郷を領して佐竹氏を名乗った。

・ 南部氏: 小笠原光行が甲斐国巨摩郡南部郷を領して南部氏を名乗った。

# 義清流

・ 村上氏: 源頼清が信濃国更級郡村上郷を領して村上氏を名乗った。

# 頼光流

・ 土岐氏: 源頼光の末裔美濃国土岐郡を領して土岐氏を名乗った。

・ 浅野氏: 土岐光行が美濃国浅野を領して浅野氏を名乗った。

・ 池田氏: 土岐氏庶流が、美濃国池田荘を領して池田を名乗った。

# 頼近流

・ 石川氏: 源頼近の孫の有光が陸奥国石川郷を領して石川を名乗った。

・ 土方氏: 源頼近の末裔の秀治が大和国土方を領して土方氏を名乗った。

・ 高木氏: 源頼近の末裔の信光が三河国碧海郡(あおみのこおり)高木を領して高木氏を名乗った。

【清和源氏の庶流

# 近江源氏

・ 源義業の次男の山本義定が近江国に住んで近江源氏と呼ばれた。

・ 近江源氏からは、柏木、箕浦(みのうら)、錦織(にしこおり)などが出た。

# 上野源氏

・ 河内源氏の源義家の子の義国は上野国八幡荘を領して上野源氏と呼ばれた。

・ 新田(にった): 上野源氏の嫡流で、源義国の長男の義重が八幡荘を本拠とし、上野国新田郡を開発して新田氏を称した。新田からは、山名、里見、世良田、得川、江田、新井、大館、堀口、細谷、脇屋、横瀬などがでた。

# 下野源氏: 義家の子の義国を祖とする: 足利吉良今川斯波畠山細川仁木、渋川、一色最上

# 下野源氏・三河源氏

・ 上野源氏の源義重の弟の義康が、父の義国から下野国足利郡足利荘(栃木県足利市)を分与され下野源氏となった。

・ 足利(あしかが): 下野源氏の嫡流で、室町幕府を開いた。嫡流は15代将軍の義昭で滅んだが、庶流の古河公方の末裔が喜連川(きつれがわ)家として江戸時代も続いた。足利からは、畠山、桃井、仁木(にっき)、細川、吉良、今川、斯波(しば)、渋川、石塔、一色などがでた。

・ 今川からは、関口、入野、木田、蒲原(かもはら)、瀬名、堀越などがでた。今川家の嫡流は江戸時代には品川氏を称して高家となった。

・ 斯波からは、最上、大崎が出た。最上の庶流には、天童、黒川、高擶(たかだま)、蟹沢、成沢(なりさわ)、中野、大窪、楯岡、東根(ひがしね)、鷹巣、上山(かみのやま)などがでた。大崎の庶流には、高泉、名生(みょう)、内崎、百々(どど)、涌谷などが出た。

# 上野源氏: 義家の子の義国を祖とする: 新田里見山名、由良、堀口、得川、大館

# 上野源氏

・ 河内源氏の源義家の子の義国は上野国八幡荘を領して上野源氏と呼ばれた。

・ 新田(にった): 上野源氏の嫡流で、源義国の長男の義重が八幡荘を本拠とし、上野国新田郡を開発して新田氏を称した。新田からは、山名、里見、世良田、得川、江田、新井、大館、堀口、細谷、脇屋、横瀬などがでた。

# 甲斐源氏: 義光の子孫: 武田安田小笠原南部、穴山、柳沢、三好二宮、曾根、浅利。

・ 源義光の子の義清が常陸国吉田郡武田郷(茨城県ひたちなか市武田)に住んで武田冠者と称した。その後、義清とその子の清光が甲斐国巨摩郡市河荘(山梨県西八代郡市川三郷町)に流されて土着したのが始まり。

・ 甲斐源氏からは、安田、逸見(へんみ)、加賀美、平井、河内、曽根、奈胡(なこ)、浅利、八代、田井、一条、板垣、甘利、秋山、小笠原、南部、於曽(おそ)、黒坂、岩崎、早川、馬淵、円井(つぶらい)、大井、駒井、下条、青木、山高、穴山、布施、栗原、市部、江草、今井、巨勢(こせ)、倉科、山宮、小佐手(おさて)、油川、岩手、松尾、勝沼などが出た。

・ 南部からは、一戸、四戸(しのへ)、九戸、波木井(はきい)、新田、中館などが出た。

# 河内源氏

・ 摂津源氏に代わって事実上の源氏の嫡流となった。源満仲の三男の頼信が河内国古市郡壷井(大阪府羽曳野市)に住んだのを祖とする。源頼義・義家親子や源義朝・頼朝親子がでた。しかし頼朝の死後、三代で滅び清和源氏の嫡流は滅亡した。

・ 河内源氏からは、石川、稲沢、野長瀬(のながせ)などが出た。

# 信濃源氏

・ 源経基の子孫のうち、満快、頼清、頼季は信濃国に住んで信濃源氏と呼ばれた。

・ 満快流: 伊那、知久、片桐、飯島、大島、二柳(ふたつやなぎ)、夏目、手塚、飯沼、依田(よだ)、芦田。

・ 頼清流: 子孫は村上氏となった。村上氏は後に瀬戸内海に転じ、因島氏、能島氏、来島(くるしま)氏にわかれた。

・ 頼季流: 子孫は井上氏になった。嫡流は村上氏の家臣。庶流には播磨井上氏と安芸井上氏があり、播磨井上氏は江戸時代には旗本。安芸井上氏の末裔長州藩の重臣で、明治維新には井上馨がでた。

