岐阜県内の諸藩
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■ 青野藩(あおのはん)

・ 美濃国。青野城。稲葉家譜代大名。1万2000石。元和元年に、稲葉正休が立藩。正休が江戸城内で大老の堀田正俊を殺害したため廃藩。【出典

■ 揖斐藩(いびはん)

・ 美濃国。揖斐城。西尾家。外様大名。3万石。関ヶ原の合戦の後に西尾光教が立藩。光教の死後に、甥の嘉教が嗣子がなく早世して廃藩。【出典

■ 今尾藩(いまおはん): 岐阜県海津市

・ 「今尾」の地名。

・ 竹腰家3万石(陪臣)

・ 尾張藩の付家老の竹腰家の城下町。

・  尾張藩の付家老美濃国。今尾陣屋。竹腰家。3万石。明治元年(1868年)に立藩。格:無城位階:従五位下。上屋敷:港区赤坂元和8年(1622年)に、尾張藩の徳川家の付家老の竹腰正信が3万石で入封。明治元年に正旧が1万石を尾張国の徳川家に返納して、新政府から2万石の大名に列せられて立藩。【出典

# 今尾藩士: 奥田家

■ 岩滝藩(いわたきはん)

・ 美濃国。岩滝陣屋。本庄家譜代大名。1万石。宝永2年に、本庄道章が大名になって大名。その後藩庁を美濃国高富に移した。【出典

■ 岩村藩(いわむらはん): 岐阜県恵那市

・ 「岩村」の地名。

・ 大給松平家3万石・譜代大名

・ 1702年に西尾藩の大給松平家の分家の松平乗紀が小諸から入封した。

・ 美濃国。岩村城。大給松平家譜代大名。3万石。慶長6年(1601年)に立藩。控間:雁間格:城主位階:従四位下。上屋敷:千代田区丸の内。大給松平家乗が立藩し、子の乗寿ののちに、丹羽家が入封した。丹羽家が転封したのちに、乗寿の孫の乗紀が元禄15年(1702年)に入封すると、大給松平家が七代続いて廃藩置県へ。【出典

・ 参考: 鳥居甲斐守忠耀(耀蔵)

# 岩村藩士: 

■ 大垣藩(おおがきはん): 岐阜県大垣市

■ 太田山藩(おおたやまはん)

・ 美濃国。太田山城。原家。3万石。豊臣政権下で立藩した原勝胤の藩領。関ヶ原の合戦で西軍について除封。【出典

■ 加賀野井藩(かがのいはん)

・ 美濃国。加賀井城。1万石。織田信雄に従った加賀井秀望が立藩したが、関ヶ原の合戦の直前に刃傷事件で除封。【出典

■ 金山藩(かなやまはん)

・ 美濃国。金山城。桜井松平家。譜代大名。2万5000石。関ヶ原の合戦の後に、桜井松平忠頼が入封。その後、遠江国浜松藩に転封になって廃藩。【出典

■ 加納藩(かのうはん): 岐阜県岐阜市

・ 「加納」の地名

・ 永井家3万2千石・譜代大名

・ 1756年に武蔵国岩槻から永井家が入封。大和国櫛羅藩の分家。

・ 美濃国。加納城。永井家譜代大名。3万2000石。慶長6年に立藩。控間:雁間格:城主位階:従五位下。上屋敷:中央区日本橋浜町。慶長6年に、奥平信昌が入封して立藩。その後は、大久保家戸田家安藤家が入封して、宝暦6年(1756年)の永井直陳からは永井家が六代続いて廃藩置県へ。【出典

■ 岐阜藩(ぎふはん)

・ 美濃国。岐阜城。織田家。外様大名。13万3000石。天正20年に織田秀信が立藩したが、関ヶ原の合戦改易になって廃藩。【出典

■ 郡上藩(岐阜県郡上市)

・ 「郡上」の地名。

・ 青山家4万8千石・譜代大名

・ 1758年に宮津から丹波篠山藩の分家の青山家が入った。

・ 郡上藩の脱藩藩士からなる「凌霜隊(りょうそうたい)」は、会津藩降伏まで佐幕派で戦った。郡上藩は勤皇派だった。しかし、ただの脱藩ではなく、二股をかけての藩命ともいわれる。

・ 郡上八幡藩(ぐじょうはちまんはん): 美濃国。郡上八幡城。青山家譜代大名。4万8000石。慶長5年に立藩。控間:雁間格:城主位階:従四位下。上屋敷:文京区本郷関ヶ原の合戦の後に、遠藤慶隆が旧領を安堵されて立藩。その後、井上家金森家を経て、宝暦8年(1758年)の青山幸道からは青山家が七代続いて廃藩置県へ。【出典

# 郡上藩士: 

■ 黒野藩(くろのはん)

・ 美濃国。黒野城。加藤家。外様大名。4万石。関ヶ原の合戦ののちに、加藤貞秦が本領を安堵された。その後、伯耆国米子に転封になって廃藩。【出典

■ 上有知藩(こうずちはん)

