「遠山」の名字の由来 | |
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■ 遠山(とおやま)
【2022/10/24:改編】
# 534位
# 代表家紋
# 遠山氏: 丸に二つ引両紋。藤原利仁の加藤氏の庶流。【出典】
# 愛知県から岐阜県、長野県、新潟県にかけて多くみられ、特に新潟県北部には多い。
# 新潟県:157位、長野県:166位、山梨県:218位、熊本県:242位、岐阜県:266位、〜山形県:1275位。
# 加藤景廉(かげかど)が1185年に源頼朝から美濃国恵那郡遠山庄(岐阜県中津川市)を与えられたのに由来する。戦国時代には本家の岩村遠山氏の他、苗木、明知、明照、飯羽間(いいばま)、串原、大井の七家があった。苗木遠山家は江戸時代に美濃国の苗木藩1万5千石、明知遠山家は江戸時代には旗本で末裔に北町奉行の遠山金四郎がいる。
# 信濃国伊那郡遠山郷(長野県飯田市)をルーツとする。
※ 内田康夫の「長野殺人事件」の中の記載に、「この地方を遠山郷と呼んだが、遠い山の里の意味ではなく、この地方を遠山氏が治めていたことによるもので、遠山領とも呼ばれた。」。つまり、美濃の遠山氏がこの地に住んで遠山の地名ができたというわけだ。ただ、その地名から別の遠山氏がでてもいいわけだが。
# 戦国時代に北条氏の重臣だった遠山氏は藤原北家利仁流で、代々江戸城代を務めた。末裔は江戸時代に旗本をつとめる。戦国末期の越後国の御館の乱で、御館にこもった上杉景虎(上杉謙信の養子で北条氏康の七男)の軍師に遠山康光がいた。なお、景虎の母は康光の妹。
# 東京都の遠山家
# 長野県の遠山家
# 岐阜県の遠山家
# 歴史的に有名なのは江戸町奉行の遠山の金さん。女優の遠山景織子は東京都の出身。
# 遠山家
# 遠山金四郎
# 苗木藩
# 「遠」の漢字の持つ意味。
# 「遠」のつく名字。
# 「山」のつく名字。
■ 遠山(とおやま): 長野県。中世には当地一帯に遠山荘があり、美濃東部にも遠山荘があった。遠山とは、古く信濃伊那郡から遠江・三河の北部、美濃の東部にわたる山間地を、濃尾平野あるいは畿内から見て呼称したものと推定される。その呼称が美濃と信濃に残り、美濃遠山荘と信濃遠山荘が成立したものという。【出典】
※ 遠山氏が住んだから遠山と呼ぶようになったという説もあるが、名字と地名のどちらが先か?
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