静岡県内の「三浦」の名字の詳細
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■ 県内105位: 三浦(みうら)

# 静岡県内では、県内全域に見られる。【出典

# 駿河国と伊豆国の三浦氏の系統には數流ある。【出典

# 三浦氏の源流は桓武平氏流で、平忠通の子の長門守為通が源頼義に属して軍功をあげ、相模国三浦郷を領して三浦氏を称したのが祖。為通以来、代々三浦衣笠城に住んで、四代孫の三浦大介義明は源頼朝に仕え、子孫は繁栄したが、鎌倉幕府執権北条氏によって全滅し、再興した後に再び北条早雲に滅ぼされ、一族は各地に離散した。【出典】
# 駿河国の三浦氏は1285年に三浦吉勝が新井村(大須賀町)の広泉寺を開基し、1351年に三浦太郎左衛門尉宗久が足利尊氏に属して新池郷(袋井市)の替え地として、北安東庄(静岡市)を与えられた。【出典

# 三浦義明の三代孫の駿河守義村の子の朝村の七代孫の三浦次郎左衛門尉範高が庵原郡横山(清水市・現静岡市)に住んで今川義忠に仕え、その子の上総介範時の長男の雅楽助正勝は、当初は今川義元に仕えたが、今川氏の没落後、徳川家康に仕え、有度郡広野村(静岡市)を領して、晩年には職を辞して長田村(静岡市)に住んだ。正勝の子の半左衛門正次は家康に仕えたが、朝比奈彦太郎の子の直信が正勝の娘を娶って三浦氏を継いで、広野村の宅地を譲り受けて、子孫はこの地に住んだという。正勝の弟の、次郎左衛門氏俊は今川氏真に仕えたが、今川氏の没落後には武田信玄に属し、後に北条氏に仕えた。北条氏の滅亡後には処士となり、その後は徳川家康に仕えた。【出典

# 今川家の老臣の三浦右衛門佐義鎮は三浦氏俊の養子となり、今川家の没落後には実父の小原肥前守鎮実とともに花沢城(焼津市)に拠った。1570年に武田信玄に攻められて落城し、父と馬伏塚(焼津市)に逃れたが、小笠原氏に討たれたという。また義村の子の幸村の後裔の小次郎元辰、八郎左衛門善次父子は今川義元に仕えたが、その子の元秋は徳川家康に仕えた。【出典】 

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