・ 「上有知」の地名

・ 美濃国。鉈尾山城・小倉山城。金森家。外様大名。2万石。関ヶ原の合戦の後に金森長近が立藩し、長近の次男の長光が継いだが、早世して廃藩。【出典

■ 清水藩(しみずはん)

・ 美濃国。清水城。稲葉家。外様大名。1万2000石。関ヶ原の合戦の後に、稲葉通重が本領を安堵された。しかし、その後に乱暴狼藉をはたらいたとして廃藩。【出典

■ 十七条藩(じゅうななじょうはん)

・ 美濃国。十七条城。稲葉家譜代大名。2万石。慶長12年に、稲葉正成が大名になって立藩。のちに、正成が下野国真岡転封になった。【出典

■ 関藩(せきはん)

・ 美濃国。関城。大島家。外様大名。1万8000石。慶長3年に、大島光義が大名になって立藩。光義の死後に、4人の子どもが分割相続して廃藩。【出典

■ 曽根藩(そねはん)

・ 美濃国。曽根城。西尾家。外様大名。2万石。天正16年に、西尾光教が入封したが美濃国揖斐転封となって廃藩。【出典

■ 高須藩(たかすはん): 岐阜県海津市

■ 高山藩(たかやまはん): 岐阜県高山市

# 飛騨高山藩(ひだたかやまはん)。飛騨国。高山城。金森家。外様大名。3万8000石。天正13年に立藩。控間:柳間格:国主位階:従四位下。天正13年に豊臣秀吉の命で飛騨国を平定した金森長近が立藩。六代が出羽国上山転封となって廃藩。【出典

■ 高富藩(たかとみはん): 岐阜県山県市

・ 「高富」の地名。

・ 本庄氏1万石・譜代大名

・ 本庄氏が陣屋をおいた。五代将軍の徳川綱吉の母の桂昌院の異母兄の本庄道芳を祖とする。

# 美濃国。高富陣屋。本庄家譜代大名。1万石。宝永6年に立藩。控間:菊間格:無城位階:従五位下。上屋敷:千代田区皇居外苑。宝永2年に旗本の本庄道章が、美濃国岩滝で立藩し、宝永6年に美濃国高富に藩庁を移転した。【出典

# 高富藩士: 

■ 多良藩(たらはん)

・ 美濃国。多良城。関家。外様大名。3万石。関ヶ原の合戦の直前に、多良で立藩。関ヶ原の合戦の後に、伊勢国亀山転封となって廃藩。【出典

■ 徳野藩(とくのはん)

・ 美濃国。徳野陣屋。平岡家。外様大名。1万石。慶長9年に、平岡頼勝が立藩した。孫の頼重の代に家督争いで廃藩。【出典

■ 苗木藩(なえぎはん): 岐阜県中津川市

・ 「苗木」の地名。

・ 遠山家1万石・外様 

・ 幕末に、大参事に取り立てられた下級藩士の青山直道は、藩士全員を帰農させ、家禄を返上させ、帰農法に基づいて政府から支給された扶助米を三年間返上させて、藩の借金返済にあてた。この施策によって、14万両あった藩の借金は、1871年には5万2600両まで減少した。しかし、青山は藩士の反感をかい、暗殺計画まででた。【江戸300藩の意外な「その後」 日本博学倶楽部 PHP研究所】

# 美濃国。苗木城。遠山家。譜代格。1万石。慶長5年に立藩。控間:柳間格:城主位階:従五位下。上屋敷:港区関ヶ原の合戦の後に、遠山友政が旧領を安堵されて立藩。以後、遠山家が十一代続いて廃藩置県へ。【出典

# 苗木藩士: 

■ 野村藩(のむらはん)

・ 美濃国。野村陣屋。戸田家譜代大名。1万石。明治2年に、三河国畑村藩主の戸田氏良が大垣新田藩を改めて立藩した。【出典

■ 福束藩(ふくづかはん)

・ 美濃国。福束城。丸毛家。2万石。豊臣政権下で丸毛兼利が立藩。関ヶ原の合戦で西軍についで除封。【出典

■ 美濃高松藩(みのたかまつはん)

・ 松ノ木藩ともいう。美濃国。高松城(松ノ木城)。徳永家。外様大名。3万石。豊臣秀吉の命で徳永寿昌が入封。関ヶ原の合戦の後に、美濃国高須転封となって廃藩。【出典

■ 美濃長谷川藩(みのはせがわはん)

・ 美濃国長谷川家。外様大名。1万石。元和3年に、長谷川守知が大名になって立藩。死後に子が分割相続して廃藩。【出典

■ 美濃平塚藩(みのひらつかはん)

・ 美濃国。平塚家。1万2000石。豊臣秀吉に従った平塚為広の藩領。関ヶ原の合戦で西軍についたため除封。【出典

■ 美濃脇坂藩(みのわきさかはん)

・ 美濃国脇坂家。外様大名。大坂の陣の功で、脇坂安信が大名になって立藩。のちに、刃傷事件で改易。【出典


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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