福島県内の「白河」の名字の詳細
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■ 白河(しらかわ)

# 陸奥国南部の戦国大名藤原北家秀郷流で結城氏庶流。結城広綱の弟の祐広は正応年間頃に白河荘に転じて白河結城氏の祖になった。やがて白河城(福島県白河市旭町)を築き、鎌倉時代末期には惣領家である下総国の結城氏と肩を並べるまでに成長した。元弘の乱では、宗広・親光父子は後醍醐天皇に従い、宗広は新田義貞に従って鎌倉攻めに参加、親光は足利尊氏に従って六波羅攻めに参加した。この功によって宗広は奥州検断職となり、親光は雑訴決断所に加わるなど、事実上結城一族の惣領となった。以後、室町時代中期まで陸奥国南部を代表する大名として活躍したが、戦国時代初頭に分家の小峰氏との争いから内訌状態となり、さらに常陸国から佐竹氏の侵攻を受けて陥落。天正7年(1579年)には佐竹義重の二男の義広が白河結城氏を継いだ。その後、芦名氏を継ぎ、白河氏は義親が継いだ。芦名氏の滅亡後、義広は佐竹氏に戻り、義親は伊達氏に従った。天正18年(1590年)に豊臣秀吉小田原攻めに参陣せず、翌年の奥州仕置きによって改易された。江戸時代には仙台藩士。【出典

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