近江国
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# 現在の滋賀県

# 太閤検地での石高: 78万石。【戦国大名県別国盗り物語 八幡和郎 PHP文庫】
・ 近江国は中世には陸奥国に継ぐ大国だったが、関ヶ原の戦い以降人口が流出し1960年代に名神高速道路の開通まで続いた。

# 延喜式による国力順位(納税額による)【本当は面白い「日本中世史」 八幡和郎】。近江国は5位。

# 「近江」の名字

# 近江国: 近き淡海(琵琶湖)に由来する。

# 「あふみ」と呼んだ。

# 近江(おうみ): 近江国は、古代の淡海(あはうみ)から「あふみ(日本書紀)」となった。「アフ」が「オー」と長母音化したのは室町時代。【日本地名学を学ぶ人のために 吉田金彦・糸井通浩 世界思想社】

# 近江国の守護佐々木氏だったが、鎌倉時代に南部の六角氏と北部の京極氏にわかれた。

# 愛智(えち)郡: 滋賀県愛智郡
・ 愛智=江知で、愛知川は琵琶湖に注ぐ川。従って江は琵琶湖。琵琶湖畔の地。

■ 犬上郡(いぬかみ): 滋賀県犬上郡。古代から近江国にみられる郡名。「万葉集」では狗上、「和名抄」は犬上と書き、以奴加三と訓注。「古事記景行天皇の条に犬上君の名が見え、名族として栄え、遣隋使・遣唐使に任命された犬上御田鍬(みたすき)が出ている。【出典

■ 愛知郡(えち): 古代より滋賀県に見られる郡名。近江国。依智・愛智とも書く。「和名抄」は依知と訓注。郡名の由来は古く「朴市(えち)」と書き、大きな市場のある所という意味であるという。【出典
・ 愛知(えち)郡: 付近に住んでいた渡来人の依知秦(えちはたの)氏に由来する。

■ 蒲生郡(がもう): 滋賀県。古代より近江国に見られた郡名。郡名の初見は「天智紀」8年の条。「和名抄」は加万不と訓注。郡名の由来はガマが多く群生したことによるという。篠笥郷からは近江守護職となった佐々木氏出自し、のちに六角・京極の2家に分かれた。【出典

■ 神崎郡(かんざき): 古代より近江国にみられた郡名。神前(日本書紀)、神埼(和名抄)とも書く。郡名の初見は「天智紀」4年2月条。「和名抄」は加無佐岐と訓注。愛知川が琵琶湖に流入し、河口南岸には沖積平野が開け、古来から集落が集中する。天智天皇4年2月の条に「以百済国百姓男女四百余人、居于近江国神前郡」と見え、百済の人々が開発に従事したことが見られ、次いで3月の条に百済人の集落が建設されたことが見えている。彼ら渡来人は東大寺など南都の諸寺の瓦などを焼いたと伝えている。【出典

■ 滋賀郡(しが): 滋賀県(旧近江国)の郡名。近江国12郡の1つ。古くは「しかのこおり」と呼び、志賀・志加・志何・志我・磯鹿などとも書かれた。郡名の初見は「続日本紀養老元年9月癸亥の条で、志我郡と見える。【出典
・ 古代より志賀と滋賀の文字は混用されていた。大津北郊で坂本以南の地をさす。その中心は滋賀里(しがさと)と南志賀付近。【出典

■ 野洲郡(やす): 近江国12郡の1つ。郡名の初見は「持統紀」7年11月己亥の条。「日本書紀」に「益須郡」、「山背国愛宕郡計帳」に「夜珠郡」、「和名抄」に「野洲郡」とあり、「古事記」には「安国造」が見える。地名は「谷(やつ)」の転訛で、谷のある地形から起こるとする説、「ヤ(沼地)ス(洲)」から起こるとする説などがある。【出典


# 平安時代後半には、佐々木家が近江国一帯を支配したが、室町時代には北部の京極家と、南部の六角家にわかれた。そして安土桃山時代には織田家が支配した。

# 続日本紀文武天皇元年(697年): 9月3日: 京人(みやこびと)の大神大網造百足(おおみわおおよさみのみやつこももたり)の家に嘉稲(めでたいいね)が生え、近江国は白いスッポンを献上し、丹波国は白い鹿を献上した。

# 続日本紀文武天皇2年(698年): 夏4月3日: 近江・紀伊の二国に疫病がはやった。医師・薬を送って治療させた。

# 続日本紀文武天皇2年(698年): 9月28日: 近江国に金青(こんじょう・紺青とも書き、青色の顔料)を献上させた。伊勢国には、朱沙(すさ)・雄黄(ゆうおう)、常陸・備前・伊予・日向の四国には朱沙(すさ)、安芸・長門の二国には金青(こんじょう)・緑青(ろくしょう)、豊後国には真朱(まそほ)を献上させた。(いずれも顔料)

# 続日本紀大宝元年(701年): 8月21日: 参河(みかわ)・遠江・相模・近江・信濃・越前・佐度・但馬・伯耆・出雲・備前・安芸・周防・長門・紀伊・讃岐・伊予の十七カ国にイナゴの発生があり、大風が吹き人民の家屋が損壊し、秋の収穫に被害が出た。

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