愛知県内の「久松」の名字の詳細
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■ 久松(ひさまつ) 

# 久松(ひさまつ): 尾張国知多郡の国人菅原道真の孫の雅規が尾張国知多郡英比郷(愛知県知多郡阿久比町)に流され、久松殿と呼ばれたのが祖というが不詳。中世には開発領主として活動、室町時代に道定が尾張国の守護斯波氏の家臣になった際に久松氏を称した。戦国時代に、徳川家康の生母の於大の方が久松俊勝と再婚したため、俊勝はのちに徳川家康に仕えた。俊勝の子の康元・勝俊・定勝は家康の異父弟にあたることから、江戸時代には松平氏を称した。俊勝の嫡男の康元は家康の関東入部の際に下総国関宿4万石を領し、のちに信濃国小諸に転じたが、1647年に無嗣断絶した。俊勝の二男の勝俊は、今川氏真や武田信玄の人質になっていたが、のちに徳川家康に仕え、その子の勝政は駿河国で8000石を領した。1713年には勝以が大坂城番になって摂津国で加増され、1万2000石になって下総国多古藩を立てた。俊勝の三男の定勝は徳川家康に仕えて下総国小南で3000石を領し、関ヶ原の合戦後、遠江国掛川藩3万石を立てた。1635年に伊予国松山15万石に入封。伊勢国の桑名藩主は分家。【出典

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