兵庫県内の諸藩 | |
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■ 明石藩(あかしはん): 兵庫県明石市
・ 「明石」の地名。
・ 松平家8万石・家門。越前の松平家の分家。1682年に入封。
# 明石藩士:
# 明石藩(あかしはん): 播磨国。明石城。越前松平家。親藩。8万石。控間:大広間。格:城主。位階:従四位上。上屋敷:千代田区隼町。小笠原忠真が信濃松本から入封して立藩。その後、戸田松平家、大久保家、藤井松平家、本多家が続いて、天和2年の越前松平直明からは越前松平家が続いた。【出典】
■ 尼崎藩(あまがさきはん): 兵庫県尼崎市
・ 「尼崎」の地名。
・ (桜井)松平家4万石・譜代大名。掛川、飯山などを経て、1711年に入封した。
# 尼崎藩士:
# 尼崎藩(あまがさきはん): 摂津国。尼崎城。桜井松平家。譜代大名。4万石。控間:帝鑑間。格:城主。位階:従四位下。上屋敷:中央区入船。元和元年に、大坂の陣で活躍した建部政長が大名になって立藩。その後は、戸田家、青山家を経て、正徳元年(1711年)に、桜井松平忠喬が入封。以後、松平家が七代続いた。【出典】
・ 淡路国。洲本城。池田家。外様大名。5万石。豊臣政権下で、脇坂安治が立藩し、関ヶ原の合戦の後に、池田忠雄が入封したが、後に徳島藩領になった。【出典】
■ 安志藩(あんじはん): 兵庫県姫路市
# 安志藩士:
# 安志藩(あんじはん): 播磨国。安志陣屋。小笠原家。譜代大名。1万石。控間:帝鑑間。格:無城。位階:従五位下。上屋敷:文京区春日。中津藩主の小笠原長邑が無嗣改易になったが、弟の長興に1万石を賜って立藩。以後、小笠原家が続いた。【出典】
■ 出石藩(いずしはん): 兵庫県豊岡市
・ 「出石」の地名。
# 出石藩士: 加藤家
# 出石藩(いずしはん): 但馬国。出石城。仙石家。外様大名。6万石。控間:柳間。格:城主。位階:従五位下。上屋敷:港区虎ノ門。豊臣政権下で、小出吉政が6万石で立藩したが、後に無嗣断絶。その後、藤井松平家を経て、宝永3年(1706年)の仙石政明から仙石家が八代続いて廃藩置県へ。【出典】
■ 小野藩(おのはん): 兵庫県小野市
・ 「小野」の地名。
・ 一柳家1万石・外様・陣屋。伊予国の河野家の一族だが、美濃国の土岐家に仕え一柳と称した。
# 小野藩士:
# 小野藩(おのはん): 播磨国。小野陣屋。一柳家。外様大名。1万石。控間:柳間。格:無城。位階:従五位下。上屋敷:港区西新橋。川之江藩主の一柳直家が、無嗣断絶。幕府の配慮で、養子の直次が継いで立藩し、以後は一柳家が十三代続いた。【出典】
■ 柏原藩(かいばらはん): 兵庫県丹波市柏原
・ 織田家2万石・外様・陣屋。織田信長の次男の信雄の家系。1695年に入封。
# 柏原藩士:
# 丹波柏原藩(たんばかいばらはん): 丹波国。柏原陣屋。織田家。外様大名。2万石。控間:柳間。格:城主。位階:従四位下。上屋敷:港区三田。織田信長の弟の信包が入封して立藩したが、三代の信勝に嫡子がおらず除封。その後、元禄8年(1695年)に織田信雄の曾孫の織田信休が入封。その後織田家が10代続いた。【出典】
・ 但馬国。宮城家。外様大名。1万3000石。寛永4年に、宮城頼久の子の豊嗣が加増されて立藩したが、無嗣断絶で廃藩。【出典】
■ 篠山藩(ささやまはん): 兵庫県篠山市
・ 「篠山」の地名。
・ 青山家6万石・譜代大名。近江国の出で、三河国に転じ、徳川家康に仕えた。1748年に入封。
# 篠山藩士:
# 篠山藩(ささやまはん): 丹波国。篠山城。青山家。譜代大名。5万石。控間:雁間。格:城主。位階:従四位下。上屋敷:千代田区神田淡路町。慶長14年に、八上藩主の松井松平康重が篠山に藩庁を移して立藩。その後は、藤井松平家、形原松平家が続き、寛延2年(1749年)の青山忠朝からは、青山家が六代続いた。【出典】
■ 三田藩(さんだはん): 兵庫県三田市
・ 「三田」の地名。
・ 九鬼家3万6千石・外様。
# 三田藩(さんだはん): 摂津国。三田陣屋。九鬼家。外様大名。3万6000石。控間:菊間。格:城主格。位階:従五位下。上屋敷:千代田区永田町。寛永10年(1633年)に、家督争いによって本領の志摩鳥羽を失った九鬼久隆が摂津国有馬郡に入封して立藩。以後、九鬼家が十三代続いて廃藩置県へ。【出典】
・ 但馬国。竹田城。赤松家。2万2000石。豊臣政権下で、赤松広秀が立藩したが、関ヶ原の合戦で西軍についたことと鳥取城下への放火の咎で除封。【出典】