# 摂津源氏

・ 清和源氏の嫡流で、源経基の長男の満仲とその長男の頼光の子孫。

・ 安和元年(968年)に源満仲が摂津国の多田盆地に移り住み、摂津国河辺郡多田荘(兵庫県川西市)を開発したのが始まり。

・ 摂津源氏からは、多田、能勢、田尻、溝杭(みぞくい)、平岡などが出た。

# 常陸源氏: 義光の子孫: 佐竹、大山、岡田小野

・ 河内源氏の庶流。源頼義の三男の新羅三郎義光が後三年の役に際し常陸介となって常陸国久慈郡佐竹郷(茨城県常陸太田市)を領し、子の義業が下向して佐竹氏を称した。

・ 常陸源氏からは、稲木、岡田、額田(ぬかだ)、真崎、稲本、小川、高部、長倉、大内、中条、小瀬(おぜ)、山入、小場(おば)、石塚、大山、藤井、栗崎、戸村、上村(かみむら)、天神林(てんじんばやし)、岡内、宇留野(うるの)、久米、今宮などがでたが、多くが佐竹氏の家臣として江戸時代には秋田に転じた。

# 美濃源氏: 頼光の子孫: 土岐明智浅野、土井。
・ 摂津源氏の源頼光・頼国親子が美濃守となり、頼国の子の頼房が美濃国土岐郡に住んで美濃源氏となり、その孫の光信が土岐氏の祖となった。

・ 美濃源氏からは、明智、浅野、遠山、蜂屋、舟木、揖斐、多治見、妻木などが出た。

# 大和源氏

・ 満仲の次男の頼親は大和国の国司となって大和源氏と呼ばれた。

・ 嫡流は大和国宇智郡宇野(奈良県五條市宇野町)を本拠として宇野氏を称し、その末裔には肥後国の隈部氏や伊勢国菰野藩主の土方氏がいた。

# その他: 高田山田夏目

・ 幕末の大名家、約280家のうち、100家以上が清和源氏の出を称す。

・ 清和天皇の孫の経基が臣籍降下した。経基の父の貞純親王が清和天皇の六男だったため、「六孫王」と名乗った。経基は武蔵国の国司となって武蔵国足立郡に下向した。

・ 清和源氏からは、足利、武田、佐竹、今川などが出た。

■ 村上源氏(むらかみげんじ) → 代表家紋

・  村上天皇時代の臣籍降下によって起きた源氏である。

・  村上源氏を遠祖とする名字: 久我・掘河・土御門・北畠赤松山内朝倉島津

・ 村上源氏は主として公家がでた。嫡流は久我(こが)氏で、梅渓(うめたに)、久世、東久世、岩倉、千種(ちくさ)、植松、六条、中院(なかのいん)、愛宕(おたぎ)などがでた。
 武家では、北畠、そしてその分家の浪岡、木造(こづくり)、大河内、星合、田丸などがある。【名字でわかるあなたのルーツ 森岡浩 小学館】


■ 主な源氏
・ 嵯峨源氏: 一世:誠・融など。渡辺氏や松浦氏が出た。
・ 仁明源氏: 一世:多・光など。光の子孫は西三条家。
・ 文徳源氏: 一世:能有など。6代で断絶。
・ 清和源氏: 二世:経基、兼忠など。源氏で一番栄えた。
・ 光孝源氏: 一世:貞経など。多くは平安時代までに断絶。
・ 宇多源氏: 二世:雅信など。嫡流は公家源氏(綾小路家、五辻家、大原家)。別流は、近江源氏。
・ 醍醐源氏: 一世:高明など。
・ 村上源氏: 二世:師房、顕定など。公家源氏(堀川家、久我家、中院家、土御門家)として栄えた。
・ 花山源氏: 二世:延信など。全国の神官を統治する神祇伯を世襲。白川家を称す。
・ 後白河源氏: 一世:以光。
・ 後嵯峨源氏: 二世:惟康。鎌倉7代将軍。
・ 後深草源氏: 二世:守邦など。鎌倉9代将軍。
・ 後醍醐源氏: 二世:尹良など。
・ 正親町源氏: 三世:忠幸など。広幡姓を名乗り、9精華家のひとつ。
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■ 源義家(八幡太郎義家)
義家の母親は、平直方の娘。父親の頼義は鎮守府将軍、陸奥守。

■ 源満仲
源満仲は中央の武官系の貴族だったが、陸奥国武蔵国越後国越前国摂津国伊予国の国司をつとめた。摂津国の多田(兵庫県川西市多田)を所領として大荘園を築き冨を増やした。長男の頼光は跡を継いで、その武士団は多田源氏(摂津源氏)と呼ばれた。次男の頼親は「大和源氏」、三男の頼信は「河内源氏」の祖となった。そして河内源氏からは後に、八幡太郎義家や頼朝がでて、源氏の嫡流となった。【伝説の日本史 第1巻〜神代・奈良・平安時代 「怨霊信仰」が伝説を生んだ〜 井沢元彦】

■ 清和源氏の祖先は、9世紀後半に天皇であった清和天皇。平将門の乱の頃、孫である六孫王(ろくそんのう)が臣籍降下して源経基(つねもと)を名のり、その子の満仲は摂津国多田(兵庫県川西市)を本拠としたので、満仲の嫡男の頼光の流れは多田源氏とよばれる。次男の頼信は河内国羽曳野(大阪府羽曳野市)を本拠として河内源氏を称した。河内源氏からは、源頼義、源義家がでた。義家の次男の義親から出たのが源頼朝で、三男の義国は上野国新田郡で勢力をもった。義国の長男の義重から新田氏が、下野国に移った次男の義康から足利氏が出た。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】

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