■ 竜野藩(たつのはん): 兵庫県たつの市
・ 「竜野」の地名。
・ 脇坂家5万1千石・譜代大名。賤ヶ岳の七本槍の一人が藩祖。1672年に入封。
・ 播州竜野藩の脇坂家の上屋敷は東新橋にあった。【江戸東京地名辞典 芸能・落語編 北村一夫】
# 竜野藩士:
# 龍野藩(たつのはん): 播磨国。龍野城。脇坂家。外様大名。5万1000石。控間:帝鑑間。格:城主。位階:従三位。上屋敷:港区東新橋。元和3年に、本多政朝が立藩したが、一代で終わり、その後は小笠原家、岡部家、京極家が続き、寛文12年の脇坂安政から脇坂家が十代続いて廃藩置県へ。【出典】
※ 正三位は高すぎと思って調べてみたが、脇坂安政は、従五位下という資料もある。
■ 豊岡藩(とよおかはん): 兵庫県豊岡市
・ 「豊岡」の地名。
・ 京極家1万5千石・外様・陣屋。
# 豊岡藩士: 石束(いしづか)家 ・ 猪子家 ・ 久保家 ・ 久保田家 ・ 舟木家
# 豊岡藩(とよおかはん): 但馬国。豊岡陣屋。京極家。外様大名。3万5000石。控間:柳間。格:無城。位階:従五位下。上屋敷:千代田区隼町。関ヶ原の合戦の後に、杉原長房が本領安堵されて立藩したが、孫の重玄が無嗣断絶。寛文8年(1668年)に、京極高盛が丹後田辺から入封して、以後は京極家が九代続いて廃藩置県へ。【出典】
■ 林田藩(はやしだはん): 庫県姫路市
# 林田藩士:
# 林田藩(はやしだはん): 播磨国。林田陣屋。建部家。外様大名。1万石。控間:柳間。格:無城。位階:従五位下。上屋敷:千代田区外神田。尼崎藩主となっていた建部政長が、播磨国林田に転じて立藩。以後は建部家が10代続いて廃藩置県へ。【出典】
・ 播磨国。新宮陣屋。池田家。外様大名。1万石。元和3年に、姫路藩主の池田家の一門の池田重利が立藩。【出典】
・ 播磨国。池田家。外様大名。2万3000石。元和元年に、池田輝政の六男の輝興が立藩。輝興が赤穂藩主に転じたため廃藩。【出典】
・ 播磨国。福本陣屋。池田家。外様大名。1万石。控間:柳間。格:無城。位階:従五位下。上屋敷:港区新橋。池田政直が1万石を分知されて立藩。その後は、分封したことで旗本になったが、明治元年(1868年)に再立藩。【出典】
■ 三日月藩(みかづきはん): 兵庫県佐用町
・ 「三日月」の地名。
・ 森家1万5千石・外様・陣屋。赤穂藩の森家の分家で1697年に入封。
# 三日月藩士: 可児家 ・ 河合家 ・ 深沢家 ・ 船曳家
# 三日月藩(みかづきはん): 播磨国。三日月陣屋。森家。外様大名。1万5000石。控間:柳間。格:無城。位階:従五位下。上屋敷:品川区上大崎。元禄10年、美作国津山藩主の森家が改易になったのち、支藩の津山新田藩主であった森長俊が転封した上にあらたに立藩。以後は、森家が九代にわたって続いて廃藩置県へ。【出典】
■ 三草藩(みくさはん): 兵庫県加東市
・ 「三草」の地名。
・ 丹羽家1万石・譜代大名・陣屋。尾張国の土豪の出で、1742年に入封。
# 三草藩士: 鈴木家
# 三草藩(みくさはん): 播磨国。三草陣屋。丹羽家。譜代大名。1万石。控間:帝鑑間。格:無城。位階:従五位下。上屋敷:千代田区日比谷公園。延享3年(1746年)に、丹羽薫氏が越後高柳から入封して立藩。以後、丹羽家が六代続いて廃藩置県へ。【出典】
・ 但馬国。村岡陣屋。山名家。外様大名。1万1000石。明治維新後に、旗本だった山名義済が1万1000石で大名になって立藩。【出典】
・ 但馬国。八木城。別所家。外様大名。2万石。天正13年(1585年)に、別所重宗が立藩。子の吉治が詐病で参勤交代を行わず改易。【出典】
■ 山崎藩(やまざきはん): 兵庫県宍粟市
・ 「山崎」の地名。
・ 本多家1万石・譜代大名・陣屋。本多忠勝の家系。1679年に入封。
# 山崎藩士:
# 山崎藩(やまざきはん): 播磨国。山崎陣屋。本多家。譜代大名。1万石。控間:帝鑑間。格:無城。位階:従五位下。上屋敷:中央区日本橋蛎殻町。姫路藩主の池田輝政の子の輝澄が立藩したが、お家騒動で改易。延宝7年(1679年)の本多忠英からは本多家が続いた。【出典】
【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。